社長インタビュー https://fewy.waihui.online 大阪の企業のトップを訪ね、業界を支える経営者の独自の視点で語られる経営哲学などを深堀取材した記事企画です。 ja オオサカジン運営事務局 2024-05-17T09:30:00+09:00 社長インタビュー https://fewy.waihui.online/e760563.html 株式会社イット / 代表取締役 伊藤 司 氏 大阪は西区江戸堀にグルメ系SNSマーケティングに威力を発揮する企業がある。 株式会社イット。代表取締役 伊藤 司氏は大学卒業後、株式会社キョードー大阪(※1)に就職し、そこで広報の仕事に従事。その後、独立し、SNSマーケティングを独学で学び、インフルエンサーマーケティング事業を手掛ける。 キョードー大阪時代に築いた広い人脈から仕事の紹介を受け、一事業として確立する。 現在は飲食業界に特化し、数々の飲食店の集客に尽力し成功している。 一社員から今は現在SNSマーケティングに長けた経営者になった経緯や、今後の目標、夢など話を伺った。 (※1)株式会社キョードー大阪:コンサート・演劇・ミュージカル・落語・スポーツイベント、美術展等様々なエンタテインメントを企画・運営する企業。 自分の足で立ちたい。安定した会社員からの独立 大学卒業後、コンサートや演劇といったイベントの企画・運営に携わる株式会社キョードー大阪に就職した伊藤氏。 そこで7年間広報の仕事に携わる。 広告代理店や取引先企業の方と飲み会やコンパをよく開催していたという。 仕事ではなかったものの「この飲み会では、どんな人や場を提供すれば喜んでもらえるか」を常に考え、人から求められる人材になることを心がけていた伊藤氏。そんな忙しくも安定した環境で着実にキャリアを築いていたが、心機一転、独立へ。 いずれ独立したいという思いはあったのですが、順調だった社会人生活の中で、このまま会社にいては依存してしまうのではないかと不安になったんです。そうなったらおもしろくない人生になりそうだと思ったので、自分の足で立っていきたいと思って退職を決意しました。 キョードー大阪退職後、キャスティングをメインに手掛ける「イトープロダクション」を立ち上げる。 前職のキョードー大阪で知り合った広告代理店からの仕事や、SUMMER SONIC(※2)のステージプロデュースを手掛けるなど自分が楽しいと思える仕事にチャレンジしていった。 ちょうどキョードー大阪でSNSを始めたこともあり、音楽イベントにインフルエンサーを招待するプロモーションにチャレンジしたことを機に、今後ビジネスになるのではないかと思い、個人事業主として本格的に事業をスタート。 キョードー大阪時代の人脈から商業施設から美容室、ラーメン屋まで、様々な業種のクライアントを得て、インフルエンサーマーケティングの先駆けとして活動の場を広げる。 (※2)SUMMER SONIC:毎年8月上旬から中旬の間で2日間、土曜・日曜に千葉・大阪で開催される都市型ロックフェスティバル。略称サマソニ。 右が代表の伊藤司氏 関西一円で飲食事業を手掛ける株式会社未知インターナショナルがプロデュースしたお芋スイーツ店「高級芋菓子しみず」のSNSマーケティングを手掛け、約3年でオフィシャルアカウント28,000フォロワーを獲得。全国への店舗拡大に貢献する。 『高級芋菓子しみず』の広報やSNSをすべて任せていただき、広告費やコストを最適化しながら集客できるサービスを追求していかなければと思いました。成果がしっかり出せたことも嬉しかったのですが、この案件をきっかけに実績が付いて、新たな顧客の紹介というご縁をいただけたことが大きかったと思います。 私の場合は本当に人脈から仕事が広がっていきました。 ブランドを立ち上げた株式会社未知インターナショナルの綱場代表とは、プライベートでもお付き合いさせていただいています。 SNSマーケティングの実績はもちろん、伊藤氏の謙虚さと人柄の良さがあるからこそ、人脈は広がっている。 飲食業界に特化した事業で法人化へ インフルエンサーのキャスティングのほか、SNSマーケティングの案件を進めながらGoogleマップ対策や広告運用などの手法を取り入れたところ、とある飲食店の売上を月1,200万円アップさせ、顧客から賞賛され、伊藤氏自身も自信を深める。 更にMEO対策(※3)など自分なりに、サービスを深堀りして独学で勉強し、より形にしていき、口コミ特化型のGoogleマップ対策ツール「チェックイット」をリリース。1年で約500店舗導入に成功している。 (※3)MEO対策:Googleマップでの上位表示を目指す対策を意味する。 ローカルSEOとも呼ばれ、ビジネス情報や店舗情報を検索アルゴリズムに沿って最適化し、ローカル検索において上位に表示させる仕組みである。 私はもともと勉強が得意ではないんです(笑)。だからリリースしてから修正しながら徐々に形にしていきました。 お客様とは二人三脚で進めさせていただけたのも大きいですね。それでうまく売上や集客アップに成功すれば、別のクライアントを紹介していただける善循環で進んできました。 会社経営を突き詰め、作品を世界へ キョードー大阪時代の経験だけではなく、プライベートでも音楽フェスティバル(以下フェス)が好きという伊藤氏は、国内だけではなく海外の音楽フェスに参加することも多い。 砂漠地帯で開催され、アメリカで人気の高い野外音楽フェス「コーチェラ・フェスティバル」(※3)にも参加し、そのクリエイティブに刺激を受け、ぜひ倭国に持ち込みたいという思いを強く持った。 (※3)コーチェラ・フェスティバル:アメリカ合衆国カリフォルニア州インディオの砂漠地帯“コーアチェラ・バレー”(コロラド砂漠の一角)にて行なわれている野外音楽フェスティバル。世界のフェス・シーズン幕開けの先陣を切る、非常に注目されるフェスティバルでもある。 キョードー大阪に勤務していたころ、歌がすごくうまいのに売れていないアーティストを見て、いいモノは売れてほしいと思ったんです。いずれはまた、音楽フェスのステージのクリエイティブも手掛けたいと思っていますが、まだそのフェーズ(局面)ではありません。 今は、営業や経理、総務などすべて合わせて成り立っている『会社』という複雑で難しい作品づくりを突き詰めたいと思っています。 そしてゆくゆくは音楽フェスなどのリアルイベントや今関わっている飲食に関わる<作品づくり>も手掛け世界に発信したいですね。 社名の「イット」は、クリエイターが“一途”に輝ける世の中にしたいというビジョンから名付けられている。 クリエイターとは、アーティストはもちろん、飲食店などのクライアントや同社の社員たちも含まれている。 すべてのクリエイターが輝ける場所を用意するべく、株式会社イットはこれからも一途に輝き続ける。 株式会社イット 本社:大阪市西区江戸堀1丁目23番26号西八千代ビル4階 オフィシャルサイト:https://www.itto-create.co.jp/ 株式会社イット / 代表取締役 伊藤 司 氏

大阪は西区江戸堀にグルメ系SNSマーケティングに威力を発揮する企業がある。
株式会社イット代表取締役 伊藤 司氏は大学卒業後、株式会社キョードー大阪(※1)に就職し、そこで広報の仕事に従事。その後、独立し、SNSマーケティングを独学で学び、インフルエンサーマーケティング事業を手掛ける。
キョードー大阪時代に築いた広い人脈から仕事の紹介を受け、一事業として確立する。
現在は飲食業界に特化し、数々の飲食店の集客に尽力し成功している。
一社員から今は現在SNSマーケティングに長けた経営者になった経緯や、今後の目標、夢など話を伺った。
(※1)株式会社キョードー大阪:コンサート・演劇・ミュージカル・落語・スポーツイベント、美術展等様々なエンタテインメントを企画・運営する企業。




自分の足で立ちたい。安定した会社員からの独立


大学卒業後、コンサートや演劇といったイベントの企画・運営に携わる株式会社キョードー大阪に就職した伊藤氏。
そこで7年間広報の仕事に携わる。
広告代理店や取引先企業の方と飲み会やコンパをよく開催していたという。
仕事ではなかったものの「この飲み会では、どんな人や場を提供すれば喜んでもらえるか」を常に考え、人から求められる人材になることを心がけていた伊藤氏。そんな忙しくも安定した環境で着実にキャリアを築いていたが、心機一転、独立へ。

いずれ独立したいという思いはあったのですが、順調だった社会人生活の中で、このまま会社にいては依存してしまうのではないかと不安になったんです。そうなったらおもしろくない人生になりそうだと思ったので、自分の足で立っていきたいと思って退職を決意しました。


キョードー大阪退職後、キャスティングをメインに手掛ける「イトープロダクション」を立ち上げる。
前職のキョードー大阪で知り合った広告代理店からの仕事や、SUMMER SONIC(※2)のステージプロデュースを手掛けるなど自分が楽しいと思える仕事にチャレンジしていった。
ちょうどキョードー大阪でSNSを始めたこともあり、音楽イベントにインフルエンサーを招待するプロモーションにチャレンジしたことを機に、今後ビジネスになるのではないかと思い、個人事業主として本格的に事業をスタート。
キョードー大阪時代の人脈から商業施設から美容室、ラーメン屋まで、様々な業種のクライアントを得て、インフルエンサーマーケティングの先駆けとして活動の場を広げる。
(※2)SUMMER SONIC:毎年8月上旬から中旬の間で2日間、土曜・日曜に千葉・大阪で開催される都市型ロックフェスティバル。略称サマソニ。

右が代表の伊藤司氏


関西一円で飲食事業を手掛ける株式会社未知インターナショナルがプロデュースしたお芋スイーツ店「高級芋菓子しみず」のSNSマーケティングを手掛け、約3年でオフィシャルアカウント28,000フォロワーを獲得。全国への店舗拡大に貢献する。

『高級芋菓子しみず』の広報やSNSをすべて任せていただき、広告費やコストを最適化しながら集客できるサービスを追求していかなければと思いました。成果がしっかり出せたことも嬉しかったのですが、この案件をきっかけに実績が付いて、新たな顧客の紹介というご縁をいただけたことが大きかったと思います。
私の場合は本当に人脈から仕事が広がっていきました。
ブランドを立ち上げた株式会社未知インターナショナルの綱場代表とは、プライベートでもお付き合いさせていただいています。

SNSマーケティングの実績はもちろん、伊藤氏の謙虚さと人柄の良さがあるからこそ、人脈は広がっている。




飲食業界に特化した事業で法人化へ


インフルエンサーのキャスティングのほか、SNSマーケティングの案件を進めながらGoogleマップ対策や広告運用などの手法を取り入れたところ、とある飲食店の売上を月1,200万円アップさせ、顧客から賞賛され、伊藤氏自身も自信を深める。
更にMEO対策(※3)など自分なりに、サービスを深堀りして独学で勉強し、より形にしていき、口コミ特化型のGoogleマップ対策ツール「チェックイット」をリリース。1年で約500店舗導入に成功している。
(※3)MEO対策:Googleマップでの上位表示を目指す対策を意味する。 ローカルSEOとも呼ばれ、ビジネス情報や店舗情報を検索アルゴリズムに沿って最適化し、ローカル検索において上位に表示させる仕組みである。




私はもともと勉強が得意ではないんです(笑)。だからリリースしてから修正しながら徐々に形にしていきました。
お客様とは二人三脚で進めさせていただけたのも大きいですね。それでうまく売上や集客アップに成功すれば、別のクライアントを紹介していただける善循環で進んできました。



会社経営を突き詰め、作品を世界へ


キョードー大阪時代の経験だけではなく、プライベートでも音楽フェスティバル(以下フェス)が好きという伊藤氏は、国内だけではなく海外の音楽フェスに参加することも多い。
砂漠地帯で開催され、アメリカで人気の高い野外音楽フェス「コーチェラ・フェスティバル」(※3)にも参加し、そのクリエイティブに刺激を受け、ぜひ倭国に持ち込みたいという思いを強く持った。
(※3)コーチェラ・フェスティバル:アメリカ合衆国カリフォルニア州インディオの砂漠地帯“コーアチェラ・バレー”(コロラド砂漠の一角)にて行なわれている野外音楽フェスティバル。世界のフェス・シーズン幕開けの先陣を切る、非常に注目されるフェスティバルでもある。




キョードー大阪に勤務していたころ、歌がすごくうまいのに売れていないアーティストを見て、いいモノは売れてほしいと思ったんです。いずれはまた、音楽フェスのステージのクリエイティブも手掛けたいと思っていますが、まだそのフェーズ(局面)ではありません。
今は、営業や経理、総務などすべて合わせて成り立っている『会社』という複雑で難しい作品づくりを突き詰めたいと思っています。
そしてゆくゆくは音楽フェスなどのリアルイベントや今関わっている飲食に関わる<作品づくり>も手掛け世界に発信したいですね。


社名の「イット」は、クリエイターが“一途”に輝ける世の中にしたいというビジョンから名付けられている。
クリエイターとは、アーティストはもちろん、飲食店などのクライアントや同社の社員たちも含まれている。
すべてのクリエイターが輝ける場所を用意するべく、株式会社イットはこれからも一途に輝き続ける。





株式会社イット
本社:大阪市西区江戸堀1丁目23番26号西八千代ビル4階
オフィシャルサイト:https://www.itto-create.co.jp/



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大阪市西区 情報・教育・サービス 新着 オオサカジン運営事務局 2024-05-17T09:30:00+09:00
社長インタビュー https://fewy.waihui.online/e760453.html 株式会社ふじや 株式会社法善寺あられ 代表取締役社長 園田伸一郎 氏 地下鉄心斎橋駅を出て、心斎橋筋北商店街を北に向かって歩くとすぐの角にある、あられ屋さん。といえば、多くの大阪の人の目には店先に賑やかにあられやおかきが並べられた、あの光景が広がることだろう。そのお店とは、法善寺あられ心斎橋本店だ。 創業は大正9(1920)年に遡り、歴史は100年を越えた。出発は、珍味を取り扱う商店。戦後からしばらくが経った昭和28(1953)年にあられの生産を始め、それと同時に法善寺横丁の向かいに店を構える。「法善寺あられ」の名は、当時店舗があった場所から付けられた。今や大阪を代表する銘菓を手がけるのが、大阪市西区の堀江に本社を構える株式会社ふじや。現在は4代目となる園田伸一郎氏が、代表取締役 社長を務めている。 もともとは、私の父がこの会社に勤めていました。当時は3代目社長が経理全般を担当し、取締役専務の父が営業を取り仕切っていたんです。私は畑違いの職場で仕事をしていたのですが、当初アルバイトとして入社して社員になりました。そこから30年以上になりますね 4代目社長は、創業家に血縁のない人物 長い歴史を重ねてきた企業であれば代々、創業家に血縁のある者が後を継いでいくケースが多い。だが、園田氏はそうではない。 私はこの会社に入ってずっと営業部門で働いていたのですが、3代目が社長の座を退いて会長になることになって、その際自分に『4代目社長就任』のお声掛けをいただき、2022年の6月、正式に社長におもむくこととなりました 創業家の血筋で、3代続いた会社を受け継ぐ。そのことに対するプレッシャーは、相当なものだったという。 先ほども申しましたように、私の父親が営業部門の責任者で、私に対しては息子ということもあってすごく厳しかったんです。今、考えればそれが愛の鞭だったとは思います。どちらかといえば昔気質のワンマンなタイプで、私だけではなく、周りも父親が『こうや!』と言えばだれもノーと言えない環境でした。そうやって30年以上いっしょに仕事をしてきましたが、父親は顧問になって一線を離れ、前社長も会長になって経営から退く。経営陣がまったく違う人間になって、新たなふじや社に変わることになります。それに私が社長に就任した時期は、まだコロナ禍の影響も尾を引いていましたし、正直不安でしかなかったですね 株式会社ふじやは、2024年4月から72期を迎えた。これを80期、100期と続けていけるようにすることが自分の使命と捉え、園田氏は社に変革の手を入れる。 歴史の長い会社ですから、継承していくべきことは多くあります。ですがその一方で父や先代から長く引っ張ってきた古い部分もあり、会社の体質として時代にマッチしていないところも残っています。ですからそれを変えるための新たな取り組みに、まずは手を付けました 具体的にはコンピュータによる基幹システムを入れ替え、社としての関心度が低く、脆弱だったネット環境のセキュリティも最新のものに更新。全従業員にスマートフォンを支給し、一部の営業マンにはノートパソコンを導入するなど、現代の環境に対応できるよう、まずはインフラ整備から始めた。いわば長い歴史を刻んできた看板はそのままに、中身は令和仕様にアップデートしたのだ 本社を始め工場・物流センター・本店の電話回線も今の時代に対応したものに入れ替えました。それに本社のオフィスは私が入社してから30年以上、なにひとつ変わっていなかったんです。みんな、これが当たり前だと思っていたんでしょう。だけど今は決まった席ではなく、フリーアドレスで仕事をする時代じゃないですか。オフィスも改革して、従業員さんがより力を出せるような働きやすい職場に変えていきたいなと考え、徐々に改善している状況ですね 社歴が長い社員のなかには、変革に難色を示す者がいなかったわけではない。そこで園田氏は剛腕を振るうのではなく、丁寧に対話を重ねながら理解を求めていった。 実は父親のワンマンぶりが、私はすごく嫌だったんです。だれも歯向かえないから、みんな自分の意見を言わなくなる。今も少数精鋭でよく頑張ってくれている従業員さんばかりなので、私はともに話し合ってやっていくべきだと思うんです。かつての社風を徐々に変えていき、個々の意見を大事にし、やる気を出して自由に働ける企業に変えていきたいと考えています 変えるべきを変え、守るべきを守る 変えないといけないものに手を入れながら、守るべきは守る。そのひとつで主たるものは、原材料や製法にこだわった製品作り。 原材料は契約農家さんにお願いして、減農薬栽培した米も使用して精米から焼きまで一貫して、弊社の職人が自社工場で作っているんです。製法に関しては品質が変わらない部分は機械を用いて、省力化を図っています。ですが、弊社のいちばんのヒット商品である『鬼サラダ』は昔ながらの製法を守らないと、触感や味が変わってしまう。そういったところは製品のクオリティを第一に考えて、昔からの作り方を守り続けています そうして伝統を守りながらも、時とともに時代は移ろいでいく。ふじや社がこれからも歴史を重ね続けていくためには定番品だけではなく、時代に合わせた商品が求められることも認知している。 新商品の開発も、もちろん行っています。以前から販売していた『海鮮あられ』を、インバウンドのお客様向けに改良しているのもそのひとつですね。それだけではなく、次の定番品になるような商品も必要だと考えています。弊社の商品をご購入いただく方は、完全に40~70代の女性が中心なんです。つまりそれ以外の、たとえば30代以下の世代に向けてのアプローチは、今の課題ですね。より購入しやすい価格で、なおかつパッケージデザインも工夫して、OLさんのハンドバッグのなかに入っているようなイメージの新商品を開発して5月から販売します。ほかにも20~30代のサラリーマンの方が、たとえば出張で新幹線に乗って、車内でちょっとしたお酒のおつまみになるような新商品にもなります 歴史と革新が融合したとき、あらたな「ふじや」が生まれる 社内の環境改善を図り、同時に次の時代に向けた新商品開発。就任からわずか2年ほどながら、4代目は精力的に動いている。次に目指すのは、商品の全国展開。 今後いちばんのメインになってくるのは、『法善寺あられ』をはじめとした商品の全国展開ですね。そのためにはマーケティングや他社さんとの差別化が必要ですが、そこは弊社がこれから強化していかないといけないところです。SNSを活用するのがいいのか、あるいは別の方法があるのか。そこをどうしていくかは私の課題であり、会社全体の課題でもあると認識しています。例えば「大阪みやげといえば、法善寺あられ!」のポジション獲得です 創業者一族から経営者が替わり、なおかつ時代も変わった、現在のふじや社は、いわば第2創業期にあるといえるだろう。 そうですね。これまでは順調に売り上げを伸ばしていましたが、今はそれが鈍ってきているのは否めません。だからこそ、ここからがステップアップしていくタイミングだと思いますし、そのためにいろんなことにチャレンジしていこうと考えています 園田氏は昭和の風土が根強く残っていた社風を改善するべく動き、社員がモノを言え、社もその声を有機的に活用する環境に変えようとしている。それは一朝一夕に果たされないかもしれないが、やり続けることで必ずや成果を実らせるはずだ。そのときに本当の意味で歴史と革新が融合した新たなふじや社・法善寺あられが誕生し、そこからまた魅力的な商品が届けられることだろう。 株式会社ふじや 株式会社法善寺あられ 本社:大阪市西区北堀江1丁目4番12号 オフィシャルサイト:https://fujiya-houzenjiarare.co.jp/ 株式会社ふじや 株式会社法善寺あられ 代表取締役社長 園田伸一郎 氏

地下鉄心斎橋駅を出て、心斎橋筋北商店街を北に向かって歩くとすぐの角にある、あられ屋さん。といえば、多くの大阪の人の目には店先に賑やかにあられやおかきが並べられた、あの光景が広がることだろう。そのお店とは、法善寺あられ心斎橋本店だ。

創業は大正9(1920)年に遡り、歴史は100年を越えた。出発は、珍味を取り扱う商店。戦後からしばらくが経った昭和28(1953)年にあられの生産を始め、それと同時に法善寺横丁の向かいに店を構える。「法善寺あられ」の名は、当時店舗があった場所から付けられた。今や大阪を代表する銘菓を手がけるのが、大阪市西区の堀江に本社を構える株式会社ふじや。現在は4代目となる園田伸一郎氏が、代表取締役 社長を務めている。



もともとは、私の父がこの会社に勤めていました。当時は3代目社長が経理全般を担当し、取締役専務の父が営業を取り仕切っていたんです。私は畑違いの職場で仕事をしていたのですが、当初アルバイトとして入社して社員になりました。そこから30年以上になりますね



4代目社長は、創業家に血縁のない人物



長い歴史を重ねてきた企業であれば代々、創業家に血縁のある者が後を継いでいくケースが多い。だが、園田氏はそうではない。

私はこの会社に入ってずっと営業部門で働いていたのですが、3代目が社長の座を退いて会長になることになって、その際自分に『4代目社長就任』のお声掛けをいただき、2022年の6月、正式に社長におもむくこととなりました

創業家の血筋で、3代続いた会社を受け継ぐ。そのことに対するプレッシャーは、相当なものだったという。
先ほども申しましたように、私の父親が営業部門の責任者で、私に対しては息子ということもあってすごく厳しかったんです。今、考えればそれが愛の鞭だったとは思います。どちらかといえば昔気質のワンマンなタイプで、私だけではなく、周りも父親が『こうや!』と言えばだれもノーと言えない環境でした。そうやって30年以上いっしょに仕事をしてきましたが、父親は顧問になって一線を離れ、前社長も会長になって経営から退く。経営陣がまったく違う人間になって、新たなふじや社に変わることになります。それに私が社長に就任した時期は、まだコロナ禍の影響も尾を引いていましたし、正直不安でしかなかったですね


株式会社ふじやは、2024年4月から72期を迎えた。これを80期、100期と続けていけるようにすることが自分の使命と捉え、園田氏は社に変革の手を入れる。



歴史の長い会社ですから、継承していくべきことは多くあります。ですがその一方で父や先代から長く引っ張ってきた古い部分もあり、会社の体質として時代にマッチしていないところも残っています。ですからそれを変えるための新たな取り組みに、まずは手を付けました


具体的にはコンピュータによる基幹システムを入れ替え、社としての関心度が低く、脆弱だったネット環境のセキュリティも最新のものに更新。全従業員にスマートフォンを支給し、一部の営業マンにはノートパソコンを導入するなど、現代の環境に対応できるよう、まずはインフラ整備から始めた。いわば長い歴史を刻んできた看板はそのままに、中身は令和仕様にアップデートしたのだ

本社を始め工場・物流センター・本店の電話回線も今の時代に対応したものに入れ替えました。それに本社のオフィスは私が入社してから30年以上、なにひとつ変わっていなかったんです。みんな、これが当たり前だと思っていたんでしょう。だけど今は決まった席ではなく、フリーアドレスで仕事をする時代じゃないですか。オフィスも改革して、従業員さんがより力を出せるような働きやすい職場に変えていきたいなと考え、徐々に改善している状況ですね

社歴が長い社員のなかには、変革に難色を示す者がいなかったわけではない。そこで園田氏は剛腕を振るうのではなく、丁寧に対話を重ねながら理解を求めていった。

実は父親のワンマンぶりが、私はすごく嫌だったんです。だれも歯向かえないから、みんな自分の意見を言わなくなる。今も少数精鋭でよく頑張ってくれている従業員さんばかりなので、私はともに話し合ってやっていくべきだと思うんです。かつての社風を徐々に変えていき、個々の意見を大事にし、やる気を出して自由に働ける企業に変えていきたいと考えています



変えるべきを変え、守るべきを守る



変えないといけないものに手を入れながら、守るべきは守る。そのひとつで主たるものは、原材料や製法にこだわった製品作り



原材料は契約農家さんにお願いして、減農薬栽培した米も使用して精米から焼きまで一貫して、弊社の職人が自社工場で作っているんです。製法に関しては品質が変わらない部分は機械を用いて、省力化を図っています。ですが、弊社のいちばんのヒット商品である『鬼サラダ』は昔ながらの製法を守らないと、触感や味が変わってしまう。そういったところは製品のクオリティを第一に考えて、昔からの作り方を守り続けています



そうして伝統を守りながらも、時とともに時代は移ろいでいく。ふじや社がこれからも歴史を重ね続けていくためには定番品だけではなく、時代に合わせた商品が求められることも認知している。

新商品の開発も、もちろん行っています。以前から販売していた『海鮮あられ』を、インバウンドのお客様向けに改良しているのもそのひとつですね。それだけではなく、次の定番品になるような商品も必要だと考えています。弊社の商品をご購入いただく方は、完全に40~70代の女性が中心なんです。つまりそれ以外の、たとえば30代以下の世代に向けてのアプローチは、今の課題ですね。より購入しやすい価格で、なおかつパッケージデザインも工夫して、OLさんのハンドバッグのなかに入っているようなイメージの新商品を開発して5月から販売します。ほかにも20~30代のサラリーマンの方が、たとえば出張で新幹線に乗って、車内でちょっとしたお酒のおつまみになるような新商品にもなります




歴史と革新が融合したとき、あらたな「ふじや」が生まれる



社内の環境改善を図り、同時に次の時代に向けた新商品開発。就任からわずか2年ほどながら、4代目は精力的に動いている。次に目指すのは、商品の全国展開



今後いちばんのメインになってくるのは、『法善寺あられ』をはじめとした商品の全国展開ですね。そのためにはマーケティングや他社さんとの差別化が必要ですが、そこは弊社がこれから強化していかないといけないところです。SNSを活用するのがいいのか、あるいは別の方法があるのか。そこをどうしていくかは私の課題であり、会社全体の課題でもあると認識しています。例えば「大阪みやげといえば、法善寺あられ!」のポジション獲得です





創業者一族から経営者が替わり、なおかつ時代も変わった、現在のふじや社は、いわば第2創業期にあるといえるだろう。

そうですね。これまでは順調に売り上げを伸ばしていましたが、今はそれが鈍ってきているのは否めません。だからこそ、ここからがステップアップしていくタイミングだと思いますし、そのためにいろんなことにチャレンジしていこうと考えています


園田氏は昭和の風土が根強く残っていた社風を改善するべく動き、社員がモノを言え、社もその声を有機的に活用する環境に変えようとしている。それは一朝一夕に果たされないかもしれないが、やり続けることで必ずや成果を実らせるはずだ。そのときに本当の意味で歴史と革新が融合した新たなふじや社・法善寺あられが誕生し、そこからまた魅力的な商品が届けられることだろう。

株式会社ふじや 株式会社法善寺あられ
本社:大阪市西区北堀江1丁目4番12号
オフィシャルサイト:https://fujiya-houzenjiarare.co.jp/

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大阪市中央区 大阪市西区 メーカー 小売・流通 新着 オオサカジン運営事務局 2024-05-10T09:30:00+09:00
社長インタビュー https://fewy.waihui.online/e759324.html 株式会社COFFISO 代表取締役 白﨑誠志朗氏 一般的に「就職活動」と言われて想像するのは、大学生もしくは中途採用者による就活ではないでしょうか。しかし、倭国には「高卒での就職活動」というパターンもあります。 令和5年度学校基本統計によれば大学への進学率は84%という高い数字を記録していますが、その一方で高校生の新卒(以下:高卒)での就職を選ぶ学生も少なからず存在しているのです。 そんな高卒での就職を応援する事業を展開しているのが、株式会社COFFISOのサービス「高チャレ」。関西で大きなシェアを誇る高卒採用支援サービスとして、唯一無二の存在となっています。 果たしてこの高チャレはいかなる狙いを持った、どのようなサービスなのか。そして高校生の就職に関する課題とは。COFFISOの代表取締役である白﨑誠志朗氏にお話を聞いてみました。 高校生へのキャリア教育・就職情報提供で、関西NO.1のシェアを獲得 現在、COFFISOのメイン事業となっている高チャレ。このサービスが生まれるきっかけは、白﨑氏の「教育」に対する強い思いでした。 教育に関わりたい、教育事業をしたいという気持ちがずっとあったんですよ。若い子がどんどんいろんな経験をして、社会に出て活躍できればいいと思っていたんで。新卒で入った会社では大学生向けの就職支援をしていたんですが、起業してからはバッティングを避ける意味もあって高校生の就職支援に進みました。 高チャレのメイン事業のひとつが、高校生に対するキャリア教育。 就職に必要な心構えや自己分析の方法・制服の着こなしや面接のマナーなど実践的なテクニック、さらに企業情報が掲載された就活情報冊子を発行し、これを元にして高校生たちに就職のために必要な情報と教育を提供しています。 学校によっては一年生の時から関わらせていただいたり、業界研究会ということで様々な業種の企業に集まってもらい、一社ずつ話を聞いてもらったりなど、各学校に働きかけています。 各学校でプログラムは違うのですが、高チャレの冊子については600校以上・関西の高校の約8割に使ってもらっています。この冊子を使って先生が高校生に教えるケースもあるし、弊社のメンバーが講演に行く場合もあります。教員や学校によってプログラムを変えつつ、教育の手助けを行っています。 冊子の表紙は鮮やかな黄色で統一。そこにも、白﨑氏たちが込めた想いが反映されています。 高チャレ表紙を黄色にした理由は、自分に光を当てて欲しいという気持ちからです。就職する時って、自己主張しながら自分の進む道について、考えないといけないタイミングじゃないですか。その選択をする時に、一人一人の個性を輝かせるスポットライトの色……というイメージです。 めちゃくちゃ派手な色なんですけど、派手でもいいからボロボロになるまで使ってもらえる冊子を作ろうというコンセプトですね。 「高校生の就職」に関する根深い問題とは 現在高チャレでは、就職する高校生、生徒を送り出す高校、採用する企業という三者に向けた働きかけを行っています。そこには、大学生の就職活動とは大きく異なる、高校生の就職活動ならではの事情があると、白﨑氏は語ります。 大学生って、大学院に進学しなかったらほぼ絶対就職しないといけないですよね。でも、高校生が就職する理由って、進学できなかったからとか、親との関係とか、大学に行く意味がないからとか、多種多様なんです。モチベーションは人それぞれですが、絶対社会に出なくちゃいけないというプレッシャーは大学生より低いですね。 だから本当に危機感がないし、『何かこういう仕事をやってみたい』という気持ちすらないこともあって。 彼らは本当に何気なく生きているんです。だから、高卒で就職した人って、圧倒的に1年以内、もっというと最初の1ヶ月以内で退職してしまう子が多いのが事実です。事前にしっかり会社を調べないから、早期離職に繋がるんです。 高校生特有の「就職に関するモチベーションの低さ、そして高校生の就職に関する厳しい環境が生み出すのが、教員への依存だ」と白﨑氏は話します。現状、高卒での就職は高校三年生の7月1日から開始され、9月の二週目あたりから面接が始まるというスケジュールです。オンラインでの受付などはなく、学校に持ち込まれた紙の求人票を確認した後、ハローワークを通じて学校推薦で企業へ連絡をとるという形が一般的です。 しかも、都道府県にはよりますが基本的に面接を受けられるのは一人一社で、内定が出た場合にはよほどのことがなければ辞退することができません。大学生の就職活動に比べると、非常に窮屈かつ情報不足の状態で進めなくてはならないのが、高校生の就職活動です。そして、自由度が低く情報も不足しがちな高校生の就職の仕組みは、教員への依存を生みやすいのです。 『高校生は学業優先』という考えがあって、就職の際は学校推薦でというルートが決められているんです。だから、どういう教員に当たるかが就職の良し悪しを大きく左右します。 今の高校生の就職って、教員が求人票を持ってきて『○○くんの性格やったらこの企業が合うやん。ここ行ったら?』と言ってきて、高校生がそれに言われるがままに従う……というケースが大半なんです。 『いい大学に入ったらいい会社に入れる』 って、今では全然常識じゃないと思います。でも、一度も社会に出てない教員の中には、未だにそれが正しいと思っている教員も多い。 そんな教員が保護者みたいになってて、 『○○君はここに就職すればいい人生になるから』 とって、高校生の人生を閉ざすような教育をしている。そこが私の中でネックになってます。高校生たちは、自分で考える時間や力がまだ備わっていないにも関わらず、そのために必要な取り組みを学ぶ余裕が無いんです。 しかし、現場の教員達は教育以外の業務で手がいっぱいで長年の仕組みを変えることが難しいのが現状です。そのため、生徒にキャリア教育を含めたアクションを起こす余裕がこれ以上確保できず、企業が学校に持ち込んだ紙の求人票をファイルで見ることしかできないんです。なので、私たち高チャレでは、キャリア教育などを行い、自分の力で将来を選択できる機会を提供する取り組みを行っています。 企業から高校生に対する需要は年々増加。世の中全体が人手不足、なおかつ少子化や雇用の多様化で新卒の大学生を採用することが難しくなる中、大卒より高校生を求める企業も出てきています。 一方で、企業から学校への働きかけについても、現状は教員への依存を生みやすい形になっていると白﨑氏は指摘します。 今って、高校生に来てほしいと思っている企業が増えているんです。でも、既定路線の採用方法では企業が学校を訪問して求人票を渡して、それを教員が高校生に紹介する形になっています。手元に求人を握っていることになるので、教員が困ったり焦ったりしないんです。だから異様な形で高校生に就職先を紹介して、その結果離職してしまう。企業と学校との付き合い方を、根本的に変えないといけません。 高校生・学校・企業への働きかけで、自由な就職環境を目指す 複雑な高校生の就職に関する問題。これを解決するため、白﨑氏は高チャレの事業を通じて働きかけを続けています。 継続的な情報発信は続けています。教育の現場の人達だけではなく、政治が絡んだ話にもなってくるんで、とにかくいろんな立場の人達に対して『変えないといけませんよ』というメッセージを継続して発信して、仲間を増やしています。例えば、教育委員会とかに対してもずっと働きかけています。 『このままでいいじゃん』『波風立てんといて』という人は絶対にいます。また、教育現場はとにかく縦割りがすごいので、教育委員会と校長会とキャリア教育の部長会で全部意見がバラバラで、しかもそれぞれが責任を取らなくていいようにたらい回しにされることも多々あります。 でも、こういう状態には誰かがメスを入れないといけないんです。幸い、今の弊社のメンバーはこれらの問題点に対してしっかり切り込んでくれています。 高チャレの最終的なミッションは、「高校生も大学生みたいな自由な就職環境を作ること」であると語る白﨑氏。情報を潤沢に手に入れて、自分の理想に近い就職をできるようにする。そのためのインフラを作ることが、現在の課題だそうです。 これをやれば絶対にいい人生が歩めるという方法はありません。しかし、若いうちには、とにかくいろんな人に会っていろんな経験をしてほしい。そうすればいい人生を歩める可能性は上がるはず。これは私がずっと発信していることでもあります。 高校生の就職活動を変えるためには、学校と企業と高校生が足並みを揃えて、同じペースで変化しなければならないんです。大変なことですが、これを変えることができたら社会的なインパクトは強いと思っています。 ブラックボックスだらけだという高校生の就職活動。その状況を改善することは、当事者の高校生のみならず倭国の就労環境や各種産業そのものにとっても大きなプラスになるはず。そんな未来を信じて、高チャレと白﨑氏は今日も走り続けています。 株式会社COFFISO 本社:〒543-0001 大阪府大阪市天王寺区上本町6丁目9-14上本町ビル5F オフィシャルサイト:https://coffiso.jp/ 高チャレTV:https://koucharetv.jp/ 株式会社COFFISO 代表取締役 白﨑誠志朗氏



一般的に「就職活動」と言われて想像するのは、大学生もしくは中途採用者による就活ではないでしょうか。しかし、倭国には「高卒での就職活動」というパターンもあります。
令和5年度学校基本統計によれば大学への進学率は84%という高い数字を記録していますが、その一方で高校生の新卒(以下:高卒)での就職を選ぶ学生も少なからず存在しているのです。



そんな高卒での就職を応援する事業を展開しているのが、株式会社COFFISOのサービス「高チャレ」。関西で大きなシェアを誇る高卒採用支援サービスとして、唯一無二の存在となっています。

果たしてこの高チャレはいかなる狙いを持った、どのようなサービスなのか。そして高校生の就職に関する課題とは。COFFISOの代表取締役である白﨑誠志朗氏にお話を聞いてみました。

高校生へのキャリア教育・就職情報提供で、関西NO.1のシェアを獲得


現在、COFFISOのメイン事業となっている高チャレ。このサービスが生まれるきっかけは、白﨑氏の「教育」に対する強い思いでした。

教育に関わりたい、教育事業をしたいという気持ちがずっとあったんですよ。若い子がどんどんいろんな経験をして、社会に出て活躍できればいいと思っていたんで。新卒で入った会社では大学生向けの就職支援をしていたんですが、起業してからはバッティングを避ける意味もあって高校生の就職支援に進みました。




高チャレのメイン事業のひとつが、高校生に対するキャリア教育。
就職に必要な心構えや自己分析の方法・制服の着こなしや面接のマナーなど実践的なテクニック、さらに企業情報が掲載された就活情報冊子を発行し、これを元にして高校生たちに就職のために必要な情報と教育を提供しています。

学校によっては一年生の時から関わらせていただいたり、業界研究会ということで様々な業種の企業に集まってもらい、一社ずつ話を聞いてもらったりなど、各学校に働きかけています。

各学校でプログラムは違うのですが、高チャレの冊子については600校以上・関西の高校の約8割に使ってもらっています。この冊子を使って先生が高校生に教えるケースもあるし、弊社のメンバーが講演に行く場合もあります。教員や学校によってプログラムを変えつつ、教育の手助けを行っています。



冊子の表紙は鮮やかな黄色で統一。そこにも、白﨑氏たちが込めた想いが反映されています。

高チャレ表紙を黄色にした理由は、自分に光を当てて欲しいという気持ちからです。就職する時って、自己主張しながら自分の進む道について、考えないといけないタイミングじゃないですか。その選択をする時に、一人一人の個性を輝かせるスポットライトの色……というイメージです。
めちゃくちゃ派手な色なんですけど、派手でもいいからボロボロになるまで使ってもらえる冊子を作ろうというコンセプトですね。


「高校生の就職」に関する根深い問題とは



現在高チャレでは、就職する高校生、生徒を送り出す高校、採用する企業という三者に向けた働きかけを行っています。そこには、大学生の就職活動とは大きく異なる、高校生の就職活動ならではの事情があると、白﨑氏は語ります。

大学生って、大学院に進学しなかったらほぼ絶対就職しないといけないですよね。でも、高校生が就職する理由って、進学できなかったからとか、親との関係とか、大学に行く意味がないからとか、多種多様なんです。モチベーションは人それぞれですが、絶対社会に出なくちゃいけないというプレッシャーは大学生より低いですね。


だから本当に危機感がないし、『何かこういう仕事をやってみたい』という気持ちすらないこともあって。
彼らは本当に何気なく生きているんです。だから、高卒で就職した人って、圧倒的に1年以内、もっというと最初の1ヶ月以内で退職してしまう子が多いのが事実です。事前にしっかり会社を調べないから、早期離職に繋がるんです。


高校生特有の「就職に関するモチベーションの低さ、そして高校生の就職に関する厳しい環境が生み出すのが、教員への依存だ」と白﨑氏は話します。現状、高卒での就職は高校三年生の7月1日から開始され、9月の二週目あたりから面接が始まるというスケジュールです。オンラインでの受付などはなく、学校に持ち込まれた紙の求人票を確認した後、ハローワークを通じて学校推薦で企業へ連絡をとるという形が一般的です。

しかも、都道府県にはよりますが基本的に面接を受けられるのは一人一社で、内定が出た場合にはよほどのことがなければ辞退することができません。大学生の就職活動に比べると、非常に窮屈かつ情報不足の状態で進めなくてはならないのが、高校生の就職活動です。そして、自由度が低く情報も不足しがちな高校生の就職の仕組みは、教員への依存を生みやすいのです。

『高校生は学業優先』という考えがあって、就職の際は学校推薦でというルートが決められているんです。だから、どういう教員に当たるかが就職の良し悪しを大きく左右します。
今の高校生の就職って、教員が求人票を持ってきて『○○くんの性格やったらこの企業が合うやん。ここ行ったら?』と言ってきて、高校生がそれに言われるがままに従う……というケースが大半なんです。


『いい大学に入ったらいい会社に入れる』 って、今では全然常識じゃないと思います。でも、一度も社会に出てない教員の中には、未だにそれが正しいと思っている教員も多い。 そんな教員が保護者みたいになってて、 『○○君はここに就職すればいい人生になるから』 とって、高校生の人生を閉ざすような教育をしている。そこが私の中でネックになってます。高校生たちは、自分で考える時間や力がまだ備わっていないにも関わらず、そのために必要な取り組みを学ぶ余裕が無いんです。
しかし、現場の教員達は教育以外の業務で手がいっぱいで長年の仕組みを変えることが難しいのが現状です。そのため、生徒にキャリア教育を含めたアクションを起こす余裕がこれ以上確保できず、企業が学校に持ち込んだ紙の求人票をファイルで見ることしかできないんです。なので、私たち高チャレでは、キャリア教育などを行い、自分の力で将来を選択できる機会を提供する取り組みを行っています。




企業から高校生に対する需要は年々増加。世の中全体が人手不足、なおかつ少子化や雇用の多様化で新卒の大学生を採用することが難しくなる中、大卒より高校生を求める企業も出てきています。

一方で、企業から学校への働きかけについても、現状は教員への依存を生みやすい形になっていると白﨑氏は指摘します。

今って、高校生に来てほしいと思っている企業が増えているんです。でも、既定路線の採用方法では企業が学校を訪問して求人票を渡して、それを教員が高校生に紹介する形になっています。手元に求人を握っていることになるので、教員が困ったり焦ったりしないんです。だから異様な形で高校生に就職先を紹介して、その結果離職してしまう。企業と学校との付き合い方を、根本的に変えないといけません。


高校生・学校・企業への働きかけで、自由な就職環境を目指す



複雑な高校生の就職に関する問題。これを解決するため、白﨑氏は高チャレの事業を通じて働きかけを続けています。

継続的な情報発信は続けています。教育の現場の人達だけではなく、政治が絡んだ話にもなってくるんで、とにかくいろんな立場の人達に対して『変えないといけませんよ』というメッセージを継続して発信して、仲間を増やしています。例えば、教育委員会とかに対してもずっと働きかけています。


『このままでいいじゃん』『波風立てんといて』という人は絶対にいます。また、教育現場はとにかく縦割りがすごいので、教育委員会と校長会とキャリア教育の部長会で全部意見がバラバラで、しかもそれぞれが責任を取らなくていいようにたらい回しにされることも多々あります。
でも、こういう状態には誰かがメスを入れないといけないんです。幸い、今の弊社のメンバーはこれらの問題点に対してしっかり切り込んでくれています。




高チャレの最終的なミッションは、「高校生も大学生みたいな自由な就職環境を作ること」であると語る白﨑氏。情報を潤沢に手に入れて、自分の理想に近い就職をできるようにする。そのためのインフラを作ることが、現在の課題だそうです。

これをやれば絶対にいい人生が歩めるという方法はありません。しかし、若いうちには、とにかくいろんな人に会っていろんな経験をしてほしい。そうすればいい人生を歩める可能性は上がるはず。これは私がずっと発信していることでもあります。


高校生の就職活動を変えるためには、学校と企業と高校生が足並みを揃えて、同じペースで変化しなければならないんです。大変なことですが、これを変えることができたら社会的なインパクトは強いと思っています。


ブラックボックスだらけだという高校生の就職活動。その状況を改善することは、当事者の高校生のみならず倭国の就労環境や各種産業そのものにとっても大きなプラスになるはず。そんな未来を信じて、高チャレと白﨑氏は今日も走り続けています。

株式会社COFFISO
本社:〒543-0001 大阪府大阪市天王寺区上本町6丁目9-14上本町ビル5F
オフィシャルサイト:https://coffiso.jp/
高チャレTV:https://koucharetv.jp/

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大阪市天王寺区 情報・教育・サービス 人財・HR 新着 オオサカジン運営事務局 2024-04-26T09:30:00+09:00
社長インタビュー https://fewy.waihui.online/e761444.html ※実際に納品させていただいた動画です。



※実際に納品させていただいた動画です。










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編集部 ピックアップ オオサカジン運営事務局 2024-04-25T12:27:51+09:00
社長インタビュー https://fewy.waihui.online/e760239.html 日世通商株式会社 / 代表取締役 平野浩一 氏 大阪市中央区に本社を構える日世通商株式会社は、鉄鋼製品を取り扱う鉄鋼商社として1998年に創業した。社を興したのは、現在も代表取締役を務める平野浩一氏。学校を卒業後に鉄鋼商社に入社したのが、この世界に足を踏み入れるきっかけだった。とはいっても、もともと鉄鋼業界を志望していたわけではなかったのだという。 たまたま、なんですよ(笑)。入った会社が鉄鋼関係で、なんか面白そうだなとは思っていました。でも本当に、ただそれだけでしたね 深い動機があって入社したわけではなかったが、仕事は面白かった。経験を積み重ねるうちに実績を上げ、業界内でも認められる存在になっていった。しかし入社から15年が経ったところで、突然に会社が解散する。同業他社からの誘いもあったが、平野氏は一念発起して独立の道を選んだ。 自分で新しい道を拓いていくのが、好きだったんです。前職でも海外輸出などの道を、自分で拓いていっていました。そんなこともあって私についてくれているユーザーさんもいましたし、独立してもなんとかやっていけるのではないかと思いましたね とはいえ鉄鋼を扱うとなれば、大きな額の資金が必要になる。先日までいち会社員だった人間にとって、鉄鋼業界での創業はそう簡単なものではない。そんな創業期を支えたのは、周りからの温かい支援。 鉄鋼は、お金のかかるビジネスなんです。当時の私は資本金があるわけでも、だれかから引き継いだものがあったわけでもありませんでした。そんな状態でも仲間のみなさんや取引先のみなさんが与信の肩代わりをしてくれたりと、すごく助けてくれたんです。あの当時のことは、今でも忘れないですね。みなさんとは、今でもお付き合いをさせていただいています。人とのつながりがあったからこそ、立ち上がりが上手くいったんだと思います 個人で鉄鋼業界に乗り出すためには、資金以外にも難関があった。今も大きく変わってはいないが、鉄鋼は大手による寡占状態にある。ここに船を漕ぎ出すために平野氏がとったのは、実直な手法だった。 小さい規模から始めるにあたって、最初に考えたのはどうやって周りと差別化するか。とてもじゃありませんが、同じ土俵では戦えませんから。だったらあとはもう、人で売るしかないじゃないかと。細かいサービスだとか、人柄だったりを強調する。要は、人が鉄を売るということです。ただ鉄を売るのではなくて、人柄で鉄を売るというような手法でやっていきました さらに大手との差別化を打ち出すにあたって、もうひとつこだわったのはスピード感だ。 大きな船は小回りが効かないし、動き出すまでにも時間がかかります。それに対して我々は、極端に言えば小回りの効くモーターボートを多数用意して、『突っ走れ!』という感じですよ(笑)。そうすることで、大手にできないスピード感が出せる。なにをもって差別化するかを創業してから何十年も追求してきて、これは今も変わりません リーマンショックの荒波を乗り越え、 3つ目の柱となる製造業を立ち上げた 平野氏が先頭に立って牽引した日世通商社は順調に業績を伸ばし、創業から2年後の2000年に法人化。海外との取引も活発に行うなど成長を続ける。そして2006年には新たに、株式会社エコメタルを設立した。 エコメタルの主事業は、リサイクル鉄鋼原料の販売です。鉄というものは優れもので、リサイクルできるんですね。最近になってSDGsだとか脱炭素、やれカーボンニュートラルだなんだと言われていますが、今までは鉄を再生利用したようなものは鉄じゃないと言われていたんです。なのに今は大手の高炉メーカーや鉄鋼メーカーですら、『鉄はリサイクルするべき』『我々はリサイクルされた鉄を採用します』と言い始めています。そういう点で我々の取り組みは、時代の一歩先を行っていたかなと思っていますね 鉄鋼資材の輸出入から始まり、リサイクル鉄鋼原料の販売とビジネスを拡大してきた日世通商社にとって、近年の悲願でもあったことが2012年に達成される。それが3つ目の柱となる、株式会社エコパイプの設立である。エコパイプ社が行う事業は、各種鋼管の製造。同社の設立によって、自社の傘下にメーカー機能も持つことになった。 貿易という商売は、いわば右にある在庫を左に売ること。しっかりした仕入れ先としっかりした販売先があって、上手く回転していればそれでいいんです。リスクは少ないですし。単純に右から左にモノを売る商社の仕事は一見するとノーリスクなのですが、外的要因で環境に変化が起こってしまえば、流通の弱さが表面に表れて一気にリスクが出てくる。それを考えれば、使う人から作る人になるしかないよねという考えに至りました。もちろんトレードもしながら、そういう部門をひとつ立ち上げようと。製造部門はいずれやりたかった、会社としてのひとつの目標でもありましたから 平野氏が製造に手を伸ばしたのは、かねてから自分たちで物作りをしたい思いを持ち続けていたのと同時に、現実的な危機に直面した経験も大きい。 2009年の、リーマンショックですよ。あれが起こったときに1kg130円まで上がっていた鉄の値段が、半分以下にまで下落したんです。当時の我々は事業規模が大きくなっていたので、それなりの在庫を抱えていました。在庫にある鉄は130円くらいで買い付けていたもので、それを今度販売するとなれば50円になる。もう、とんでもない状態ですよ。リーマンショックは素材産業、とくに我々のような鉄鋼業界には影響が大きかったです。我々自身にも反省すべき点はありましたし、同時に商社の仕事の弱点も痛感しましたね “人が鉄を売る会社” 創業の精神は揺るがせない エコパイプ社も順調に業績を伸ばし、大阪・南港にあった工場では手狭になったため、2022年2月に滋賀県東近江市に移転して新たな工場を開設した。本体が行う輸出入業を軸にリサイクル鉄鋼原料の販売、鉄鋼製造メーカーと、鉄にかかわるひと通りの事業を自社で行える輪が完成した。描いていた構想が形になった今、平野氏はこれからその輪を大きく広げていくことに注力する。 事業の主幹たる鉄鋼は基礎資材ですから、なくなるものではありません。そのなかで我々はトレードとモノ作りに携わり、そしてもうひとつ言えば、今後は協業にもチャレンジしたい。たとえば建設部隊を立ち上げてみるとか、プロジェクトチームを立ち上げるとかですね。そうやって環境にいいビジネスモデルを作りながら、その輪を少しずつ大きくしていきたいと考えています 「それと」と言って、平野氏は話を続ける。 我々は人で勝負する会社ですから、社員満足度の高い会社にしたい。事業を円滑に展開することももちろんですが、それと同じくらいか、あるいはそれ以上に従業員が満足して働ける会社であることを追求していきます 2000年の法人化から、まもなく四半世紀を迎える。今後の50年、100年を見据えても、創業の精神である“人が鉄を売る会社”を揺るがせることはない。 それはこれからも変わりませんし、我が社の経営の幹です。私としては次の世代、その次の世代ぐらいまではある程度、目星をつけたい。そんな次世代、次々世代へと創業時からの我が社の精神を受け継いでいくのも、私の役目だと思っています この先、今以上にAIが活用される時代になったとしても、人にしかできないことは多くあるはずだ。従業員の今と未来を大切に守りながら、どんな時代になっても必要とされる会社でありたいとの思いを胸に、平野氏は自社の未来を切り拓いていく決意でいる。 日世通商株式会社 本社:大阪市中央区平野町4丁目6番16号 グロッツ・ベッケルトビル4階 オフィシャルサイト:https://nissei-trading.com/ 日世通商株式会社 / 代表取締役 平野浩一 氏
大阪市中央区に本社を構える日世通商株式会社は、鉄鋼製品を取り扱う鉄鋼商社として1998年に創業した。社を興したのは、現在も代表取締役を務める平野浩一氏。学校を卒業後に鉄鋼商社に入社したのが、この世界に足を踏み入れるきっかけだった。とはいっても、もともと鉄鋼業界を志望していたわけではなかったのだという。



たまたま、なんですよ(笑)。入った会社が鉄鋼関係で、なんか面白そうだなとは思っていました。でも本当に、ただそれだけでしたね

深い動機があって入社したわけではなかったが、仕事は面白かった。経験を積み重ねるうちに実績を上げ、業界内でも認められる存在になっていった。しかし入社から15年が経ったところで、突然に会社が解散する。同業他社からの誘いもあったが、平野氏は一念発起して独立の道を選んだ。

自分で新しい道を拓いていくのが、好きだったんです。前職でも海外輸出などの道を、自分で拓いていっていました。そんなこともあって私についてくれているユーザーさんもいましたし、独立してもなんとかやっていけるのではないかと思いましたね

とはいえ鉄鋼を扱うとなれば、大きな額の資金が必要になる。先日までいち会社員だった人間にとって、鉄鋼業界での創業はそう簡単なものではない。そんな創業期を支えたのは、周りからの温かい支援。



鉄鋼は、お金のかかるビジネスなんです。当時の私は資本金があるわけでも、だれかから引き継いだものがあったわけでもありませんでした。そんな状態でも仲間のみなさんや取引先のみなさんが与信の肩代わりをしてくれたりと、すごく助けてくれたんです。あの当時のことは、今でも忘れないですね。みなさんとは、今でもお付き合いをさせていただいています。人とのつながりがあったからこそ、立ち上がりが上手くいったんだと思います

個人で鉄鋼業界に乗り出すためには、資金以外にも難関があった。今も大きく変わってはいないが、鉄鋼は大手による寡占状態にある。ここに船を漕ぎ出すために平野氏がとったのは、実直な手法だった。

小さい規模から始めるにあたって、最初に考えたのはどうやって周りと差別化するか。とてもじゃありませんが、同じ土俵では戦えませんから。だったらあとはもう、人で売るしかないじゃないかと。細かいサービスだとか、人柄だったりを強調する。要は、人が鉄を売るということです。ただ鉄を売るのではなくて、人柄で鉄を売るというような手法でやっていきました




さらに大手との差別化を打ち出すにあたって、もうひとつこだわったのはスピード感だ。

大きな船は小回りが効かないし、動き出すまでにも時間がかかります。それに対して我々は、極端に言えば小回りの効くモーターボートを多数用意して、『突っ走れ!』という感じですよ(笑)。そうすることで、大手にできないスピード感が出せる。なにをもって差別化するかを創業してから何十年も追求してきて、これは今も変わりません


リーマンショックの荒波を乗り越え、
3つ目の柱となる製造業を立ち上げた



平野氏が先頭に立って牽引した日世通商社は順調に業績を伸ばし、創業から2年後の2000年に法人化。海外との取引も活発に行うなど成長を続ける。そして2006年には新たに、株式会社エコメタルを設立した。

エコメタルの主事業は、リサイクル鉄鋼原料の販売です。鉄というものは優れもので、リサイクルできるんですね。最近になってSDGsだとか脱炭素、やれカーボンニュートラルだなんだと言われていますが、今までは鉄を再生利用したようなものは鉄じゃないと言われていたんです。なのに今は大手の高炉メーカーや鉄鋼メーカーですら、『鉄はリサイクルするべき』『我々はリサイクルされた鉄を採用します』と言い始めています。そういう点で我々の取り組みは、時代の一歩先を行っていたかなと思っていますね

鉄鋼資材の輸出入から始まり、リサイクル鉄鋼原料の販売とビジネスを拡大してきた日世通商社にとって、近年の悲願でもあったことが2012年に達成される。それが3つ目の柱となる、株式会社エコパイプの設立である。エコパイプ社が行う事業は、各種鋼管の製造。同社の設立によって、自社の傘下にメーカー機能も持つことになった。

貿易という商売は、いわば右にある在庫を左に売ること。しっかりした仕入れ先としっかりした販売先があって、上手く回転していればそれでいいんです。リスクは少ないですし。単純に右から左にモノを売る商社の仕事は一見するとノーリスクなのですが、外的要因で環境に変化が起こってしまえば、流通の弱さが表面に表れて一気にリスクが出てくる。それを考えれば、使う人から作る人になるしかないよねという考えに至りました。もちろんトレードもしながら、そういう部門をひとつ立ち上げようと。製造部門はいずれやりたかった、会社としてのひとつの目標でもありましたから





平野氏が製造に手を伸ばしたのは、かねてから自分たちで物作りをしたい思いを持ち続けていたのと同時に、現実的な危機に直面した経験も大きい。

2009年の、リーマンショックですよ。あれが起こったときに1kg130円まで上がっていた鉄の値段が、半分以下にまで下落したんです。当時の我々は事業規模が大きくなっていたので、それなりの在庫を抱えていました。在庫にある鉄は130円くらいで買い付けていたもので、それを今度販売するとなれば50円になる。もう、とんでもない状態ですよ。リーマンショックは素材産業、とくに我々のような鉄鋼業界には影響が大きかったです。我々自身にも反省すべき点はありましたし、同時に商社の仕事の弱点も痛感しましたね


“人が鉄を売る会社”
創業の精神は揺るがせない



エコパイプ社も順調に業績を伸ばし、大阪・南港にあった工場では手狭になったため、2022年2月に滋賀県東近江市に移転して新たな工場を開設した。本体が行う輸出入業を軸にリサイクル鉄鋼原料の販売、鉄鋼製造メーカーと、鉄にかかわるひと通りの事業を自社で行える輪が完成した。描いていた構想が形になった今、平野氏はこれからその輪を大きく広げていくことに注力する。



事業の主幹たる鉄鋼は基礎資材ですから、なくなるものではありません。そのなかで我々はトレードとモノ作りに携わり、そしてもうひとつ言えば、今後は協業にもチャレンジしたい。たとえば建設部隊を立ち上げてみるとか、プロジェクトチームを立ち上げるとかですね。そうやって環境にいいビジネスモデルを作りながら、その輪を少しずつ大きくしていきたいと考えています

「それと」と言って、平野氏は話を続ける。
我々は人で勝負する会社ですから、社員満足度の高い会社にしたい。事業を円滑に展開することももちろんですが、それと同じくらいか、あるいはそれ以上に従業員が満足して働ける会社であることを追求していきます

2000年の法人化から、まもなく四半世紀を迎える。今後の50年、100年を見据えても、創業の精神である“人が鉄を売る会社”を揺るがせることはない。



それはこれからも変わりませんし、我が社の経営の幹です。私としては次の世代、その次の世代ぐらいまではある程度、目星をつけたい。そんな次世代、次々世代へと創業時からの我が社の精神を受け継いでいくのも、私の役目だと思っています

この先、今以上にAIが活用される時代になったとしても、人にしかできないことは多くあるはずだ。従業員の今と未来を大切に守りながら、どんな時代になっても必要とされる会社でありたいとの思いを胸に、平野氏は自社の未来を切り拓いていく決意でいる。

日世通商株式会社
本社:大阪市中央区平野町4丁目6番16号 グロッツ・ベッケルトビル4階
オフィシャルサイト:https://nissei-trading.com/
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大阪市中央区 メーカー 商社・卸 新着 オオサカジン運営事務局 2024-04-19T09:30:00+09:00
社長インタビュー https://fewy.waihui.online/e760298.html 株式会社リビングハウス / 代表取締役 社長 北村甲介氏 おしゃれなインテリアショップから老舗家具店、カフェやブティック、雑貨店までがひしめく「立花通り(オレンジストリート。その一角にある株式会社リビングハウスは、1942年創業以来、洋家具の製作する家具メーカーから小売り業へ、さらに家具の外側にチャンスを見出し、マンションのモデルルームのアレンジや一流の家具を揃えて提案するトータルコーディネートの提案へと、時代の変化を捉えて着実に進化をし続けている。コロナ禍でも業績を伸ばし、2024年4月1日時点、店舗数は35店舗。北海道から鹿児島まで全国に及ぶ。「倭国を空間時間価値先進国へ」というミッションを掲げ、インテリアを通じて、明日が待ち遠しくなるような心ひろがる空間と時間をつくるために、様々な事業やサービスをおこなっている。さらなる飛躍を目指し未来を描き続ける会社、株式会社リビングハウス・代表取締役 社長 北村甲介氏に話を伺った。 世界で注目されているインテリア、雑貨ブランドをいち早くキャッチ! 心斎橋の御堂筋通りに面するラグジュアリー・ライフスタイルホテル、W大阪(※1)の1階「MIXup」で、世界中のファンを魅了するドイツ・ミュンヘン生まれの家具・インテリアブランド「KARE(カレ)(※2)」とコラボレーションした世界初の「KARE Café @MIXup(カレ・カフェ・アット・ミックスアップ)(※3)」が、3月から期間限定でオープンしている。(期間2024年3月1日(金)~4月30日(火))。「KARE(カレ)」のインテリアに囲まれた店内で、提供される様々な苺の魅力あふれるストロベリー・アフタヌーンティーの数々。見るだけでもワクワクするストロベリーのスイーツをゴリラ、ブルドッグ、クマといったKAREの動物たちがティースタンドとなって提供してくれる。 「クレイジー」と「ハッピー」がテーマの魅力的なインテリアブランド「KARE(カレ)」にいち早く注目し、2015年に倭国正規代理店契約を結んだ。 ※1 W大阪:御堂筋沿いに開業したマリオット・インターナショナルのラグジュアリー・ライフスタイルホテルブランド「W」の倭国初進出ホテル。外観は、大阪市出身の世界的建築家 安藤忠雄氏がデザインを監修。内部は目を見張る色遣いや仕掛けを施した遊び心あふれる空間が広がっている。 ※2 KARE:ドイツ・ミュンヘン生まれのインテリアブランド。毎年2000アイテムもの独創的な新作を発表し、世界中のインテリア愛好家たちの心をつかんでいる。LIFE IS STYLE!(人生とはスタイルだ!)。LIFE AGAINST THE STREAM !(流れに身を任せず、自分の意思で生きよう!)をコンセプトに掲げ、世界50か国・250以上の店舗で家具や雑貨を展開。 ※3 KARE Café @MIXup(カレ・カフェ・アット・ミックスアップ) :南船場にあるラグジュアリー・ライフスタイルホテル「Wホテル」の1階「MIXup」で、世界中のファンを魅了するドイツ・ミュンヘン生まれの家具・インテリアブランド「KARE(カレ)」とコラボレーションしたカフェ。期間限定/~4月30日(火)。場所/アート・ペストリー・バー「MIXup(ミックスアップ)」 大阪府大阪市中央区南船場4-1-3 W大阪 1F。営業時間/11:30~18:30(パフェ、ミルフィーユのオーダー可)。アフタヌーンティーは、11:30~、14:00~、16:30~の3部制。各120分 KARE Cafe @MIXupとは 「KARE(カレ)」との出会いはなんだったのでしょうか? 海外の家具インテリアの展示会で出会いました。倭国ではどこも取り扱っていなかったので、すぐに独占契約をすることを見越して東京の森ビルでテスト販売をしたんです。好評を得たので、2016年1月に倭国で最初の正規代理店契約を結びました。今回のWホテルでの試みは世界でも初めてなんです。 リビングハウスでは、KAREの世界観を5フロアで表現する東京青山店を中心に、大阪・堀江にあるsalone店、梅田店、BiVi福岡店で直営店、そして大阪門真にアウトレット店を展開している。 海外家具の会社で配送を担当し、ビジネスチャンスを見出す 洋家具の製作を始めたのが初代。そして高度経済成長期の婚礼家具の時代に家具メーカーから小売業へ移行した二代目は、売り手優先の家具業界の常識に疑問を感じ、トータルコーディネイトを提案した。さらに会社の発展だけを考えるのではなく、街を丸ごと蘇らせるために、東京の代官山を参考に衣食住が揃うおしゃれな街を目指し、若者に圧倒的な支持を集めていたパリのファッションブランドに出店を依頼するなどして、人通りが少なくなりさびれていた南堀江を蘇らせたのだ。そしてリビングハウスに三代目北村甲介氏が入社したのは26歳の時。それまでは、家業を継ぐ気はなく、ベンチャー企業に就職していたそうだ。 家業を継いでほしいとは言われなかったのですか? 父は子どもは子ども親は親という考えでした。入社するとき、逆に僕から条件を出したんです。一つはやりがいとビジネスの未来が見えなければ辞める。これは、クリアしましたが、そもそも家具に興味がないけれど、どうすればいい?と父に相談をしました。 それならと、父の勧めで東京の海外家具ブランドの会社に入社を薦められる。ただ入社後、その会社の新人男性は最初全員配送担当だと知ったそうだ。 びっくりしました。そこに勤めた1年半の間に2トントラックで1,000件以上のお宅に家具を配達しました。そちらの商品は高級家具でしたので、タワーマンションや立派な一戸建てに配達することが多くて。でも配達して分かったことがありまして、家具は販売した人より届けた人の方が喜ばれることを知ったんです。ただ、配達先のお宅に行くと、自宅は立派でも9割はお洒落じゃないと気づきました。もちろん、残りの1割はお洒落でしたし、さらに外国人のお宅はとても格好よかったです。この経験で、いかに倭国が遅れているかということを痛感しました。逆に家の中がおしゃれじゃないから、ビジネスチャンスとやりがいがあるとわかりました。 こうして26歳の時にリビングハウスに入社した。このときリビングハウス初の商業施設出店があり、北村氏は店長を任された。 倭国を「空間時間価値」先進国へ モノを売るだけのビジネスでは止まらない!空間と時間に価値を見出す 2011年に、父から経営を譲られ代表取締役 社長に就任。34歳の時である。やりがいもビジネスの未来も、そして家具にも興味が出てきた北村氏であるが、あえて家具を好きになりすぎないようにしようとしているという。 正直なところ、自身の趣味や感性を良くも悪くも押し出てしまうのは、いいことではないと思っているので、いかにフラットな状態でお客さん目線で見られるかを大切にしています。 経営を引き継がれるときに、何か言われたことはありますか? 父に経営理念さえ引き継げばあとは社名を変えても、何を変えてもてもいいと言われました。理念の意味合いを変えずに倭国を空間時間価値先進国へとしました。つまりは仕事の幅を広げるようにしています。 北村氏がまず取り組んだのは、今まで完全セレクトショップのだったのを、他にはない自社商品を扱う業態に替えていくこと。つまり自分達でしか売ってないもので、自ら値段をつけることができる商品の開発。また、自ら選んだ海外ブランドとの独占契約をし、リビングハウスでなければ買えない商品を充実させていった。こうした取り組みの結果、価格競争に巻き込まれない商品軸を固めていくこととなる。 今では自社開発商品と独占契約した海外ブランドの商品が全体の8割になった。 そして商業施設への出店数も増えていき、そこで空間と時間の価値を向上することを目指し、家具やインテリアに止まらない展開を次々行っている。 家具には広いスペースがいるので当然、家賃も高くなります。特にファミリーで購入に来られるお客様が多いので、夕方は暇になるんです。そこで、夕方以降にできるビジネスがないか模索しました。それが梅田の商業施設の店舗の空間をそのまま使った英会話教室です。教室に通ってくれる人が、空間の中で「この椅子いいなあ」とか、商品に注目してもらえ、新たな顧客の開拓にもつながっています。 他にも空間を活かし、新たな共創デザインの展開をしている。2023年5月にスタートしたのが全国のリビングハウス店舗で、企業様の商品やサービスを展示・販売支援する未体験キュレーションブランド「LIVING X」である。例えば家電であれば冷蔵庫・電子レンジ・コーヒーメーカーなどの商品が暮らしの中にある世界観をイメージできるように生活空間型展示をされている。商品の体験価値を丁寧に伝えるコト売り型の販売支援である。 リビングハウスが出店している商業施設は、全店舗1か月に40万人の来客があるという。来店したお客さんが思ってもみなかった商品に偶然に出会える空間の提供である。 今はBtoBの伸び率が高いですね。うちのような独自のセレクトショップであれば、ホテル、オフィス、社員寮など、何でもできます。お客様が望むどんなカタチにでも染められまから。柔軟なアイデアは、どんなところから生まれるのでしょうか? 発想の入り口は妄想です。だからその妄想を支える情報感度は常に高くしてます。 さらに2023年10月からは、イタリア トスカーナのラグジュアリー家具ブランドEdra(エドラ)の販売を開始した。Edra(エドラ)は、芸術的なデザイン・それを成し得る高度な技術力・最高品質の素材を組み合わせた絶対的な品質のブランドとして世界中に知られている。 そしてリビングハウスは海外からすぐれた家具、インテリアを発掘し、販売を広げるだけでなく、経営に苦しむ店舗の再生や事業継承や業態の変換に悩んでいる企業向けの店舗プロデュース事業も行っている。 福岡の取引メーカーから相談を受け、倉庫を利用し、リノベーション。人口5万人のまちに突き抜けた店を作った結果、九州全域から人が来るようになり、地域に大いに貢献したという。 2024年も、新規出店を予定している北村氏に今後、どんな人材を希望しているのか聞いてみた。 やはり素直とまじめさ、それと人生に前のめりな方がいいですね。僕は成長の原点は素直だと思っています。ただ社員には、常に自分の人生のために働いてほしいと願っています。 国内外を問わず様々な場所に行き、1年の半分はホテルで宿泊しているという北村氏。ストレスはたまらないのだろうか。 いろんなところに行くので、その土地の人と交流したり、その土地のものをいただいたりと常に変化があります。1人になる時間も多いのでストレスがたまりにくいです。 北村氏が空間で過ごす時間の価値を創造し続ける世界は、いろんな場所で思いついた様々な妄想が原点となり、これから益々広がっていくに違いありません。 株式会社リビングハウス 本社:大阪市西区南堀江2-10-8 リビングハウスオフィシャルサイト:https://www.livinghouse.co.jp/ リビングハウスオンラインストア:https://www.livinghouse-store.jp/ KARE(カレ)オンラインストア:https://kare.co.jp/ Edra(エドラ)オフィシャルサイト:https://www.livinghouse.co.jp/edra/ 株式会社リビングハウス / 代表取締役 社長 北村甲介氏

おしゃれなインテリアショップから老舗家具店、カフェやブティック、雑貨店までがひしめく「立花通り(オレンジストリート。その一角にある株式会社リビングハウスは、1942年創業以来、洋家具の製作する家具メーカーから小売り業へ、さらに家具の外側にチャンスを見出し、マンションのモデルルームのアレンジや一流の家具を揃えて提案するトータルコーディネートの提案へと、時代の変化を捉えて着実に進化をし続けている。コロナ禍でも業績を伸ばし、2024年4月1日時点、店舗数は35店舗。北海道から鹿児島まで全国に及ぶ。「倭国を空間時間価値先進国へ」というミッションを掲げ、インテリアを通じて、明日が待ち遠しくなるような心ひろがる空間と時間をつくるために、様々な事業やサービスをおこなっている。さらなる飛躍を目指し未来を描き続ける会社株式会社リビングハウス代表取締役 社長 北村甲介氏に話を伺った。



世界で注目されているインテリア、雑貨ブランドをいち早くキャッチ!



心斎橋の御堂筋通りに面するラグジュアリー・ライフスタイルホテル、W大阪(※1)の1階「MIXup」で、世界中のファンを魅了するドイツ・ミュンヘン生まれの家具・インテリアブランド「KARE(カレ)(※2)」とコラボレーションした世界初の「KARE Café @MIXup(カレ・カフェ・アット・ミックスアップ)(※3)」が、3月から期間限定でオープンしている。(期間2024年3月1日(金)~4月30日(火))。「KARE(カレ)」のインテリアに囲まれた店内で、提供される様々な苺の魅力あふれるストロベリー・アフタヌーンティーの数々。見るだけでもワクワクするストロベリーのスイーツをゴリラ、ブルドッグ、クマといったKAREの動物たちがティースタンドとなって提供してくれる。
「クレイジー」と「ハッピー」がテーマの魅力的なインテリアブランド「KARE(カレ)」にいち早く注目し、2015年に倭国正規代理店契約を結んだ。

※1 W大阪:御堂筋沿いに開業したマリオット・インターナショナルのラグジュアリー・ライフスタイルホテルブランド「W」の倭国初進出ホテル。外観は、大阪市出身の世界的建築家 安藤忠雄氏がデザインを監修。内部は目を見張る色遣いや仕掛けを施した遊び心あふれる空間が広がっている。

※2 KARE:ドイツ・ミュンヘン生まれのインテリアブランド。毎年2000アイテムもの独創的な新作を発表し、世界中のインテリア愛好家たちの心をつかんでいる。LIFE IS STYLE!(人生とはスタイルだ!)。LIFE AGAINST THE STREAM !(流れに身を任せず、自分の意思で生きよう!)をコンセプトに掲げ、世界50か国・250以上の店舗で家具や雑貨を展開。

※3 KARE Café @MIXup(カレ・カフェ・アット・ミックスアップ) :南船場にあるラグジュアリー・ライフスタイルホテル「Wホテル」の1階「MIXup」で、世界中のファンを魅了するドイツ・ミュンヘン生まれの家具・インテリアブランド「KARE(カレ)」とコラボレーションしたカフェ。期間限定/~4月30日(火)。場所/アート・ペストリー・バー「MIXup(ミックスアップ)」 大阪府大阪市中央区南船場4-1-3 W大阪 1F。営業時間/11:30~18:30(パフェ、ミルフィーユのオーダー可)。アフタヌーンティーは、11:30~、14:00~、16:30~の3部制。各120分
KARE Cafe @MIXupとは




「KARE(カレ)」との出会いはなんだったのでしょうか?
海外の家具インテリアの展示会で出会いました。倭国ではどこも取り扱っていなかったので、すぐに独占契約をすることを見越して東京の森ビルでテスト販売をしたんです。好評を得たので、2016年1月に倭国で最初の正規代理店契約を結びました。今回のWホテルでの試みは世界でも初めてなんです。

リビングハウスでは、KAREの世界観を5フロアで表現する東京青山店を中心に、大阪・堀江にあるsalone店、梅田店、BiVi福岡店で直営店、そして大阪門真にアウトレット店を展開している。


海外家具の会社で配送を担当し、ビジネスチャンスを見出す



洋家具の製作を始めたのが初代。そして高度経済成長期の婚礼家具の時代に家具メーカーから小売業へ移行した二代目は、売り手優先の家具業界の常識に疑問を感じ、トータルコーディネイトを提案した。さらに会社の発展だけを考えるのではなく、街を丸ごと蘇らせるために、東京の代官山を参考に衣食住が揃うおしゃれな街を目指し、若者に圧倒的な支持を集めていたパリのファッションブランドに出店を依頼するなどして、人通りが少なくなりさびれていた南堀江を蘇らせたのだ。そしてリビングハウスに三代目北村甲介氏が入社したのは26歳の時。それまでは、家業を継ぐ気はなく、ベンチャー企業に就職していたそうだ。

家業を継いでほしいとは言われなかったのですか?
父は子どもは子ども親は親という考えでした。入社するとき、逆に僕から条件を出したんです。一つはやりがいとビジネスの未来が見えなければ辞める。これは、クリアしましたが、そもそも家具に興味がないけれど、どうすればいい?と父に相談をしました。

それならと、父の勧めで東京の海外家具ブランドの会社に入社を薦められる。ただ入社後、その会社の新人男性は最初全員配送担当だと知ったそうだ。
びっくりしました。そこに勤めた1年半の間に2トントラックで1,000件以上のお宅に家具を配達しました。そちらの商品は高級家具でしたので、タワーマンションや立派な一戸建てに配達することが多くて。でも配達して分かったことがありまして、家具は販売した人より届けた人の方が喜ばれることを知ったんです。ただ、配達先のお宅に行くと、自宅は立派でも9割はお洒落じゃないと気づきました。もちろん、残りの1割はお洒落でしたし、さらに外国人のお宅はとても格好よかったです。この経験で、いかに倭国が遅れているかということを痛感しました。逆に家の中がおしゃれじゃないから、ビジネスチャンスとやりがいがあるとわかりました。

こうして26歳の時にリビングハウスに入社した。このときリビングハウス初の商業施設出店があり、北村氏は店長を任された。



倭国を「空間時間価値」先進国へ モノを売るだけのビジネスでは止まらない!空間と時間に価値を見出す



2011年に、父から経営を譲られ代表取締役 社長に就任。34歳の時である。やりがいもビジネスの未来も、そして家具にも興味が出てきた北村氏であるが、あえて家具を好きになりすぎないようにしようとしているという。
正直なところ、自身の趣味や感性を良くも悪くも押し出てしまうのは、いいことではないと思っているので、いかにフラットな状態でお客さん目線で見られるかを大切にしています。

経営を引き継がれるときに、何か言われたことはありますか?
父に経営理念さえ引き継げばあとは社名を変えても、何を変えてもてもいいと言われました。理念の意味合いを変えずに倭国を空間時間価値先進国へとしました。つまりは仕事の幅を広げるようにしています。

北村氏がまず取り組んだのは、今まで完全セレクトショップのだったのを、他にはない自社商品を扱う業態に替えていくこと。つまり自分達でしか売ってないもので、自ら値段をつけることができる商品の開発。また、自ら選んだ海外ブランドとの独占契約をし、リビングハウスでなければ買えない商品を充実させていった。こうした取り組みの結果、価格競争に巻き込まれない商品軸を固めていくこととなる。





今では自社開発商品と独占契約した海外ブランドの商品が全体の8割になった。
そして商業施設への出店数も増えていき、そこで空間と時間の価値を向上することを目指し、家具やインテリアに止まらない展開を次々行っている。
家具には広いスペースがいるので当然、家賃も高くなります。特にファミリーで購入に来られるお客様が多いので、夕方は暇になるんです。そこで、夕方以降にできるビジネスがないか模索しました。それが梅田の商業施設の店舗の空間をそのまま使った英会話教室です。教室に通ってくれる人が、空間の中で「この椅子いいなあ」とか、商品に注目してもらえ、新たな顧客の開拓にもつながっています。



他にも空間を活かし、新たな共創デザインの展開をしている。2023年5月にスタートしたのが全国のリビングハウス店舗で、企業様の商品やサービスを展示・販売支援する未体験キュレーションブランド「LIVING X」である。例えば家電であれば冷蔵庫・電子レンジ・コーヒーメーカーなどの商品が暮らしの中にある世界観をイメージできるように生活空間型展示をされている。商品の体験価値を丁寧に伝えるコト売り型の販売支援である。



リビングハウスが出店している商業施設は、全店舗1か月に40万人の来客があるという。来店したお客さんが思ってもみなかった商品に偶然に出会える空間の提供である。
今はBtoBの伸び率が高いですね。うちのような独自のセレクトショップであれば、ホテル、オフィス、社員寮など、何でもできます。お客様が望むどんなカタチにでも染められまから。
柔軟なアイデアは、どんなところから生まれるのでしょうか?
発想の入り口は妄想です。だからその妄想を支える情報感度は常に高くしてます。

さらに2023年10月からは、イタリア トスカーナのラグジュアリー家具ブランドEdra(エドラ)の販売を開始した。Edra(エドラ)は、芸術的なデザイン・それを成し得る高度な技術力・最高品質の素材を組み合わせた絶対的な品質のブランドとして世界中に知られている。



そしてリビングハウスは海外からすぐれた家具、インテリアを発掘し、販売を広げるだけでなく、経営に苦しむ店舗の再生や事業継承や業態の変換に悩んでいる企業向けの店舗プロデュース事業も行っている。
福岡の取引メーカーから相談を受け、倉庫を利用し、リノベーション。人口5万人のまちに突き抜けた店を作った結果、九州全域から人が来るようになり、地域に大いに貢献したという。
2024年も、新規出店を予定している北村氏に今後、どんな人材を希望しているのか聞いてみた。
やはり素直とまじめさ、それと人生に前のめりな方がいいですね。僕は成長の原点は素直だと思っています。ただ社員には、常に自分の人生のために働いてほしいと願っています。

国内外を問わず様々な場所に行き、1年の半分はホテルで宿泊しているという北村氏。ストレスはたまらないのだろうか。
いろんなところに行くので、その土地の人と交流したり、その土地のものをいただいたりと常に変化があります。1人になる時間も多いのでストレスがたまりにくいです。




北村氏が空間で過ごす時間の価値を創造し続ける世界は、いろんな場所で思いついた様々な妄想が原点となり、これから益々広がっていくに違いありません。

株式会社リビングハウス
本社:大阪市西区南堀江2-10-8
リビングハウスオフィシャルサイト:https://www.livinghouse.co.jp/
リビングハウスオンラインストア:https://www.livinghouse-store.jp/
KARE(カレ)オンラインストア:https://kare.co.jp/
Edra(エドラ)オフィシャルサイト:https://www.livinghouse.co.jp/edra/




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大阪市西区 メーカー 新着 オオサカジン運営事務局 2024-04-12T09:30:00+09:00
社長インタビュー https://fewy.waihui.online/e759768.html WALL SHARE 株式会社 / CEO 川添孝信氏 突然だが「ミューラル」なるものを、ご存知だろうか。 これは「MURAL=壁画」から来ているもので、所有者の許可を得たうえで建物などの壁をキャンバスに絵を描くアートである。 ヒップホップ・ミュージックなどと同じくストリートから発生したカルチャーであり、公共の場や商店のシャッターなどに無許可で描かれる落書きとは異なる。その点は、混同されないようにご注意いただきたい。 海外と比較して倭国ではストリートカルチャーはもちろん、ミューラルとなるとその認識と理解は著しく低いのが実状である。 一般的な倭国人の感覚ではこれがビジネスになるとは考えにくいであろうし、そうするには社会的認知度の低さなど高い壁が存在しているのも事実。 だが、その壁に挑んでいる大阪の社長がいる。それが WALL SHARE株式会社 CEO 川添孝信氏。 まさに壁を「壁」でだ。 10代のころにヒップホップ(※)と出会い、ストリートカルチャーに魅了されたことがその出発点だった。 (※)ヒップホップ:1970年代にニューヨークのブロンクス地区で開かれたブロック・パーティーにルーツのある、音楽・ダンス・ファッションを中心とする黒人文化。80年代には、ヒップホップにはDJ、ブレイクダンス、グラフィティの三大構成要素がある。 初めは、音楽から入りました。ヒップホップのカルチャーには音楽ではラップもあれば、アートではミューラルは合法で描くものですが、そのルーツにはグラフィティと言われる非合法の落書きもあります。音楽もアートも、人と違うことを信念を持ってやる。そんなヒップホップのカルチャーに、すごく衝撃を受けたんです。 大学まで競技としてサッカーを続け、卒業後はフォルクスワーゲンのディーラーに従事。新車営業で3度全国販売賞を受賞するセールスマンになるが、胸のなかにあるヒップホップ・カルチャーへの思いはふくらみ続ける。 それがあるとき、破裂した。 愛してやまないヒップホップ・カルチャーで身を立てることへと、人生の舵を切る。 その決断に至った心の動きを問うと、さも大したことでなかったかのようにおおらかな笑顔で、そして端的な言葉で答えた。 ただただ、衝動でしたね。 ヒップホップに影響を受けていたとはいえ、川添社長はそのジャンルに傾倒する者にありがちなステレオタイプのアウトサイダーではない。 物腰は柔らかく、輸入車ディーラーで優秀なセールスマンであったことが、会話のやり取りのなかでも随所ににじみ出る。 そんな彼は安定した会社員の道を自ら降りたとはいえ、徒手空拳で次にチャレンジしたわけではない。 海外では多くの企業がミューラルを使っていたり、まちづくりに活用されていることは知っていました。国内にもミューラルを描くアーティストがたくさんいることも知っていましたし、倭国でもチャンスはあるなと感じていましたね。 ミューラルが受け入れられないは正しい。全員がよろこぶものは、面白くない 現在の倭国でアートは一部の愛好家が美術館などに足を運んでたしなむ、高尚な趣味と捉えられている節があることは否めない。 だがストリート発祥のミューラルは、それとは立脚点を異にする。 今の倭国では、だれしもが美術館に行ってアートを見るということは起こりにくいと思うんです。ですがミューラルは、まちのなかに存在するもの。 良くも悪くも子供から大人まで生活環境のなかで、かつ無料でアートに触れらることができるものなんです。僕にとっても自分の好きなストリートカルチャーから生まれたアートが、大きなサイズでまちに現れることに良い意味での違和感や、それが持つエネルギーにすごく魅力を感じています。 川添社長を突き動かすのは美術を一部の人のものとするのではなく、ミューラルの精神性がそうであるように、アートがまちに当たり前にあるものとする思い。 倭国国内の現状では、アートというものに対して難しいとか、よくわからない、高尚そうだというようなイメージがあると感じています。アートがわかる・わからない以前に、好きか嫌いかにもなっていない。 それを変えるには、きっかけが必要だと思うんです。 そのための手段として、ミューラルは最強だと思っています。だからこそ、倭国のアートの課題を解決するための手段としてやっている気持ちもありますね。 ミューラルへの愛は深いが、自らは描くアーティストではない。 もっとも質問されるランキング1位ですが、僕は描けないんですよ(苦笑)。 WALL SHAREが行うのは、ミューラルのキャンバスとなる建物の所有者と交渉し、プロジェクトにマッチしたアーティストとを結びつけること。 とはいえ世間的な認知度が低いゆえ、建物の所有者との交渉は容易ではない。 今でこそ実績を重ねてきたが、創業当初は話を持ちかけても門前払いが当たり前だった。 自分が住むまちにミューラルが描かれた建物なりが存在することに、拒否反応を示す住人もいた。 今も、受け入れられないという声が上がることはありますよ。だけど僕は、それは正しいと思っています。 全員が喜ぶものは、面白くない。だから僕たちの考えや思いを、貫き突き通すのは良いことではないと思っています。 その一方で、自分たちの日常にミューラルがある環境に暮す子どもたちは、それになにかの刺激や影響を受けるかもしれない。 賛否が生まれるのは、いいことだと思うんです。 「次世代の子どもたちに、絵を届ける」 倭国のアート界の課題解消に 設立からわずか4年ながら地域をはじめ、自治体や大企業からの依頼によるプロジェクトが形になるなど、WALL SHAREによるミューラルはまちに増えつつある。また近々、ポーランド政府からの依頼で海外にも展開しだす。 とはいえまだ馴染みがないミューラルを倭国に広めていくには、これからの道のりは決して平坦ではない。 「衝動」で立ち上がった川添社長を、次に進ませるもの。それは次世代への思いでもある。 まちにミューラルが増えるたびに、自分の好きなカルチャーがどんどん生まれていく瞬間に携われていることが楽しいです。 ですが一方で倭国のアート界の課題も、すごく感じているんです。 そのひとつは、子どもたちに絵を届けること。僕はそう考えていますが、今の倭国ですぐには変わらないと思っています。 川添社長はそれを変えるために、WALL SHAREの取り組みをやり続ける覚悟でいる。 これはおそらく、身体が動かなくなるまでやり続けると思います。 今はミューラルを広めていくのと同時に、子どもたちを対象にミューラルを体験できるイベントを開いたりもしています。 以前、神戸で開催した際には、土・日で約170人が参加してくれてました。 子供たちは、やがて大人になる。 美術館に並べられて高尚なものと捉えられているかもしれない作品も、まちや日常でミューラルに触れて育った彼ら、彼女らの目にはまったく違う意味や価値に映るかもしれない。 そうなれば、倭国におけるアートの捉えられ方も変わることだろう。 そんな将来が来れば、その礎になったひとりとして、川添孝信の名が語られるのかもしれない。 WALL SHARE 株式会社 本社:大阪市北区中崎1丁目11‐10 中崎第一ビル401 オフィシャルサイト:https://www.wallshare-inc.com/ WALL SHARE 株式会社 / CEO 川添孝信氏


突然だが「ミューラル」なるものを、ご存知だろうか。
これは「MURAL=壁画」から来ているもので、所有者の許可を得たうえで建物などの壁をキャンバスに絵を描くアートである。
ヒップホップ・ミュージックなどと同じくストリートから発生したカルチャーであり、公共の場や商店のシャッターなどに無許可で描かれる落書きとは異なる。その点は、混同されないようにご注意いただきたい。

海外と比較して倭国ではストリートカルチャーはもちろん、ミューラルとなるとその認識と理解は著しく低いのが実状である。
一般的な倭国人の感覚ではこれがビジネスになるとは考えにくいであろうし、そうするには社会的認知度の低さなど高い壁が存在しているのも事実。

だが、その壁に挑んでいる大阪の社長がいる。それが WALL SHARE株式会社 CEO 川添孝信氏
まさに壁を「壁」でだ。

10代のころにヒップホップ(※)と出会い、ストリートカルチャーに魅了されたことがその出発点だった。
(※)ヒップホップ:1970年代にニューヨークのブロンクス地区で開かれたブロック・パーティーにルーツのある、音楽・ダンス・ファッションを中心とする黒人文化。80年代には、ヒップホップにはDJ、ブレイクダンス、グラフィティの三大構成要素がある。




初めは、音楽から入りました。ヒップホップのカルチャーには音楽ではラップもあれば、アートではミューラルは合法で描くものですが、そのルーツにはグラフィティと言われる非合法の落書きもあります。音楽もアートも、人と違うことを信念を持ってやる。そんなヒップホップのカルチャーに、すごく衝撃を受けたんです。


大学まで競技としてサッカーを続け、卒業後はフォルクスワーゲンのディーラーに従事。新車営業で3度全国販売賞を受賞するセールスマンになるが、胸のなかにあるヒップホップ・カルチャーへの思いはふくらみ続ける。
それがあるとき、破裂した。

愛してやまないヒップホップ・カルチャーで身を立てることへと、人生の舵を切る。
その決断に至った心の動きを問うと、さも大したことでなかったかのようにおおらかな笑顔で、そして端的な言葉で答えた。
ただただ、衝動でしたね。

ヒップホップに影響を受けていたとはいえ、川添社長はそのジャンルに傾倒する者にありがちなステレオタイプのアウトサイダーではない。
物腰は柔らかく、輸入車ディーラーで優秀なセールスマンであったことが、会話のやり取りのなかでも随所ににじみ出る。
そんな彼は安定した会社員の道を自ら降りたとはいえ、徒手空拳で次にチャレンジしたわけではない。

海外では多くの企業がミューラルを使っていたり、まちづくりに活用されていることは知っていました。国内にもミューラルを描くアーティストがたくさんいることも知っていましたし、倭国でもチャンスはあるなと感じていましたね。




ミューラルが受け入れられないは正しい。全員がよろこぶものは、面白くない



現在の倭国でアートは一部の愛好家が美術館などに足を運んでたしなむ、高尚な趣味と捉えられている節があることは否めない。
だがストリート発祥のミューラルは、それとは立脚点を異にする。

今の倭国では、だれしもが美術館に行ってアートを見るということは起こりにくいと思うんです。ですがミューラルは、まちのなかに存在するもの。
良くも悪くも子供から大人まで生活環境のなかで、かつ無料でアートに触れらることができるものなんです。僕にとっても自分の好きなストリートカルチャーから生まれたアートが、大きなサイズでまちに現れることに良い意味での違和感や、それが持つエネルギーにすごく魅力を感じています。


川添社長を突き動かすのは美術を一部の人のものとするのではなく、ミューラルの精神性がそうであるように、アートがまちに当たり前にあるものとする思い。

倭国国内の現状では、アートというものに対して難しいとか、よくわからない、高尚そうだというようなイメージがあると感じています。アートがわかる・わからない以前に、好きか嫌いかにもなっていない。
それを変えるには、きっかけが必要だと思うんです。
そのための手段として、ミューラルは最強だと思っています。だからこそ、倭国のアートの課題を解決するための手段としてやっている気持ちもありますね。




ミューラルへの愛は深いが、自らは描くアーティストではない。
もっとも質問されるランキング1位ですが、僕は描けないんですよ(苦笑)。

WALL SHAREが行うのは、ミューラルのキャンバスとなる建物の所有者と交渉し、プロジェクトにマッチしたアーティストとを結びつけること。
とはいえ世間的な認知度が低いゆえ、建物の所有者との交渉は容易ではない。
今でこそ実績を重ねてきたが、創業当初は話を持ちかけても門前払いが当たり前だった。
自分が住むまちにミューラルが描かれた建物なりが存在することに、拒否反応を示す住人もいた。

今も、受け入れられないという声が上がることはありますよ。だけど僕は、それは正しいと思っています。
全員が喜ぶものは、面白くない。だから僕たちの考えや思いを、貫き突き通すのは良いことではないと思っています。
その一方で、自分たちの日常にミューラルがある環境に暮す子どもたちは、それになにかの刺激や影響を受けるかもしれない。
賛否が生まれるのは、いいこと
だと思うんです。



「次世代の子どもたちに、絵を届ける」 倭国のアート界の課題解消に


設立からわずか4年ながら地域をはじめ、自治体や大企業からの依頼によるプロジェクトが形になるなど、WALL SHAREによるミューラルはまちに増えつつある。また近々、ポーランド政府からの依頼で海外にも展開しだす。
とはいえまだ馴染みがないミューラルを倭国に広めていくには、これからの道のりは決して平坦ではない。

「衝動」で立ち上がった川添社長を、次に進ませるもの。それは次世代への思いでもある。

まちにミューラルが増えるたびに、自分の好きなカルチャーがどんどん生まれていく瞬間に携われていることが楽しいです。
ですが一方で倭国のアート界の課題も、すごく感じているんです。
そのひとつは、子どもたちに絵を届けること。僕はそう考えていますが、今の倭国ですぐには変わらないと思っています。




川添社長はそれを変えるために、WALL SHAREの取り組みをやり続ける覚悟でいる。

これはおそらく、身体が動かなくなるまでやり続けると思います。
今はミューラルを広めていくのと同時に、子どもたちを対象にミューラルを体験できるイベントを開いたりもしています。
以前、神戸で開催した際には、土・日で約170人が参加してくれてました。


子供たちは、やがて大人になる。
美術館に並べられて高尚なものと捉えられているかもしれない作品も、まちや日常でミューラルに触れて育った彼ら、彼女らの目にはまったく違う意味や価値に映るかもしれない。
そうなれば、倭国におけるアートの捉えられ方も変わることだろう。

そんな将来が来れば、その礎になったひとりとして、川添孝信の名が語られるのかもしれない。





WALL SHARE 株式会社
本社:大阪市北区中崎1丁目11‐10 中崎第一ビル401
オフィシャルサイト:https://www.wallshare-inc.com/


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大阪市北区 情報・教育・サービス 新着 オオサカジン運営事務局 2024-04-05T09:30:00+09:00
社長インタビュー https://fewy.waihui.online/e759055.html 株式会社RFC / 代表取締役 CEO 伊吹美里氏 出産や育児と両立しながら順調にキャリアを積んできた伊吹美里氏。 大学卒業後、IT企業の営業で拠点長を務め、結婚を機に化粧品会社に転職。 営業と企画マーケティングを兼任。 しかし育児との両立は難しく、日々「何のために働いているのか」と悩むようになる。 そんな時に、元上司から「子どもたちの未来のために」を理念にした新会社 株式会社RFCの立ち上げに誘われる。 この時から伊吹氏の人生は大きな舵を切りだすことになっていく。 持続可能な街づくりを目指すという元上司の想いに感銘を受け、入社を決意。 子どもを軸にした事業展開を考え、音楽フェスティバルを企画・開催するが、親会社の減益の影響でRFCが撤退の危機に追い込まれる。 しかし、その事業をどうしても続けたいという強い想いから、自ら事業承継を決意する。 何度も訪れる壁を乗り越え、たくさんのアーティストと子どもたちをつなぐ音楽フェスティバル(以降フェス)を続けてきた経緯や今後の目標など話を伺った。 仕事に矛盾を感じ、エデュテインメント事業へ 大学卒業後、IT業界か化粧品メーカーへの就職を希望し、IT企業の営業員として社会人生活をスタートする。 仕事内容は建設業向けのWEB広告やWEB集客を手掛け、数年で拠点長を任されることになる。 結婚で地元・大阪へ戻ったことを機に化粧品会社に転職。 子育てをしながら営業と企画マーケティングを兼任するという忙しいポジションだった。 今までと同じような成果を出そうと思ったら、自身の睡眠時間を削るしかない。 「自分はなんのために働いているのか」と悩む伊吹氏。 化粧品メーカーの商品や販促物を大量生産・廃棄が当たり前だった当時、会社としての戦略とはいえ、廃棄される商品や販促品を見て切なくなったんです。まだSDGsなんて言葉もない時代だったのですが、自分の仕事に矛盾を感じてしまいました。 そんな時に元上司から誘いを受け、新会社RFCの立ち上げに携わる。 RFCの親会社は、建設業界から持続可能な街づくりを目指したいという元上司が起業した。 その子会社として新しく設立されたのがRFCだった。 最近では倭国の住宅でも高気密・高断熱が当たり前になってきたものの、残念ながら長期的に街づくりを考えた住宅ではない。 しかしドイツでは100年という長期的な視点で街づくりに取り組んでいる。 例えば建物全体を1台のセントラルヒーティングで温めることができたり、すべての建物に太陽光を取り付けて電気代が賄えるようにしたり。 街単位で取り組むことで、長期的に持続型の社会ができ、今の子どもたちにより良い未来をつくることができる。 その話を聞いた時、『おもしろい!』と思って入社を決意したのだ。 RFCでは「エデュケーション×エンターテインメント=エデュテインメント」を軸に子どもたちの未来のための事業をスタートする。その目玉として子どものための音楽フェスを企画する。 事業承継直後にコロナ禍。「ロッチル」で打開 建設業の親会社が音楽フェスに太陽光パネルの提供をしていたことから、音楽フェスを企画する。 子どもたちが本物に触れられる都会型のファミリー向け音楽フェス「ROCKS FORCHILE(ロックスフォーチル:略してロッチル)」を開催。 しかし親会社の経営不振の影響からRFCの存続が危うくなる。 そんな時、伊吹氏の『どうしてもやりたい』という想いから、2020年に自ら事業承継を決断することになる。 しかし新社長としてこれから、という時にコロナが直撃する。 5月に予定していたイベントを緊急事態宣言が明けた11月に何とか実施にこぎつける。 国の助成金などを活用して感染対策を万全にした。 その結果、たくさんの人がイベントに参加し、無事成功させる。 多くのメディアにも取り上げられ「ロッチル」の認知も少しずつ広まっていった。 2021年には服部緑地野外音楽堂から豊島公園に開催場所を移動、拡大し、コロナ禍にも関わらず6,000人以上の来場者があった。 2022年にはさらに規模を拡大、静岡や東京多摩市でも開催した。 「子ども実行委員会」も立ち上げ、子どもたち自身が運営に参加し、イベントフライヤー(一枚刷りの印刷物)の作成なども手掛けるようになり、遂には行政や企業と連携したイベントへと成長する。 事業家になる気なんて全くありませんでしたが、どうしても子どもたちの未来のためにやりたい、という想いがあったんです。 なぜそこまでこの事業を存続させたかったのかを考えた時に、私自身のコンプレックスが要因のひとつだったとわかりました。 子どもの頃に母の影響で三味線と民謡を習っていた私はコンクールに出場し、全国大会にも出たことがありました。 当時小学生でしたが『歌手になりたい』と両親に言ったら『無理や』と笑われて、夢は恥ずかしいことなんだと諦めたんです。 その経験があったからこそ、子どもたちが自分の夢を持ち、それを応援したいと思ったんです。 子どもたちの夢を応援する社会を目指して 「ロッチル」は2023年にはひらパー(ひらかたパーク)でも開催され、有名アーティストの参加に加えて園内でのパフォーマンスショーや企業による職業体験など、多彩なイベントへと進化した。 地元の小学生に「将来の夢」をテーマに絵を描いてもらい、装飾の一部にするなど手作り感も大切にしているのだとか。 休日に家族で遊園地に遊びに行き、いろいろな体験ができるとあって地域の活性化にも一役買っている。 また、「ロッチル」のファミリー層のイベントは各企業にもPRの場として喜ばれている。 よく手間がかかるのに収益が少ないのではないか、と言われます。もちろんその通りですが、いろいろなところで収益を確保するように努めています。 また、協賛していただいた企業のブランディングをお手伝いするなど、多方面に広がって事業としても安定していっています。 会社のスタッフは私のほか2名という少数精鋭ですが、外部パートナーと協力してイベント運営をしていて、まちの「何か関わりたい、新しいことをはじめたい」という方々にも関わってもらい、たくさんの方々と運営をしています。 「子どもたちの未来」のためのイベントを、子どもとまちの大人と会社と団体と「まち」の人々が、みんなで創る文化祭のような形で繋がり関わり、「みんながワクワクする明日を、まちを、みんなで創る」ことが出来たら、最高だと思っています。 会社のロゴにもなっているように、これからもみんなの才能を揺り覚ます「ロッキングチェア」であり続けたいと思っていて、ロッチルを中心に、「人」の才能を揺り覚ます企業研修、まちなかワークショップ、ブランディング支援をしながら、ワクワクする未来をみんなで創っていきたいです。 株式会社RFC 本社:豊中市新千里南町2‐3‐28 オフィシャルサイト:https://www.rfc-inc.co.jp/ 株式会社RFC / 代表取締役 CEO 伊吹美里氏

出産や育児と両立しながら順調にキャリアを積んできた伊吹美里氏
大学卒業後、IT企業の営業で拠点長を務め、結婚を機に化粧品会社に転職。
営業と企画マーケティングを兼任。
しかし育児との両立は難しく、日々「何のために働いているのか」と悩むようになる。

そんな時に、元上司から「子どもたちの未来のために」を理念にした新会社 株式会社RFCの立ち上げに誘われる。
この時から伊吹氏の人生は大きな舵を切りだすことになっていく。

持続可能な街づくりを目指すという元上司の想いに感銘を受け、入社を決意。
子どもを軸にした事業展開を考え、音楽フェスティバルを企画・開催するが、親会社の減益の影響でRFCが撤退の危機に追い込まれる。
しかし、その事業をどうしても続けたいという強い想いから、自ら事業承継を決意する。
何度も訪れる壁を乗り越え、たくさんのアーティストと子どもたちをつなぐ音楽フェスティバル(以降フェス)を続けてきた経緯や今後の目標など話を伺った。



仕事に矛盾を感じ、エデュテインメント事業へ


大学卒業後、IT業界か化粧品メーカーへの就職を希望し、IT企業の営業員として社会人生活をスタートする。
仕事内容は建設業向けのWEB広告やWEB集客を手掛け、数年で拠点長を任されることになる。
結婚で地元・大阪へ戻ったことを機に化粧品会社に転職。
子育てをしながら営業と企画マーケティングを兼任するという忙しいポジションだった。
今までと同じような成果を出そうと思ったら、自身の睡眠時間を削るしかない。
「自分はなんのために働いているのか」と悩む伊吹氏。

化粧品メーカーの商品や販促物を大量生産・廃棄が当たり前だった当時、会社としての戦略とはいえ、廃棄される商品や販促品を見て切なくなったんです。まだSDGsなんて言葉もない時代だったのですが、自分の仕事に矛盾を感じてしまいました。


そんな時に元上司から誘いを受け、新会社RFCの立ち上げに携わる。
RFCの親会社は、建設業界から持続可能な街づくりを目指したいという元上司が起業した。
その子会社として新しく設立されたのがRFCだった。

最近では倭国の住宅でも高気密・高断熱が当たり前になってきたものの、残念ながら長期的に街づくりを考えた住宅ではない。
しかしドイツでは100年という長期的な視点で街づくりに取り組んでいる
例えば建物全体を1台のセントラルヒーティングで温めることができたり、すべての建物に太陽光を取り付けて電気代が賄えるようにしたり。
街単位で取り組むことで、長期的に持続型の社会ができ、今の子どもたちにより良い未来をつくることができる。
その話を聞いた時、『おもしろい!』と思って入社を決意したのだ。

RFCでは「エデュケーション×エンターテインメント=エデュテインメント」を軸に子どもたちの未来のための事業をスタートする。その目玉として子どものための音楽フェスを企画する。

事業承継直後にコロナ禍。「ロッチル」で打開


建設業の親会社が音楽フェスに太陽光パネルの提供をしていたことから、音楽フェスを企画する。
子どもたちが本物に触れられる都会型のファミリー向け音楽フェス「ROCKS FORCHILE(ロックスフォーチル:略してロッチル)」を開催
しかし親会社の経営不振の影響からRFCの存続が危うくなる。

そんな時、伊吹氏の『どうしてもやりたい』という想いから、2020年に自ら事業承継を決断することになる。
しかし新社長としてこれから、という時にコロナが直撃する。

5月に予定していたイベントを緊急事態宣言が明けた11月に何とか実施にこぎつける。
国の助成金などを活用して感染対策を万全にした。
その結果、たくさんの人がイベントに参加し、無事成功させる。
多くのメディアにも取り上げられ「ロッチル」の認知も少しずつ広まっていった。




2021年には服部緑地野外音楽堂から豊島公園に開催場所を移動、拡大し、コロナ禍にも関わらず6,000人以上の来場者があった。
2022年にはさらに規模を拡大、静岡や東京多摩市でも開催した。
「子ども実行委員会」も立ち上げ、子どもたち自身が運営に参加し、イベントフライヤー(一枚刷りの印刷物)の作成なども手掛けるようになり、遂には行政や企業と連携したイベントへと成長する。

事業家になる気なんて全くありませんでしたが、どうしても子どもたちの未来のためにやりたい、という想いがあったんです。
なぜそこまでこの事業を存続させたかったのかを考えた時に、私自身のコンプレックスが要因のひとつだったとわかりました。
子どもの頃に母の影響で三味線と民謡を習っていた私はコンクールに出場し、全国大会にも出たことがありました。
当時小学生でしたが『歌手になりたい』と両親に言ったら『無理や』と笑われて、夢は恥ずかしいことなんだと諦めたんです。
その経験があったからこそ、子どもたちが自分の夢を持ち、それを応援したいと思ったんです。


子どもたちの夢を応援する社会を目指して


「ロッチル」は2023年にはひらパー(ひらかたパーク)でも開催され、有名アーティストの参加に加えて園内でのパフォーマンスショーや企業による職業体験など、多彩なイベントへと進化した。




地元の小学生に「将来の夢」をテーマに絵を描いてもらい、装飾の一部にするなど手作り感も大切にしているのだとか。
休日に家族で遊園地に遊びに行き、いろいろな体験ができるとあって地域の活性化にも一役買っている。
また、「ロッチル」のファミリー層のイベントは各企業にもPRの場として喜ばれている。

よく手間がかかるのに収益が少ないのではないか、と言われます。もちろんその通りですが、いろいろなところで収益を確保するように努めています。
また、協賛していただいた企業のブランディングをお手伝いするなど、多方面に広がって事業としても安定していっています。
会社のスタッフは私のほか2名という少数精鋭ですが、外部パートナーと協力してイベント運営をしていて、まちの「何か関わりたい、新しいことをはじめたい」という方々にも関わってもらい、たくさんの方々と運営をしています。
「子どもたちの未来」のためのイベントを、子どもとまちの大人と会社と団体と「まち」の人々が、みんなで創る文化祭のような形で繋がり関わり、「みんながワクワクする明日を、まちを、みんなで創る」ことが出来たら、最高だと思っています。

会社のロゴにもなっているように、これからもみんなの才能を揺り覚ます「ロッキングチェア」であり続けたいと思っていて、ロッチルを中心に、「人」の才能を揺り覚ます企業研修、まちなかワークショップ、ブランディング支援をしながら、ワクワクする未来をみんなで創っていきたいです。






株式会社RFC
本社:豊中市新千里南町2‐3‐28
オフィシャルサイト:https://www.rfc-inc.co.jp/


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豊中市 情報・教育・サービス 新着 オオサカジン運営事務局 2024-03-29T09:30:00+09:00
社長インタビュー https://fewy.waihui.online/e758925.html 株式会社なんつね / 代表取締役社長 南 常之氏 1925年(大正14年)に刃物製作所を開業した創業者 南常治郎氏は、卓越した技術と創造性を持っていた人物であった。 将来、倭国も肉を食べる時代が来るだろうと、オランダ・バーゲル社のハム・ベーコン切断機を模範として、わが国最初の食肉裁断機を創作し、製造販売を開始した。 南常治郎氏が始めた技術を受け継ぎ進化し続けてきたのが藤井寺市に本社を置く株式会社なんつねである。 食肉裁断機のパイオニア企業として、新たな価値を持つ機械を作り続けるテクノロジー事業を中心に、エンジニアリング事業、コンサルティング事業と食の新たな世界を開拓し続けている4代目代表取締役社長 南 常之氏に話を伺った。 国内初、食肉スライサーの誕生 株式会社なんつねは、肉やハムを薄く切ったり、ミンチにしたりする食肉裁断機(ミートスライサー)のメーカーである。 現在、倭国における食肉裁断機のシェアは約45%。現在までシェア倭国一を続けている。 2025年には創業100年を迎える。 創業者の曽祖父である南常治郎氏から数えて4代目にあたる南常之氏が代表取締役社長になったのは、2010年のことである。 因みに南氏は、後を継げとは言われたことがなく代表になるのは自然の流れであった。 創業者の曽祖父のことは、伝え聞いている。 刃物鍛冶(かじ※1)をしていた南常治郎は、雇われていたが今でいうと1億円近い額を稼いでいたそうです。 25歳の時に独立して刃物製作所を開業します。 開発した食肉裁断機は、オランダのハム・ベーコンなどを裁断しているものにヒントを得て開発されました。 曽祖父はそれですき焼き⽤の⾁が切れないかと発想しました。しかし、加工されているハムとは違いやわらかい生肉を薄く切ることは非常に難易度が高かった。そんな中、創意工夫を凝らし1929年(昭和4年)に⾷⾁裁断機のスライサーを開発しました。 きっと将来は肉を食べる時代になると予測していたようです。(※1)鍛冶(かじ):金属を鍛錬して製品を製造すること。 国内初の食肉スライサーの誕生である。 1929年(昭和4年)当時は、肉は高級品であり、ほとんど食べられていなかった。肉を食べることが一般化するのは、1955(昭和30)年頃である。常治郎氏の先見の明がいかに早いかが伺い知れる。 国内初の食肉スライサー 常治郎氏は、誰もやろうとしなかったことをやり遂げ、カタチにしていった。 その技術と開発の精神は代々受け継がれ、現在は街の精肉店、食肉加工工場、スーパーマーケット、ホテル、飲食店に至るまで、あらゆるところで食肉スライサーは導入されている。 現在、食品加工機械製造販売を始め、食品工場設計・厨房設計・商品開発のトータルサポートで省人化・効率化・品質向上・商品企画といった課題を解決するパイオニア企業に成長した。 最新の自動盛り付けロボット「SCORPION(スコーピオン)」は、ロボットや画像認識技術を搭載し、盛り付けを自動化。 コンベヤーを流れる肉をロボットハンドで直接盛り付け、センサーでスライスされた肉の状態だけでなく、商品の仕上がりまでチェックし、正確な盛り付けを可能にした。 3Dパック定量スライサー「ゼウス」/⾃動盛り付けロボット「SCORPION(スコーピオン)」 オリジナルソーセージ誕生!機械販売ではなく、顧客の利益を創造する お客さんに儲けてもらうためには何が必要かと模索を続けた結果、新たなビジネスが誕生した。自社で製造販売するハム、ソーセージである。 きっかけは何だったのだろうか。 ソーセージを作りたかったわけではないんです。 わたくし共のビジネスは機械を販売する「機械屋さん」ではなく、その機械を使って儲けてもらい、その結果でわたくし共が認めて頂けるものです。 ですので、お肉屋さんを儲けさせるビジネスはないのか?という発想でした。 お肉屋さんでは、スライスをするときにどうしても肉の切れ端などが生まれます。それをミンチにしてオリジナルソーセージを作れば付加価値も生まれ、無駄もなくなります。 一人の若手社員の挑戦で始まった事業ですが、今ではお⾁屋さんからソーセージを売って欲しいという声を数多く頂いております。 2017年に本社近くに自家製ハム、ソーセージの販売店「ミート・デリ・モースト」をオープンした。 ⼀般消費者に食べてもらい、反応を見るためだった。評判は上々だった。 その後、ドイツで創業した100年以上の歴史を持つ老舗スパイスブランド「ヘラ スパイス」の輸入代理店を買収。 ヘラスパイスを使ったシャルキュトリーは益々高評価を得た。 2019年には、藤井寺から⼤阪・福島に場所を変え、ビストロ併設ミートデリ店「MEAT DELI Nicklaus'(ミートデリ ニクラウス)」福島本店」をオープン。 2020年には「肉屋のビストロにくらうす 梅田エスト店」が加わった。 「MEAT DELI Nicklaus'(ミートデリ ニクラウス)」 ハムやソーセージ、パテ・ド・カンパーニュ(レバーを使った料理でフランスの昔ながらの家庭料理)やテリーヌ、リエット(塩気の効いた豚肉のペースト)と言ったお肉のお惣菜とも言うべきフランスの食文化 シャルキュトリー(※2)を扱う店である。 多様な肉を使い分け、余すところなく美しく仕上げる本場の技術と、それぞれに相性の良い食材や旬を積極的に取り入れる組合せのユニークさにある。 食肉機械メーカーが自ら作るシャルキュトリーはひと味もふた味も違うと、評判になっている。 (※2)シャルキュトリー:フランスにおいて食肉加工品全般の総称。ハムやソーセージ、テリーヌ、リエットと言ったお肉のお惣菜とも言うべき食文化そのものや、そういった食品を扱う店のこと。 顧客の食品メーカーが儲けるためには、食品メーカーの目線が必要です。食品メーカーの目線のある「機械屋」であるために、顧客へのアンテナショップとしてオープンしました。 新しい食文化を創造するために、食肉業界を活性化させることが目的です。 「知恩報恩」 なんつねは、食品加工機械の開発、製造を含むテクノロジー事業と、食品工場のエンジニアリングをするエンジニアリング事業、小売店などの食品加工を支援するコンサルティング事業の3事業を展開している。 南氏は、この3つの事業を通して、食材が持つ価値を国境を越えていきたいという。 例えば中国のラーメンや餃⼦、インドのカレーはもう完全に「⽇本⾷」ですよね。これらは⽇本で独⾃に洗練され進化しました。⽇本の⾷が世界へ出れば、また違う形に進化していきます。 ⾷の文化を⽇本から世界へ、そして世界から⽇本へ、⾷材が持つ価値の国境を超えていきたいんです。 なんつねの社是(※3)は「知恩報恩」。 すなわち周りから受けている恩を知り、その恩に報いるという意味である。 (※3)社是:経営上の方針またはその主張を表す言葉で、具体的には会社の経営理念をもとに、経営方針を分かりやすい言葉で表現した、その会社において最も重要なもの 「知恩報恩」は、私の代になってから社是にしました。わが社の原点でもあるんです。 自社だけで儲かるというのはあり得ません。 お客さんに儲けてもらうためにはどうすればいいかを常に考えています。 2025年には100周年を迎えます。 目先のことだけを考えるのではなく、次の100年を迎えるためにどうしていけばいいかを考えていかなければなりません。 自社の利益を目的とするのか、自社の利益は結果と考えるのか。私は自社の利益は結果と考えています。 将来は、食に困っている世界の貧困問題からの脱却をめざしたいと語る南⽒。 そこには⾷の保存技術等大きな課題が存在する。 しかし⾷を⽣み出すプロセスに貢献する会社として、世界を⾒据えてさらなる進化を⽬指している。 株式会社なんつね 本社:藤井寺市大井4‐17‐41 オフィシャルサイト:https://www.nantsune.co.jp/ ミートデリニクラウス:https://nicklaus.jp/ 株式会社なんつね / 代表取締役社長 南 常之氏

1925年(大正14年)に刃物製作所を開業した創業者 南常治郎氏は、卓越した技術と創造性を持っていた人物であった。
将来、倭国も肉を食べる時代が来るだろうと、オランダ・バーゲル社のハム・ベーコン切断機を模範として、わが国最初の食肉裁断機を創作し、製造販売を開始した。
南常治郎氏が始めた技術を受け継ぎ進化し続けてきたのが藤井寺市に本社を置く株式会社なんつねである。

食肉裁断機のパイオニア企業として、新たな価値を持つ機械を作り続けるテクノロジー事業を中心に、エンジニアリング事業、コンサルティング事業と食の新たな世界を開拓し続けている4代目代表取締役社長 南 常之氏に話を伺った。




国内初、食肉スライサーの誕生


株式会社なんつねは、肉やハムを薄く切ったり、ミンチにしたりする食肉裁断機(ミートスライサー)のメーカーである。
現在、倭国における食肉裁断機のシェアは約45%。現在までシェア倭国一を続けている。
2025年には創業100年を迎える。

創業者の曽祖父である南常治郎氏から数えて4代目にあたる南常之氏が代表取締役社長になったのは、2010年のことである。
因みに南氏は、後を継げとは言われたことがなく代表になるのは自然の流れであった。
創業者の曽祖父のことは、伝え聞いている。

刃物鍛冶(かじ※1)をしていた南常治郎は、雇われていたが今でいうと1億円近い額を稼いでいたそうです。
25歳の時に独立して刃物製作所を開業します。
開発した食肉裁断機は、オランダのハム・ベーコンなどを裁断しているものにヒントを得て開発されました。
曽祖父はそれですき焼き⽤の⾁が切れないかと発想しました。しかし、加工されているハムとは違いやわらかい生肉を薄く切ることは非常に難易度が高かった。そんな中、創意工夫を凝らし1929年(昭和4年)に⾷⾁裁断機のスライサーを開発しました。
きっと将来は肉を食べる時代になると予測していたようです。
(※1)鍛冶(かじ):金属を鍛錬して製品を製造すること。

国内初の食肉スライサーの誕生である。
1929年(昭和4年)当時は、肉は高級品であり、ほとんど食べられていなかった。肉を食べることが一般化するのは、1955(昭和30)年頃である。常治郎氏の先見の明がいかに早いかが伺い知れる。

国内初の食肉スライサー


常治郎氏は、誰もやろうとしなかったことをやり遂げ、カタチにしていった。
その技術と開発の精神は代々受け継がれ、現在は街の精肉店、食肉加工工場、スーパーマーケット、ホテル、飲食店に至るまで、あらゆるところで食肉スライサーは導入されている。

現在、食品加工機械製造販売を始め、食品工場設計・厨房設計・商品開発のトータルサポートで省人化・効率化・品質向上・商品企画といった課題を解決するパイオニア企業に成長した。

最新の自動盛り付けロボット「SCORPION(スコーピオン)」は、ロボットや画像認識技術を搭載し、盛り付けを自動化。
コンベヤーを流れる肉をロボットハンドで直接盛り付け、センサーでスライスされた肉の状態だけでなく、商品の仕上がりまでチェックし、正確な盛り付けを可能にした。

3Dパック定量スライサー「ゼウス」/⾃動盛り付けロボット「SCORPION(スコーピオン)」


オリジナルソーセージ誕生!機械販売ではなく、顧客の利益を創造する


お客さんに儲けてもらうためには何が必要かと模索を続けた結果、新たなビジネスが誕生した。自社で製造販売するハム、ソーセージである。
きっかけは何だったのだろうか。

ソーセージを作りたかったわけではないんです。
わたくし共のビジネスは機械を販売する「機械屋さん」ではなく、その機械を使って儲けてもらい、その結果でわたくし共が認めて頂けるものです。
ですので、お肉屋さんを儲けさせるビジネスはないのか?という発想でした。
お肉屋さんでは、スライスをするときにどうしても肉の切れ端などが生まれます。それをミンチにしてオリジナルソーセージを作れば付加価値も生まれ、無駄もなくなります。
一人の若手社員の挑戦で始まった事業ですが、今ではお⾁屋さんからソーセージを売って欲しいという声を数多く頂いております。

2017年に本社近くに自家製ハム、ソーセージの販売店「ミート・デリ・モースト」をオープンした。
⼀般消費者に食べてもらい、反応を見るためだった。評判は上々だった。
その後、ドイツで創業した100年以上の歴史を持つ老舗スパイスブランド「ヘラ スパイス」の輸入代理店を買収。
ヘラスパイスを使ったシャルキュトリーは益々高評価を得た。

2019年には、藤井寺から⼤阪・福島に場所を変え、ビストロ併設ミートデリ店「MEAT DELI Nicklaus'(ミートデリ ニクラウス)」福島本店」をオープン。
2020年には「肉屋のビストロにくらうす 梅田エスト店」が加わった。

「MEAT DELI Nicklaus'(ミートデリ ニクラウス)」



ハムやソーセージ、パテ・ド・カンパーニュ(レバーを使った料理でフランスの昔ながらの家庭料理)やテリーヌ、リエット(塩気の効いた豚肉のペースト)と言ったお肉のお惣菜とも言うべきフランスの食文化 シャルキュトリー(※2)を扱う店である。
多様な肉を使い分け、余すところなく美しく仕上げる本場の技術と、それぞれに相性の良い食材や旬を積極的に取り入れる組合せのユニークさにある。
食肉機械メーカーが自ら作るシャルキュトリーはひと味もふた味も違うと、評判になっている。
(※2)シャルキュトリー:フランスにおいて食肉加工品全般の総称。ハムやソーセージ、テリーヌ、リエットと言ったお肉のお惣菜とも言うべき食文化そのものや、そういった食品を扱う店のこと。

顧客の食品メーカーが儲けるためには、食品メーカーの目線が必要です。食品メーカーの目線のある「機械屋」であるために、顧客へのアンテナショップとしてオープンしました。
新しい食文化を創造するために、食肉業界を活性化させることが目的です。



「知恩報恩」


なんつねは、食品加工機械の開発、製造を含むテクノロジー事業と、食品工場のエンジニアリングをするエンジニアリング事業、小売店などの食品加工を支援するコンサルティング事業の3事業を展開している。
南氏は、この3つの事業を通して、食材が持つ価値を国境を越えていきたいという。

例えば中国のラーメンや餃⼦、インドのカレーはもう完全に「⽇本⾷」ですよね。これらは⽇本で独⾃に洗練され進化しました。⽇本の⾷が世界へ出れば、また違う形に進化していきます。
⾷の文化を⽇本から世界へ、そして世界から⽇本へ、⾷材が持つ価値の国境を超えていきたいんです。

なんつねの社是(※3)は「知恩報恩」
すなわち周りから受けている恩を知り、その恩に報いるという意味である。
(※3)社是:経営上の方針またはその主張を表す言葉で、具体的には会社の経営理念をもとに、経営方針を分かりやすい言葉で表現した、その会社において最も重要なもの

「知恩報恩」は、私の代になってから社是にしました。わが社の原点でもあるんです。
自社だけで儲かるというのはあり得ません。
お客さんに儲けてもらうためにはどうすればいいかを常に考えています。
2025年には100周年を迎えます。
目先のことだけを考えるのではなく、次の100年を迎えるためにどうしていけばいいかを考えていかなければなりません。
自社の利益を目的とするのか、自社の利益は結果と考えるのか。私は自社の利益は結果と考えています。


将来は、食に困っている世界の貧困問題からの脱却をめざしたいと語る南⽒。
そこには⾷の保存技術等大きな課題が存在する。
しかし⾷を⽣み出すプロセスに貢献する会社として、世界を⾒据えてさらなる進化を⽬指している。




株式会社なんつね
本社:藤井寺市大井4‐17‐41
オフィシャルサイト:https://www.nantsune.co.jp/
ミートデリニクラウス:https://nicklaus.jp/






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藤井寺市 メーカー 小売・流通 飲食・フードサービス 新着 オオサカジン運営事務局 2024-03-22T09:30:00+09:00
社長インタビュー https://fewy.waihui.online/e759290.html 合同会社オフィスPLAYワーク / CEO(最高経営責任者) 水谷暢宏(のぶひろ)氏 元よしもとクリエイティブ・エージェンシー(現吉本興業株式会社)の社長を務め、エンターテイメント業界で数々のプロデュースを経験し、NSC(※1)の校長、よしもとクリエティブアカデミー学院長など学校運営も手掛けてきた水谷暢宏氏。 2019年に56歳で前職を辞め、エンターテイメントコンテンツや地方創生に関わる企画のコンサルティング、プロデュースなど、おもしろいことを見つけ出し、応援している。 そして、新たに始めるのが、2024年5月に開講する中小企業、スタートアップの人達の情報発信に役立つ、広報のビジネススクール『広報のがっこう』である。 今まで培ったプロデュース力を生かし、1人でスタートさせた合同会社オフィスPLAYワークからいったいどんなことが生み出されていくのか。 「オモシロいコンテンツや人を応援する」が仕事の理念という CEO(最高経営責任者) の水谷暢宏氏に話を伺った。 (※1)NSC:正式名称はNSC吉本総合芸能学院。通称NSC。吉本興業(旧よしもとクリエイティブ・エージェンシー)が1982年に創立した、主に新人タレントを育成する目的で作られた養成所。 このまま続ければ、体がもたない 2019年7月20日、1人の男がよしもとを退社した。 当時は、よしもとクリエイティブ・エージェンシー社長(現吉本興業株式会社)から、親会社の吉本興業ホールディングス 取締役となっていた。 当時体調は最悪。腰も体もボロボロだった。 このまま、業務を続けていれば体がもたないと56歳で退社。 その日は奇しくもよしもと芸人の闇営業の記者会見が行われていた日だった。 その男とは水谷暢宏氏である。 闇営業の記者会見はたまたま重なっただけではあったが、なかなか劇的な日が退社日となった。 学校事業とか、いろんな業務をめちゃくちゃ兼務していました。10数社の取締役を兼務していました。 元々腰が悪かったし、血圧も高い。このまま続けたら「あかん」と思いまして、辞表を出しました。 Q.辞めてからの計画は立てていらっしゃったのでしょうか? 今まで仕事が大変だったので、とりあえず趣味を楽しんで、遊ぼうと思ってました。 その前に、ボロボロになった身体を立て直そうと、週に2回のジムに通い、1日1万歩を目標に歩き、お酒やたばこの量も減らした。 その甲斐あって、体重も10kg減り、ずいぶん腰の調子もよくなった。 これはおもしろい! サーカス三昧の日々が始まる サーカス好きだった水谷氏は、2020年1月に開催されたモンテカルロ 国際サーカスフェスティバル(※2)に出かけ、衝撃的なシーンを目撃した。 (※2)モンテカルロ 国際サーカスフェスティバル:毎年1月にモナコで開催されるサーカスフェスティバル。1974年にサーカスのパフォーマーを彼らの職業の頂点で認識し、促進するために催された。 シルクドソレイユや世界の一流を跳ねのけて、和歌山の10歳の少年が国際的なサーカスのフェスティバルで金賞を受賞したんです。倭国でやるなら、ぜひ手伝いたいと。 サーカス界のアカデミー賞ともいわれる「モンテカルロ国際サーカスフェスティバル」で倭国人初の金賞を受賞したのが、和歌山県印南(いなみ)町在住のマルチネスブラザーズであった。 30秒間で最大50回連続で人間の足の上で宙返りを繰り返し続ける足技は、世界5カ国、7つの大きなサーカスフェスティバルや大会において全て金賞を受賞していた。 彼らの父親は大手サーカス団に在籍していたコロンビア出身のアラン・マルチネス氏であり、母親は倭国人の小深田尚枝さんである。 子どもが12人いる大家族だ。アランさんを団長に、アランさんの兄弟や子どもたちがメンバーとして所属しているサーカス団「さくらサーカス」を2020年11月に和歌山県印南町で旗揚げした。 彼らはコロナ禍でお客さんは来ないので、ぎりぎりの暮らし。 ブレークの「芽」があると思い、各局のテレビ局におもしろいものがあるよとアピールしたり、スポンサーになりそうな人を紹介したり「さくらサーカス」をプロデュース面で応援しました。 コロナ禍で大変な時期ではあったが、少しずつ「さくらサーカス」はテレビに取り上げられるようになり、公演場所も和歌山から大阪、中国地方へと広がっていった。 実は、水谷氏は学生時代にあの「木下サーカス」で照明のアルバイトをしていたほどのサーカス好きで、よしもと時代は、中国雑技団を始め、諸外国からマジシャンやジャグラーを呼び寄せて、NGKに出演させる担当をしていた。 「さくらサーカス」は稀有な存在です。サーカスやりたいな。スポンサーいるな。集めようって。マスメディアの助けもあって観客動員数は増えてきました。 現在、テレビ広島主催で、「さくらサーカス」の公演中です。 「さくらサーカス」が中国地方初上陸をはたし、現在広島市で2024年2月3日~5月26日まで開催中である。 <参考>https://www.sakuracircus.co.jp/ 「オモシロいコンテンツや人を応援する」が仕事の理念 おもしろい人、変わった人を見つけるのが得意だという水谷氏は、中小企業の経営者との付き合いも増えてきた。 中小企業には独自の技術力を持っている会社がたくさんあります。 SNSの普及で新しいマーケットが出来たり、大きくなっているのにも関わらず、「あんた宣伝してへんやん!」という経営者も多い。 中小企業の経営者に広報・PRの役立つスキルを付けさせたいと思い、自ら広報・PRの学校へ入り基礎から学び直しました。 またWEBのこの時代、プログラミングとかの勉強も同時にしました。 広報・PRの生徒の中では最年長だったそうだ。 その成果もあり、記者目線でプレスリリースを書くことなどを再認識したそうだ。 Q.今、新に取り組んでいらっしゃることはありますか? 2024年の5月に『広報のがっこう』を開講します。 そういいながら、出来立てほやほやのチラシを見せてくれた。 キャッチコピーは「中小企業・スタートアップの皆様 情報発信に役立つ おもしろ広報 学びませんか。」とある。 よく目を凝らしてみると、『広報のがっこう』のロゴ・マークの中に小さな文字で「AHODEMIC」と書かれていた。 ・・・アホデミックって!(笑) しかし、内容はいたって真剣、実践的である。 ここでは、広報に必要なおもしろい仕掛けを学ぶことができ、お金をかけずに知恵を絞ることで、マスメディアの掲載を目指す。 講師陣は、おもしろい才能のある人を発掘する手腕に長けた水谷氏が見つけてきたスペシャリストな方たちばかりだ。 例えば、落語の台本コンクールで優勝した落語作家、元新聞記者で何件もの中小企業支援をしている方、広報PR代行で多くの実績を持っている方といった、なかなかの強者が揃っている。 笑いとエンターテイメントのノウハウを社会の皆様に還元したいと思っています。 タテ社会で会社組織として動くより、スキルとスキルを結びつけるとスピードが出ます。 基本的におもろいことが好きなので、どんどん企画は沸いてくるんです。 あと何年動けるかわからないですから、思いついたらすぐ動きます。 笑いとビジネスを掛け合わせたときに、どんなものが生まれるのか。 時代をけん引する今までにない新しいものが誕生するかもしれない。 笑いの力で地域社会に貢献する水谷氏のこれからの動きに目が離せない。 合同会社オフィスPLAYワーク 大阪市西区北堀江1丁目6−2 4F、コクリワーク 内 オフィシャルサイト:https://office-playwork.com/ 『広報のがっこう』:https://omosiro-koho.com/ 合同会社オフィスPLAYワーク / CEO(最高経営責任者) 水谷暢宏(のぶひろ)氏

よしもとクリエイティブ・エージェンシー(現吉本興業株式会社)の社長を務め、エンターテイメント業界で数々のプロデュースを経験し、NSC(※1)の校長、よしもとクリエティブアカデミー学院長など学校運営も手掛けてきた水谷暢宏氏。

2019年に56歳で前職を辞め、エンターテイメントコンテンツや地方創生に関わる企画のコンサルティング、プロデュースなど、おもしろいことを見つけ出し、応援している。
そして、新たに始めるのが、2024年5月に開講する中小企業、スタートアップの人達の情報発信に役立つ、広報のビジネススクール『広報のがっこう』である。

今まで培ったプロデュース力を生かし、1人でスタートさせた合同会社オフィスPLAYワークからいったいどんなことが生み出されていくのか。
「オモシロいコンテンツや人を応援する」が仕事の理念という CEO(最高経営責任者) の水谷暢宏氏に話を伺った。
(※1)NSC:正式名称はNSC吉本総合芸能学院。通称NSC。吉本興業(旧よしもとクリエイティブ・エージェンシー)が1982年に創立した、主に新人タレントを育成する目的で作られた養成所。




このまま続ければ、体がもたない


2019年7月20日、1人の男がよしもとを退社した。
当時は、よしもとクリエイティブ・エージェンシー社長(現吉本興業株式会社)から、親会社の吉本興業ホールディングス 取締役となっていた。
当時体調は最悪。腰も体もボロボロだった。 このまま、業務を続けていれば体がもたないと56歳で退社。
その日は奇しくもよしもと芸人の闇営業の記者会見が行われていた日だった。

その男とは水谷暢宏氏である。
闇営業の記者会見はたまたま重なっただけではあったが、なかなか劇的な日が退社日となった。

学校事業とか、いろんな業務をめちゃくちゃ兼務していました。10数社の取締役を兼務していました。
元々腰が悪かったし、血圧も高い。このまま続けたら「あかん」と思いまして、辞表を出しました。


Q.辞めてからの計画は立てていらっしゃったのでしょうか?
今まで仕事が大変だったので、とりあえず趣味を楽しんで、遊ぼうと思ってました。


その前に、ボロボロになった身体を立て直そうと、週に2回のジムに通い、1日1万歩を目標に歩き、お酒やたばこの量も減らした。
その甲斐あって、体重も10kg減り、ずいぶん腰の調子もよくなった。

これはおもしろい! サーカス三昧の日々が始まる


サーカス好きだった水谷氏は、2020年1月に開催されたモンテカルロ 国際サーカスフェスティバル(※2)に出かけ、衝撃的なシーンを目撃した。
(※2)モンテカルロ 国際サーカスフェスティバル:毎年1月にモナコで開催されるサーカスフェスティバル。1974年にサーカスのパフォーマーを彼らの職業の頂点で認識し、促進するために催された。

シルクドソレイユや世界の一流を跳ねのけて、和歌山の10歳の少年が国際的なサーカスのフェスティバルで金賞を受賞したんです。倭国でやるなら、ぜひ手伝いたいと。


サーカス界のアカデミー賞ともいわれる「モンテカルロ国際サーカスフェスティバル」で倭国人初の金賞を受賞したのが、和歌山県印南(いなみ)町在住のマルチネスブラザーズであった。

30秒間で最大50回連続で人間の足の上で宙返りを繰り返し続ける足技は、世界5カ国、7つの大きなサーカスフェスティバルや大会において全て金賞を受賞していた。
彼らの父親は大手サーカス団に在籍していたコロンビア出身のアラン・マルチネス氏であり、母親は倭国人の小深田尚枝さんである。
子どもが12人いる大家族だ。アランさんを団長に、アランさんの兄弟や子どもたちがメンバーとして所属しているサーカス団「さくらサーカス」を2020年11月に和歌山県印南町で旗揚げした。

彼らはコロナ禍でお客さんは来ないので、ぎりぎりの暮らし。
ブレークの「芽」があると思い、各局のテレビ局におもしろいものがあるよとアピールしたり、スポンサーになりそうな人を紹介したり「さくらサーカス」をプロデュース面で応援しました。


コロナ禍で大変な時期ではあったが、少しずつ「さくらサーカス」はテレビに取り上げられるようになり、公演場所も和歌山から大阪、中国地方へと広がっていった。
実は、水谷氏は学生時代にあの「木下サーカス」で照明のアルバイトをしていたほどのサーカス好きで、よしもと時代は、中国雑技団を始め、諸外国からマジシャンやジャグラーを呼び寄せて、NGKに出演させる担当をしていた。

「さくらサーカス」は稀有な存在です。サーカスやりたいな。スポンサーいるな。集めようって。マスメディアの助けもあって観客動員数は増えてきました。
現在、テレビ広島主催で、「さくらサーカス」の公演中です。


「さくらサーカス」が中国地方初上陸をはたし、現在広島市で2024年2月3日~5月26日まで開催中である。
<参考>https://www.sakuracircus.co.jp/



「オモシロいコンテンツや人を応援する」が仕事の理念


おもしろい人、変わった人を見つけるのが得意だという水谷氏は、中小企業の経営者との付き合いも増えてきた。

中小企業には独自の技術力を持っている会社がたくさんあります。
SNSの普及で新しいマーケットが出来たり、大きくなっているのにも関わらず、「あんた宣伝してへんやん!」という経営者も多い。
中小企業の経営者に広報・PRの役立つスキルを付けさせたいと思い、自ら広報・PRの学校へ入り基礎から学び直しました。
またWEBのこの時代、プログラミングとかの勉強も同時にしました。


広報・PRの生徒の中では最年長だったそうだ。
その成果もあり、記者目線でプレスリリースを書くことなどを再認識したそうだ。

Q.今、新に取り組んでいらっしゃることはありますか?
2024年の5月に『広報のがっこう』を開講します。




そういいながら、出来立てほやほやのチラシを見せてくれた。
キャッチコピーは「中小企業・スタートアップの皆様 情報発信に役立つ おもしろ広報 学びませんか。」とある。
よく目を凝らしてみると、『広報のがっこう』のロゴ・マークの中に小さな文字で「AHODEMIC」と書かれていた。

・・・アホデミックって!(笑)

しかし、内容はいたって真剣、実践的である。
ここでは、広報に必要なおもしろい仕掛けを学ぶことができ、お金をかけずに知恵を絞ることで、マスメディアの掲載を目指す。
講師陣は、おもしろい才能のある人を発掘する手腕に長けた水谷氏が見つけてきたスペシャリストな方たちばかりだ。
例えば、落語の台本コンクールで優勝した落語作家、元新聞記者で何件もの中小企業支援をしている方、広報PR代行で多くの実績を持っている方といった、なかなかの強者が揃っている。

笑いとエンターテイメントのノウハウを社会の皆様に還元したいと思っています。
タテ社会で会社組織として動くより、スキルとスキルを結びつけるとスピードが出ます。
基本的におもろいことが好きなので、どんどん企画は沸いてくるんです。
あと何年動けるかわからないですから、思いついたらすぐ動きます。


笑いとビジネスを掛け合わせたときに、どんなものが生まれるのか。
時代をけん引する今までにない新しいものが誕生するかもしれない。
笑いの力で地域社会に貢献する水谷氏のこれからの動きに目が離せない。





合同会社オフィスPLAYワーク
大阪市西区北堀江1丁目6−2 4F、コクリワーク 内
オフィシャルサイト:https://office-playwork.com/
『広報のがっこう』:https://omosiro-koho.com/

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大阪市西区 情報・教育・サービス 新着 オオサカジン運営事務局 2024-03-15T09:30:00+09:00
社長インタビュー https://fewy.waihui.online/e759351.html 株式会社キノシタファーム / 代表取締役社長 木下健司 氏 大阪市内から車で約1時間ほどのところにある『道の駅 いずみ山愛の里』和泉市(※1)のすぐ近くに全国的にもめずらしいミニトマト狩りのできるトマト園『キノシタファーム』がある。ハウスの中なので雨の日でも楽しむことができる。「トマトってそんなに食べられるもんなの?」と思われる方もいるだろうが、キノシタファームのミニトマトは、大人も子どももパクパク食べられる。通年糖度8.0以上(※2)の甘さと酸味のバランスのいいミニトマトは、百貨店の店頭にも並ぶ大阪唯一のブランドミニトマトだ。 自ら農園をトマトメーカーと位置づけ、安定した供給を維持している株式会社キノシタファームの代表取締役の木下健司氏に農業経営への思いを聞いた。 ※1 道の駅 いずみ山愛の里:大阪府和泉市にある国道170号の道の駅である。2008年7月20日開駅。2022年4月に地場産品販売所を新築増設しリニューアルオープンした。 和泉市の文化施設である和泉市立南部リージョンセンターを併設する。 道の駅 いずみ山愛の里 WEBサイト ※2 糖度とは甘さを表す指標の一つ。果物や野菜の糖度は、果汁100グラム中に含まれる糖分の量を示します。その8度以上の具体的な食材とその糖度は次の通り。イチゴ: 8.0〜15.0度、みかん: 10.0〜14.0度、ぶどう: 17.0〜22.0度、りんご: 12.0〜17.0度、バナナ: 20.0〜21.0度、さつまいも: 8.0〜12.0度 バッグ栽培に出会い、ミニトマト栽培に着手 木下氏の実家は、軟弱野菜(※3)などを栽培している農家であったが、農家を継ぐ気がなかった木下氏は大学を卒業後は商社、大手製紙メーカーで6年間サラリーマンを経験した。 ※3 軟弱野菜(なんじゃくやさい)とは、野菜のうち収穫から急速にいたみはじめる野菜のこと。青物に多い。ホウレンソウ、シュンギク、葉ネギ、コマツナ、チンゲンサイ、もやし、ミズナ他などが典型である。 農業をやるきっかけは、30歳を目前にしたある日、大学時代にコンビニでアルバイトしていた頃の店長の言葉だった。 「家が農業をやっていることはすごいこと。アドバンテージがある。君が今農業をしたければすぐにでもできるやろ。普通はそうやない。」 農業を継ぐ気持ちはなかった木下氏だが、自分の恵まれた環境に気づき、会社を辞め、両親と一緒に岸和田で軟弱野菜の栽培を始めた。木下氏が農家を継ぐとは思っていなかった両親は、自分たちができる範囲の農業に縮小し始めていた矢先であった。 当時、農家としての技術も基礎知識も何もないまま農家になった木下氏は、農家としての将来どうしていくかまだ決めてはいなかった。 あのとき、雨が降って暇になってなかったら、今の僕はなかったです。 農作業がない雨の日、今日は休みにしようと思っていた木下氏だったが、ちょうどその日に大阪府の経済講座があったので参加した。そこでサンプルとして配られたのが運命のトマトとの出会いだった。 正直トマトはあまり好きじゃなかったんですが、あのとき初めておいしいと思ったんです。 そのトマトはバッグ栽培で育てられていた。これが、木下氏とバッグ栽培の出会いだった。なんておいしいトマトなんだと感動した木下氏は、すぐさま行動に移す。翌週にはバッグ栽培の研修農場に見学行った。そこで、人手が欲しいからと誘われ、半年間、研修所で働きながらバッグ栽培を徹底的に学んだ。 その頃、家の農業は、僕が半年ほど抜けても大丈夫だったんですよ。 バッグ栽培というのは、静岡の老舗有機肥料会社が開発し、有機質の詰まった肥料袋(バッグ)に直接トマトの苗を植え、鰹や昆布エキスを使った肥料を使用する栽培方法である。バッグの中でトマトが育つため、畑を耕す必要がなく、難しい土作りもいらない。バッグ栽培の強みは、年間を通じて販売することが可能なことだ。 トマトはハウスで育ててもどうしても端境期がでる。年間を通じて収穫できるバッグ栽培、これはキノシタファームの大きな強みになった。 これで自分の農業ができると、両親の畑とは別に岸和田で10アールの農地を借り、バッグ栽培でミニトマトを育て始めることとなる。 バッグ栽培は最初から肥料の管理ができています。あとは、温度管理や水遣りなどの栽培に集中できるんです。トマトを育てていると、普通はより糖度の高いものを目指すことが多いのですが、僕が決めているのは糖度を8度以下にはしないこと。でも上には上がなんぼでもいます。ただサラリーマン時代に身に付けた独自のモノ売りがどういうことか考えると、いいものがあれば必ずそれを欲しがるお客さんがいるということなんです。 大阪唯一のブランドミニトマト「Amamade(アマメイド)」 スーパーには何種類ものトマトが並ぶ。しかし、今日買ったトマトがおいしかったから、翌日も購入しようと思っても目当てのトマトがない場合がある。それでは、せっかくファンになってくれても購入し続けてもらえない。木下氏は「糖度8以上」「安定供給が可能」という強みを武器に、いつ行ってもスーパーの同じ棚に並んでいれば、しかもおいしければそれを目当てにスーパーに来てもらえるはずだ。トマト目当てに来てもキャベツも玉ねぎも買ってくれる。サラリーマン時代に培った営業能力がここで発揮されると考えたのである。 2011年に岸和田に道の駅・愛彩ランド(※4)がオープンしたときに、木下氏は「陳列台の一列に年間を通じてうちのトマトを出します」と交渉した。お客さんはその道の駅に行けば、いつでもキノシタファームのミニトマトに出会える。女性の手の平サイズのビニール袋に160gのミニトマトが入っており、買いやすいサイズと「おいしいから買おう」と思える価格帯(1袋295円)である。しかも気候条件によって収穫量が変わり、値段が変動する他のトマトと違い、キノシタファームのミニトマトは価格の変動がない。こうして、販売先を拡げていった。 ※4 道の駅・愛彩ランド:大阪府岸和田市にある農産物や花、海鮮を扱う直売所がある道の駅。ランチを楽しめるレストランを併設。 道の駅・愛彩ランド WEBサイト 現在、キノシタファームは、岸和田市と和泉市に約1万㎡の畑があり、そのうち約5,500㎡でミニトマトを栽培している。ミニトマトはすべてバッグ栽培である。年間出荷しているミニトマトは約30トン(3万キログラム)である。同じ面積の農地でもまだまだ増やせるはずなので、農地を広げて収穫量を増やすのではなく、今ある農地で効率を上げ収穫量を増やしながら収益を上げていきたいと考えている。今後の目標は、40トンである。 2019年にAmamade(アマメイド)という独自ブランドを立ち上げた。ロゴに使用されているイラストは人魚をイメージしているが、どことなくトマトの形にも似ている。髪飾りの真っ赤なトマトに、おいしいものを食べたときのような表情がとてもキュートだ。 マーメイド(mermaid)とメイク(make)を合わせてAmamade(アマメイド)にしました。うちのトマトは甘味と酸味のバランスがいいので、それを連想してもらえるようにイメージしたんです。大阪初のトマトブランドの誕生である。 大阪初、ミニトマト狩りのできる農園 キノシタファームのもうひとつの柱は、トマト狩りだ。これも大阪初である。 トマト狩りは、バッグ栽培を始めたときから考えていました。大阪の人は変わったもんや面白いものが好きや思いますし、バッグ栽培のトマト狩りは雨でもできます。服も汚れないし、なんぼでも食べてええんで。 普通のトマトではなかなか成り立たないが、キノシタファームの10個でも20個でも食べられるミニトマトなら成立する。なにより甘くておいしい。しかも百貨店やリッツカールトンでも販売されているちょっと高級なトマトが1時間食べ放題というのは嬉しい。60分好きなだけ食べて大人2,200円(税込)、小学生は(1,100円)、未就学は無料だ。期間は3月から7月。2024年のミニトマト狩りは3月16日スタートの予定だ。 ニーズに応えたい、その思いが原動力 世の中のニーズに応えられるものを栽培して販売する。木下氏は、常にそれを念頭に置いている。農園を安定させ、より販売力をつけ、スタッフに「キノシタファームに来てよかった」と言われるような会社にしたいと木下氏はいう。トマト狩りはそのためのひとつの起爆剤になるはずだ。観光バスも停めることができる駐車場もあるので大阪観光のひとつとしての広がりも期待できる。 まだまだ販売先は拡げられます。トマトはスーパーで買うものだと思われていますが、本屋でも美容室で売られててもいいと思うんです。 営業には自信を持っている木下氏。そのための布石を打ち、勉強もしてきた。大阪若手農業者の 4Hクラブ(※5)の会長を歴任、大阪府の農業系委員会などでも積極的に儲かる農業を提唱してきた。農業経験の講演依頼も多い。講演を聞いて「あの時の話が役立った」とか「木下さんの話を聞いて農家になった」という声が聞こえてくると、農業に貢献できていると嬉しくなるそうだ。 農家の場合、農業技術を習得したスタッフが独立し、同じ農作物を作り始めると競合相手になりがちである。しかし、キノシタファームの場合は違う。同じ農作物であるAmamade(アマメイド)を栽培してくれれば、仲間になる。販売先は木下氏が支えることができる。そのために立ち上げたブランドでもある。 農産物はないときは高く、あるときは安いというのが当たり前になっている。木下氏は、そうならないために安定した収穫量と相場に左右されない価格設定をし続ける。それがキノシタファームのポリシーだ。 製品が売れる仕組みづくりの基づいたブランド作りは、まだまだいろんな可能性を秘めている。木下氏が今までに蒔き続けた種が実り始めている。 ※5  4Hクラブ:将来の倭国の農業を支える20~30代前半の若い農業者が中心となって組織され、農業経営をしていくうえでの身近な課題の解決方法を検討したり、より良い技術を検討するためのプロジェクト活動を中心に、消費者や他クラブとの交流、地域ボランティア活動を行っている。4Hとは、農業の改良と生活の改善に役立つ腕(Hands)を磨き、科学的に物を考えることのできる頭(Head)の訓練をし、誠実で友情に富む心(Heart)を培い、楽しく暮らし、元気で働くための健康(Health)を増進するという、同クラブの4つの信条の頭文字を総称。 株式会社キノシタファーム 本社:大阪府和泉市仏並町3022 オフィシャルサイト:https://kinoshitafarm.com/ 関連情報 株式会社キノシタファーム / 代表取締役社長 木下健司 氏

大阪市内から車で約1時間ほどのところにある『道の駅 いずみ山愛の里』和泉市(※1)のすぐ近くに全国的にもめずらしいミニトマト狩りのできるトマト園『キノシタファーム』がある。ハウスの中なので雨の日でも楽しむことができる。「トマトってそんなに食べられるもんなの?」と思われる方もいるだろうが、キノシタファームのミニトマトは、大人も子どももパクパク食べられる。通年糖度8.0以上(※2)の甘さと酸味のバランスのいいミニトマトは、百貨店の店頭にも並ぶ大阪唯一のブランドミニトマトだ。
自ら農園をトマトメーカーと位置づけ、安定した供給を維持している株式会社キノシタファームの代表取締役の木下健司氏に農業経営への思いを聞いた。

※1 道の駅 いずみ山愛の里:大阪府和泉市にある国道170号の道の駅である。2008年7月20日開駅。2022年4月に地場産品販売所を新築増設しリニューアルオープンした。 和泉市の文化施設である和泉市立南部リージョンセンターを併設する。
道の駅 いずみ山愛の里 WEBサイト


※2 糖度とは甘さを表す指標の一つ。果物や野菜の糖度は、果汁100グラム中に含まれる糖分の量を示します。その8度以上の具体的な食材とその糖度は次の通り。イチゴ: 8.0〜15.0度、みかん: 10.0〜14.0度、ぶどう: 17.0〜22.0度、りんご: 12.0〜17.0度、バナナ: 20.0〜21.0度、さつまいも: 8.0〜12.0度




バッグ栽培に出会い、ミニトマト栽培に着手



木下氏の実家は、軟弱野菜(※3)などを栽培している農家であったが、農家を継ぐ気がなかった木下氏は大学を卒業後は商社、大手製紙メーカーで6年間サラリーマンを経験した。

※3 軟弱野菜(なんじゃくやさい)とは、野菜のうち収穫から急速にいたみはじめる野菜のこと。青物に多い。ホウレンソウ、シュンギク、葉ネギ、コマツナ、チンゲンサイ、もやし、ミズナ他などが典型である。

農業をやるきっかけは、30歳を目前にしたある日、大学時代にコンビニでアルバイトしていた頃の店長の言葉だった。
「家が農業をやっていることはすごいこと。アドバンテージがある。君が今農業をしたければすぐにでもできるやろ。普通はそうやない。」
農業を継ぐ気持ちはなかった木下氏だが、自分の恵まれた環境に気づき、会社を辞め、両親と一緒に岸和田で軟弱野菜の栽培を始めた。木下氏が農家を継ぐとは思っていなかった両親は、自分たちができる範囲の農業に縮小し始めていた矢先であった。
当時、農家としての技術も基礎知識も何もないまま農家になった木下氏は、農家としての将来どうしていくかまだ決めてはいなかった。

あのとき、雨が降って暇になってなかったら、今の僕はなかったです。

農作業がない雨の日、今日は休みにしようと思っていた木下氏だったが、ちょうどその日に大阪府の経済講座があったので参加した。そこでサンプルとして配られたのが運命のトマトとの出会いだった。

正直トマトはあまり好きじゃなかったんですが、あのとき初めておいしいと思ったんです。


そのトマトはバッグ栽培で育てられていた。これが、木下氏とバッグ栽培の出会いだった。なんておいしいトマトなんだと感動した木下氏は、すぐさま行動に移す。翌週にはバッグ栽培の研修農場に見学行った。そこで、人手が欲しいからと誘われ、半年間、研修所で働きながらバッグ栽培を徹底的に学んだ。

その頃、家の農業は、僕が半年ほど抜けても大丈夫だったんですよ。


バッグ栽培というのは、静岡の老舗有機肥料会社が開発し、有機質の詰まった肥料袋(バッグ)に直接トマトの苗を植え、鰹や昆布エキスを使った肥料を使用する栽培方法である。バッグの中でトマトが育つため、畑を耕す必要がなく、難しい土作りもいらない。バッグ栽培の強みは、年間を通じて販売することが可能なことだ。
トマトはハウスで育ててもどうしても端境期がでる。年間を通じて収穫できるバッグ栽培、これはキノシタファームの大きな強みになった。
これで自分の農業ができると、両親の畑とは別に岸和田で10アールの農地を借り、バッグ栽培でミニトマトを育て始めることとなる。



バッグ栽培は最初から肥料の管理ができています。あとは、温度管理や水遣りなどの栽培に集中できるんです。トマトを育てていると、普通はより糖度の高いものを目指すことが多いのですが、僕が決めているのは糖度を8度以下にはしないこと。でも上には上がなんぼでもいます。ただサラリーマン時代に身に付けた独自のモノ売りがどういうことか考えると、いいものがあれば必ずそれを欲しがるお客さんがいるということなんです。


大阪唯一のブランドミニトマト「Amamade(アマメイド)」



スーパーには何種類ものトマトが並ぶ。しかし、今日買ったトマトがおいしかったから、翌日も購入しようと思っても目当てのトマトがない場合がある。それでは、せっかくファンになってくれても購入し続けてもらえない。木下氏は「糖度8以上」「安定供給が可能」という強みを武器に、いつ行ってもスーパーの同じ棚に並んでいれば、しかもおいしければそれを目当てにスーパーに来てもらえるはずだ。トマト目当てに来てもキャベツも玉ねぎも買ってくれる。サラリーマン時代に培った営業能力がここで発揮されると考えたのである。

2011年に岸和田に道の駅・愛彩ランド(※4)がオープンしたときに、木下氏は「陳列台の一列に年間を通じてうちのトマトを出します」と交渉した。お客さんはその道の駅に行けば、いつでもキノシタファームのミニトマトに出会える。女性の手の平サイズのビニール袋に160gのミニトマトが入っており、買いやすいサイズと「おいしいから買おう」と思える価格帯(1袋295円)である。しかも気候条件によって収穫量が変わり、値段が変動する他のトマトと違い、キノシタファームのミニトマトは価格の変動がない。こうして、販売先を拡げていった。

※4 道の駅・愛彩ランド:大阪府岸和田市にある農産物や花、海鮮を扱う直売所がある道の駅。ランチを楽しめるレストランを併設。
道の駅・愛彩ランド WEBサイト


現在、キノシタファームは、岸和田市と和泉市に約1万㎡の畑があり、そのうち約5,500㎡でミニトマトを栽培している。ミニトマトはすべてバッグ栽培である。年間出荷しているミニトマトは約30トン(3万キログラム)である。同じ面積の農地でもまだまだ増やせるはずなので、農地を広げて収穫量を増やすのではなく、今ある農地で効率を上げ収穫量を増やしながら収益を上げていきたいと考えている。今後の目標は、40トンである。
2019年にAmamade(アマメイド)という独自ブランドを立ち上げた。ロゴに使用されているイラストは人魚をイメージしているが、どことなくトマトの形にも似ている。髪飾りの真っ赤なトマトに、おいしいものを食べたときのような表情がとてもキュートだ。



マーメイド(mermaid)とメイク(make)を合わせてAmamade(アマメイド)にしました。うちのトマトは甘味と酸味のバランスがいいので、それを連想してもらえるようにイメージしたんです。
大阪初のトマトブランドの誕生である。


大阪初、ミニトマト狩りのできる農園



キノシタファームのもうひとつの柱は、トマト狩りだ。これも大阪初である。

トマト狩りは、バッグ栽培を始めたときから考えていました。大阪の人は変わったもんや面白いものが好きや思いますし、バッグ栽培のトマト狩りは雨でもできます。服も汚れないし、なんぼでも食べてええんで。

普通のトマトではなかなか成り立たないが、キノシタファームの10個でも20個でも食べられるミニトマトなら成立する。なにより甘くておいしい。しかも百貨店やリッツカールトンでも販売されているちょっと高級なトマトが1時間食べ放題というのは嬉しい。60分好きなだけ食べて大人2,200円(税込)、小学生は(1,100円)、未就学は無料だ。期間は3月から7月。2024年のミニトマト狩りは3月16日スタートの予定だ。




ニーズに応えたい、その思いが原動力



世の中のニーズに応えられるものを栽培して販売する。木下氏は、常にそれを念頭に置いている。農園を安定させ、より販売力をつけ、スタッフに「キノシタファームに来てよかった」と言われるような会社にしたいと木下氏はいう。トマト狩りはそのためのひとつの起爆剤になるはずだ。観光バスも停めることができる駐車場もあるので大阪観光のひとつとしての広がりも期待できる。

まだまだ販売先は拡げられます。トマトはスーパーで買うものだと思われていますが、本屋でも美容室で売られててもいいと思うんです。

営業には自信を持っている木下氏。そのための布石を打ち、勉強もしてきた。大阪若手農業者の 4Hクラブ(※5)の会長を歴任、大阪府の農業系委員会などでも積極的に儲かる農業を提唱してきた。農業経験の講演依頼も多い。講演を聞いて「あの時の話が役立った」とか「木下さんの話を聞いて農家になった」という声が聞こえてくると、農業に貢献できていると嬉しくなるそうだ。




農家の場合、農業技術を習得したスタッフが独立し、同じ農作物を作り始めると競合相手になりがちである。しかし、キノシタファームの場合は違う。同じ農作物であるAmamade(アマメイド)を栽培してくれれば、仲間になる。販売先は木下氏が支えることができる。そのために立ち上げたブランドでもある。
農産物はないときは高く、あるときは安いというのが当たり前になっている。木下氏は、そうならないために安定した収穫量と相場に左右されない価格設定をし続ける。それがキノシタファームのポリシーだ。
製品が売れる仕組みづくりの基づいたブランド作りは、まだまだいろんな可能性を秘めている。木下氏が今までに蒔き続けた種が実り始めている。

※5  4Hクラブ:将来の倭国の農業を支える20~30代前半の若い農業者が中心となって組織され、農業経営をしていくうえでの身近な課題の解決方法を検討したり、より良い技術を検討するためのプロジェクト活動を中心に、消費者や他クラブとの交流、地域ボランティア活動を行っている。4Hとは、農業の改良と生活の改善に役立つ腕(Hands)を磨き、科学的に物を考えることのできる頭(Head)の訓練をし、誠実で友情に富む心(Heart)を培い、楽しく暮らし、元気で働くための健康(Health)を増進するという、同クラブの4つの信条の頭文字を総称。

株式会社キノシタファーム
本社:大阪府和泉市仏並町3022
オフィシャルサイト:https://kinoshitafarm.com/


関連情報






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和泉市 メーカー 小売・流通 農林水産 新着 オオサカジン運営事務局 2024-03-07T09:30:00+09:00
社長インタビュー https://fewy.waihui.online/e758918.html エンタメのプロの元芸人だけの会社 弊社株式会社フラワーズロマンスは代表自身が12年の芸人活動の引退後に立ち上げた会社です。 30代半ばで引退して社会に出た時に、「自分は社会の事こんなにも知らなかったのか」と自らのリテラシーの低さから就職先で苦しい思いをしました。それに12年もかけて培った芸人としてのスキルを全く活かすことができない現状にも苦しみました。 それならばと芸人としてのスキルを活かした事業を自ら立ち上げようと2018年に会社を作りました。数年試行錯誤した末に今の映像制作、動画マーケティング事業を立ち上げました。 これからは同じように、芸人を引退後社会に適合できずに悩んでいる元芸人のセカンドキャリアの受け皿になるべく会社の拡大に邁進しております。 エンタメ要素の強いTikTokと相性の良い芸人のスキル TikTokはエンタメ性の高いSNSです。ユーザーの大半は「暇つぶし」で視聴しており、「面白い」「タメになる」などの要素がないと試聴されません。 弊社では芸人を中心に、まだ目の出ていないタレント、ミュージシャンなどのエンタメのプロがクリエイターとして活躍しております。彼らのエンタメのセンスや知見、技術は撮影時の演出や編集作業で動画に反映する事ができ、ハイクオリティな「エンタメ動画」を制作する事ができます。例えば面白い動画を編集する時、芸人が編集すれば「この間は大切だから残そう」「このフレーズはこっちの方が面白いから言い換えよう」などと彼らの知見を活かすことができるのです。 また通常TikTokの運用代行の相場は月額20万〜40万ほどです。弊社は1本1万円/月額10万円からご提供しております。なぜそれが可能かというと、弊社は代表が元芸人である為、まだ目の出ていない芸人、タレント、、ミュージシャンなどの副業人材やデュアルキャリアのクリエイターのネットワークを構築しており、本業の合間に作業を行なって頂いています。その為リーズナブルな価格で編集などを行う事ができ業界最安値でのサービスの提供を可能にしています。 広告で100万人にリーチしようとすると、数十万〜数百万の広告予算がかかります。ですがTikTokでは1本1万円のコストで100万人にリーチする事も可能です。その為広告予算が潤沢にない中小企業やベンチャー企業、個人事業主でも運用しやすく、費用対効果が抜群に高いSNSです。 累計30アカウント以上運用、総再生回数1億回の実績 2年ほど前からテスト運用を開始し、この度正式にリリースすることとなりました。 おかげさまで累計30アカウントの運用実績、総再生回数1億回の実績を達成することができました。 TikTokで言うところの「ハイクオリティな動画」とは「目的達成に最適な動画」という意味です。プロのカメラマンが一眼レフなどの高級機材を用いて撮影した動画よりも、スマホ1台で撮影した動画がバズる事の方が多いのがTikTokです。 目的達成する為には、この動画にどういった意味があるのか?再生回数狙いの動画なのか?採用・集客に訴求する動画なのか?など動画に求める目的を設定しなければなりません。またTIkTok運用では自社のPRや魅力をストレートに訴求する従来の広告動画とは全く性質が異なります。 ユーザーのニーズを満たしつつ自社目的をさりげなく訴求しなければなりません。どういった差別化を図ったアカウントにするのか?どういう風に訴求するのか?などのアカウント設計が非常に重要になってきます。 弊社は累計30アカウントの運用実績、総再生回数1億回の実績とノウハウが蓄積されています。そのノウハウを活かし、日々変化するTikTokのアルゴリズムとトレンドをキャッチし続け、反映させる事でクライアント様の目的達成を可能します。 ぜひ採用、集客でお困りの企業様はお気軽にご相談くださいませ。 株式会社フラワーズロマンス本社:大阪市北区中之島6丁目1−45 芸人インターン:https://www.geininn.com/ ムービス:https://movis.jp/ https://movis.jp/tiktok/ 『オオサカジン』記事:https://fewy.waihui.online/e756270.html エンタメのプロの元芸人だけの会社
弊社株式会社フラワーズロマンスは代表自身が12年の芸人活動の引退後に立ち上げた会社です。
30代半ばで引退して社会に出た時に、「自分は社会の事こんなにも知らなかったのか」と自らのリテラシーの低さから就職先で苦しい思いをしました。それに12年もかけて培った芸人としてのスキルを全く活かすことができない現状にも苦しみました。
それならばと芸人としてのスキルを活かした事業を自ら立ち上げようと2018年に会社を作りました。数年試行錯誤した末に今の映像制作、動画マーケティング事業を立ち上げました。
これからは同じように、芸人を引退後社会に適合できずに悩んでいる元芸人のセカンドキャリアの受け皿になるべく会社の拡大に邁進しております。




エンタメ要素の強いTikTokと相性の良い芸人のスキル


TikTokはエンタメ性の高いSNSです。ユーザーの大半は「暇つぶし」で視聴しており、「面白い」「タメになる」などの要素がないと試聴されません。
弊社では芸人を中心に、まだ目の出ていないタレント、ミュージシャンなどのエンタメのプロがクリエイターとして活躍しております。彼らのエンタメのセンスや知見、技術は撮影時の演出や編集作業で動画に反映する事ができ、ハイクオリティな「エンタメ動画」を制作する事ができます。例えば面白い動画を編集する時、芸人が編集すれば「この間は大切だから残そう」「このフレーズはこっちの方が面白いから言い換えよう」などと彼らの知見を活かすことができるのです。

また通常TikTokの運用代行の相場は月額20万〜40万ほどです。弊社は1本1万円/月額10万円からご提供しております。なぜそれが可能かというと、弊社は代表が元芸人である為、まだ目の出ていない芸人、タレント、、ミュージシャンなどの副業人材やデュアルキャリアのクリエイターのネットワークを構築しており、本業の合間に作業を行なって頂いています。その為リーズナブルな価格で編集などを行う事ができ業界最安値でのサービスの提供を可能にしています。

広告で100万人にリーチしようとすると、数十万〜数百万の広告予算がかかります。ですがTikTokでは1本1万円のコストで100万人にリーチする事も可能です。その為広告予算が潤沢にない中小企業やベンチャー企業、個人事業主でも運用しやすく、費用対効果が抜群に高いSNSです。





累計30アカウント以上運用、総再生回数1億回の実績


2年ほど前からテスト運用を開始し、この度正式にリリースすることとなりました。
おかげさまで累計30アカウントの運用実績、総再生回数1億回の実績を達成することができました。

TikTokで言うところの「ハイクオリティな動画」とは「目的達成に最適な動画」という意味です。プロのカメラマンが一眼レフなどの高級機材を用いて撮影した動画よりも、スマホ1台で撮影した動画がバズる事の方が多いのがTikTokです。
目的達成する為には、この動画にどういった意味があるのか?再生回数狙いの動画なのか?採用・集客に訴求する動画なのか?など動画に求める目的を設定しなければなりません。またTIkTok運用では自社のPRや魅力をストレートに訴求する従来の広告動画とは全く性質が異なります。
ユーザーのニーズを満たしつつ自社目的をさりげなく訴求しなければなりません。どういった差別化を図ったアカウントにするのか?どういう風に訴求するのか?などのアカウント設計が非常に重要になってきます。
弊社は累計30アカウントの運用実績、総再生回数1億回の実績とノウハウが蓄積されています。そのノウハウを活かし、日々変化するTikTokのアルゴリズムとトレンドをキャッチし続け、反映させる事でクライアント様の目的達成を可能します。

ぜひ採用、集客でお困りの企業様はお気軽にご相談くださいませ。




株式会社フラワーズロマンス本社:大阪市北区中之島6丁目1−45
芸人インターン:https://www.geininn.com/
ムービス:https://movis.jp/
https://movis.jp/tiktok/
『オオサカジン』記事:https://fewy.waihui.online/e756270.html






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編集部 ピックアップ オオサカジン運営事務局 2024-02-26T12:00:00+09:00
社長インタビュー https://fewy.waihui.online/e758342.html 株式会社竹中製作所(以下「タケナカ」)は昭和10年に艦船用のボルト・ナットの製造を行う会社として、大阪市港区で創業。現在は東大阪市に本社を構え、創業時からのボルト・ナット製造を柱とし他社には真似のできない特殊技術を持ってます。そんな独自の開発技術を持つタケナカには2つの事業部があります。 ボルト事業部 ボルト事業部は他社には真似のできない製品を作っている事業部。 その一つが「タケコート®-1000」をはじめとする独自製品、そこには高いレベルのモノづくり・品質保証に応えられる巧みな技術があります。 金属には腐食するという特有の欠点があり、多くの問題が発生しています。タケナカは京都大学との産学連携により、世界初のフッ素樹脂塗装ボルト「タケコート®-1000」の開発に成功しました。防錆力を評価する試験で、一般的な防錆メッキの約6倍の耐久性を有することが証明された驚異的な表面処理です。様々な腐食環境において、金属製品を錆びから守り、寿命を向上させることができます。 これ以外にも焼き付き防止効果がある「タケコート®-セラミック1」 カーボンナノチューブを高濃度均一分散させた「ナノテクト®」 などの独自製品を生み出しています。 現在では、ねじ製品だけでなく、多種多様な金属製品に適用することで、幅広い分野で活躍しています。 また様々な検査・試験設備を自社内に整備して、各種検査・試験設備の校正記録のご要求にも対応しています。 国際規格であるISO9001(※1)の品質管理体制を確立していることはもちろんのこと、ボルト・ナットにおけるJIS認証(※2)、風力発電設備支持物用ボルトのセットにおける国土交通省大臣認定も多数取得しています。 ※1 ISO9001:品質マネジメントシステムに関する国際規格です。最も普及しているマネジメントシステム規格であり、全世界で170ヵ国以上、100万以上の組織が利用しています。 ※2 JIS認証:JISマーク表示制度とは、産業標準化法に基づく第三者製品認証制度であり、国に登録された認証機関が品質管理体制を審査し、製品試験において製品の品質等がJISに適合していることを確認し認証することにより、製造事業者が製品等にJISマークを表示することができる制度です。 これら徹底した品質管理体制により、倭国国内のみならず、世界中のお客様から信頼を得てきました。 またタケナカの製品は、橋梁や高速道路などの巨大建造物、高い耐久性と安全性が求められる発電所や石油プラントなど、私達を包むあらゆる社会インフラを支えています。特に高度な安全性が求められる原子力発電所においては、倭国国内すべての発電所でタケナカのボルトが使用されています。 ◇ボルト事業部の特徴 ・他社では対応できない特殊仕様製品の製造 ・海外規格への豊富な実績 ・自社一貫体制に依るトレサビリティ体制 ・仕様書・図面・ミルシートなど文書・記録の充実 ・大手企業からも信頼される技術提案力 ・自社開発の特殊防錆コーティングの製造 世の中にないものを生み出す「オンリーワンスピリット」を大切にして、いつの時代にも「お客様そして社会の期待に応えられるモノづくり」をご提供できるよう取り組んでおります。 電子機器事業部 電子機器事業部は、開発、中小量の製品製造から品質保証までの受託開発生産が可能となります。ものづくりの町、東大阪の地域性を活かしながら独自のネットワークを駆使してお客様の「困りごと」を解決しています。 電子機器事業部は、基本的に受託開発、受託製造(OEM)を主体にしています。 個別商品は持ち合わせていませんが、インフラ向けで重要視されているパワーエレクトロニクス(※3)技術を保有しています。 ※3 パワーエレクトロニクスとは、パソコンやスマホが電気を信号として使うのに対し、電気を動力として使うテクノロジー。電気を使ってモーターを動かすのも、パワーエレクトロニクスだ。 道路、鉄道、病院などの環境対応を重視した機器の開発、製造を行っております。 ISO9001,ISO14001(※4)のみならず、航空宇宙防衛品質マネジメント規格のJISQ9100も取得し、特にモーター制御や電源開発に関係する製品の開発、製造支援が得意分野、それを生かし開発から製造~品質保証まで対応できるところが特徴です。 ※4 ISO14001とは、製品の製造やサービスの提供など、自社の活動による環境への負荷を最小限にするように定めた仕様書です。 ISO14001を取得した組織や企業は、地球環境へ配慮した組織/企業活動を行っていると国際的に認められることになります。 つまりはそういった技術でOEM対応の製品が多数あります。 例えば、道路や鉄道で使用されている長期間安定稼働の要求される屋外機器、車載機器などの中少量の量産機器が実績です。 絶えず時代に対応すべく アップデートしたものを作り続ける それが竹中製作所である。 株式会社竹中製作所 本社:〒578-0984 東大阪市菱江6丁目4番35号 オフィシャルサイト:https://www.takenaka-mfg.co.jp/ 関連記事: 社長インタビュー 艦船用のボルト・ナットの製造から始まり 独自技術で唯一無二の存在に 株式会社竹中製作所 / 代表取締役社長 竹中佐江子 氏 株式会社竹中製作所(以下「タケナカ」)は昭和10年に艦船用のボルト・ナットの製造を行う会社として、大阪市港区で創業。現在は東大阪市に本社を構え、創業時からのボルト・ナット製造を柱とし他社には真似のできない特殊技術を持ってます。そんな独自の開発技術を持つタケナカには2つの事業部があります。

ボルト事業部


ボルト事業部は他社には真似のできない製品を作っている事業部。
その一つが「タケコート®-1000」をはじめとする独自製品、そこには高いレベルのモノづくり・品質保証に応えられる巧みな技術があります。



金属には腐食するという特有の欠点があり、多くの問題が発生しています。タケナカは京都大学との産学連携により、世界初のフッ素樹脂塗装ボルト「タケコート®-1000」の開発に成功しました。防錆力を評価する試験で、一般的な防錆メッキの約6倍の耐久性を有することが証明された驚異的な表面処理です。様々な腐食環境において、金属製品を錆びから守り、寿命を向上させることができます。

これ以外にも焼き付き防止効果がある「タケコート®-セラミック1」



カーボンナノチューブを高濃度均一分散させた「ナノテクト®」



などの独自製品を生み出しています。
現在では、ねじ製品だけでなく、多種多様な金属製品に適用することで、幅広い分野で活躍しています。

また様々な検査・試験設備を自社内に整備して、各種検査・試験設備の校正記録のご要求にも対応しています。
国際規格であるISO9001(※1)の品質管理体制を確立していることはもちろんのこと、ボルト・ナットにおけるJIS認証(※2)、風力発電設備支持物用ボルトのセットにおける国土交通省大臣認定も多数取得しています。
※1 ISO9001:品質マネジメントシステムに関する国際規格です。最も普及しているマネジメントシステム規格であり、全世界で170ヵ国以上、100万以上の組織が利用しています。
※2 JIS認証:JISマーク表示制度とは、産業標準化法に基づく第三者製品認証制度であり、国に登録された認証機関が品質管理体制を審査し、製品試験において製品の品質等がJISに適合していることを確認し認証することにより、製造事業者が製品等にJISマークを表示することができる制度です。

これら徹底した品質管理体制により、倭国国内のみならず、世界中のお客様から信頼を得てきました。
またタケナカの製品は、橋梁や高速道路などの巨大建造物、高い耐久性と安全性が求められる発電所や石油プラントなど、私達を包むあらゆる社会インフラを支えています。特に高度な安全性が求められる原子力発電所においては、倭国国内すべての発電所でタケナカのボルトが使用されています。

◇ボルト事業部の特徴
・他社では対応できない特殊仕様製品の製造
・海外規格への豊富な実績
・自社一貫体制に依るトレサビリティ体制
・仕様書・図面・ミルシートなど文書・記録の充実
・大手企業からも信頼される技術提案力
・自社開発の特殊防錆コーティングの製造


世の中にないものを生み出す「オンリーワンスピリット」を大切にして、いつの時代にも「お客様そして社会の期待に応えられるモノづくり」をご提供できるよう取り組んでおります。


電子機器事業部


電子機器事業部は、開発、中小量の製品製造から品質保証までの受託開発生産が可能となります。ものづくりの町、東大阪の地域性を活かしながら独自のネットワークを駆使してお客様の「困りごと」を解決しています。



電子機器事業部は、基本的に受託開発、受託製造(OEM)を主体にしています。
個別商品は持ち合わせていませんが、インフラ向けで重要視されているパワーエレクトロニクス(※3)技術を保有しています。
※3 パワーエレクトロニクスとは、パソコンやスマホが電気を信号として使うのに対し、電気を動力として使うテクノロジー。電気を使ってモーターを動かすのも、パワーエレクトロニクスだ。

道路、鉄道、病院などの環境対応を重視した機器の開発、製造を行っております。
ISO9001,ISO14001(※4)のみならず、航空宇宙防衛品質マネジメント規格のJISQ9100も取得し、特にモーター制御や電源開発に関係する製品の開発、製造支援が得意分野、それを生かし開発から製造~品質保証まで対応できるところが特徴です。
※4 ISO14001とは、製品の製造やサービスの提供など、自社の活動による環境への負荷を最小限にするように定めた仕様書です。 ISO14001を取得した組織や企業は、地球環境へ配慮した組織/企業活動を行っていると国際的に認められることになります。

つまりはそういった技術でOEM対応の製品が多数あります。
例えば、道路や鉄道で使用されている長期間安定稼働の要求される屋外機器、車載機器などの中少量の量産機器が実績です。


絶えず時代に対応すべく

アップデートしたものを作り続ける

それが竹中製作所である。



株式会社竹中製作所
本社:〒578-0984 東大阪市菱江6丁目4番35号
オフィシャルサイト:https://www.takenaka-mfg.co.jp/


関連記事: 社長インタビュー

艦船用のボルト・ナットの製造から始まり 独自技術で唯一無二の存在に
株式会社竹中製作所 / 代表取締役社長 竹中佐江子 氏]]>
編集部 ピックアップ オオサカジン運営事務局 2024-02-19T12:00:00+09:00
社長インタビュー https://fewy.waihui.online/e758774.html 株式会社グローバル / 代表取締役社長 和田 修 氏 株式会社グローバル(以下グローバル)は、約1,500点のワイン関連商品を取り扱い、その納入先はレストランやホテルを初め、百貨店、量販店、ワインインポーター(※1)など全国約27,000軒にも上る。主力商品のワイングラス・ワインセラー・ワインサーバー・ワイングッズ等があり、グローバル社開発のオリジナル商品も多い。1988年の創業以来、一貫して倭国のワイン文化の普及と業界活性化に貢献してきたワイン機器のリーディングカンパニーだ。 2019年に代表取締役社長に就任した和田修氏に話を伺った。 ※1 ワインインポーターとは、海外のワイナリーからワインを輸入して、酒屋やレストラン、また一般消費者に売る業者のこと。 「海外の生産者が造るワインを、皆様のもとに届ける橋渡しの仕事」とも言えます。 定年退職後に起業する夢を諦めて入社 株式会社グローバルが創業した1988年当時は、ワインは倭国ではまだ小さな市場だった。大きなビジネスより、人がやっていないことをやりたいと、創業者の三浦清忠氏(前社長)が始めたのが、 この頃はまだあまり手を付けていなかった栓抜き等のワイン周りの小物の販売だった。 倭国に急速にワインが浸透したのは1995年のこと。世界最優秀ソムリエコンクールで田崎真也氏(※2)が優勝し、時代の寵児(※3)となった。さらにタレントのみのもんた氏がテレビ番組で、フレンチパラドックス(※4)に基づく赤ワイン健康法を紹介し、それまでワインに興味すらなかった人たちが一斉に赤ワインに注目し始め、あっという間にスーパーや酒屋さんの店頭から商品が消えた。いわゆる赤ワインブームである。 グローバルもワイン市場が拡大されていくとともにグッズ類のほかにワインセラー等のワイン関連の商品を増やし、ビジネスを拡大、ワインの総合商社へと成長していった。 ※2 田崎真也(たさき しんや)は、倭国のソムリエ、ワインタレント、料理評論家。 ※3 時代の寵児(ちょうじと)はその時代の風潮に合った才能を発揮して成功し、人々にもてはやされる人のことをいう。 ※4 フレンチパラドックスとは1992年、ボルドー大学のセルジュ・レナウド博士が論文で「高脂肪食をフランス人は日々取っているのに、心疾患が少ないのは毎日飲んでいる赤ワインのおかげである」ということを報告し、この逆説現象を「フレンチパラドックス」と名付けた。これらのことが発表されて以来、世界中で赤ワインがブームとなった。 和田氏が入社したのは2019年のこと。それまでは酒関連メーカーの営業責任者をしているサラリーマンだったという。 Q.入社されたきっかけはなんだったのでしょうか? 前職の酒関連メーカーにいた頃、当時のグローバルの社長の三浦さんとある出会いがあり、その後出張で大阪に来るたびに、食事をご馳走になりながらいろいろな話を聞かせて頂きました。何もないところから会社を立ち上げられた創業者の話はサラリーマンの私にとって大変刺激的で興味深い内容ばかりでした。そんな食事会が何度か続いたときに、突然退職したらグローバルの社長にならないかと誘われたんです。でも最初はお断わりをしました。サラリーマンがいきなり異業種の社長をやれるほど事業は簡単ではないですし、定年後は自分で小さな事業をしようと考えていたからです。趣味の登山で知り合ったった仲間から農業従事者の方の苦悩を聞くことになり、自分がそれを解決できる方法はないだろうかと考え、山が近い長野を拠点に山仲間たちからの出資も受けて起業する準備をしていました。第二の人生なので大きな事業をすることではなく、自分たち夫婦が食べていけるくらいの利益が出て、趣味の登山とわずかな社会貢献でもできればという思いでした。グローバルをお断りする口実も含めてその話を三浦さん話すと、すぐさま「それはなかなか難しいのではないかな。グローバルでのビジネスの方が和田さんにとって面白いと思うよ」とあっさり言われまして、、 その後、何度も三浦氏に誘われた和田氏は、自分が立てた計画を見直すうちに、三浦氏が言ったように事業計画の実現は難しそうなことに気づき、結果的には自らのお金で事業をするだけならまだしも、友人に出資をしてもらってから失敗したとなると迷惑をかけてしまうことになると考え計画を断念、こんなに熱心に一緒に仕事をしたこともない自分を誘ってくれるなんて幸せな事じゃないのかという奥様の助言もあって、2019年にグローバルに入社を決断することとなる。 一方創業者の三浦氏は2022年2月にグローバル社長を退任後、以前から考えていた「経済的な問題や家庭環境で子どもの頃からの格差に抗いたい」という長年の夢をかなえるために「しらさぎ子ども図書館 -詩の森-」を三浦氏個人の資金により堺市にオープンした。読書スペース、ほっとくつろげる幼児向けの絵本読み聞かせスペース、ご近所さんが語り合う「テラスカフェ」、ともだち食堂などのみんなの居場所を目指した図書館である。現在、株式会社グローバルもSDGsの理念に基づきこの活動へ継続的に協力をしている。 しらさぎ子ども図書館 -詩の森- インスタグラム しらさぎ子ども図書館 -詩の森- 「オオサカジン」みんなのPRコーナー 大きな企業ではなく筋肉質の強い企業 前職で営業職が長かった和田氏は、如何に効率的に売上を最大化できるかと考えて活動していた。ところが入社したグローバルの営業活動はその真逆、いわゆる昔ながらの1軒1軒のお客様の元に足を運び小さな売上をコツコツと積み上げていくという、一見すると非効率と思える販売方法だった。 最初は戸惑いましたが、やっているうちにこの会社において、自分がこれまでやってきた事が正しいのではなく、この会社に適切な営業スタイルがあるのだという事が分かってきました。つまり一見非効率に思えるやり方が、実はお客様にとって求められているものだという事です。お客様のもとに出向き、その個店別の悩みやご要望をお聞きし、最適な提案を行っていくというやり方です。これは創業者の三浦氏がずっと続けてきた営業スタイルです。また我々の事業領域はニッチな分野ですので、その中で「大きな」企業を目指すのではなく、「強い」企業を目指すことを考えています。短期間で大きな成長を目指せば必ずしわよせが来る。だから地に足をつけてじっくりと筋肉質の会社にする。そういう企業方針なんです 和田氏が入社した2019年の翌年からコロナという未曽有の出来事が起こった。多くの飲食店がダメージを受けた。飲食店はグローバルの主力の販売先である。その大切な飲食店が苦境に立っている今こそ飲食店を応援しようと、毎日のように取引先の飲食店からテイクアウトの弁当を購入した。また商品の輸入が多い中国の伝手を利用してマスクを購入し、それを飲食店に配って回った。全国の営業マンはモノを売るよりもそういう活動をしつつ飲食店を訪問していた。こういった企業姿勢が後々かえってくることとなる。 Q.コロナ禍の時期、業績はいかがでしたか? 大変ではありましたが、この機に当社が比較的攻略できていなかった家庭用の販売ルートを広げたり、人と人との接触が憚られる中、非接触でワインを提供できるワインサーバーを積極的に販売していくなど、その時期だからこそできる新たなことをやりました。SNSでの発信を強化したことで、それらの活動を大きく後押しできましたが、それらすべてはトップダウンというよりも社員が自ら考えて出てきた方策でした。 コンセプトから丁寧に積み上げた商品 新しいタイプのワインセラー「muni(ムニ)」が誕生 Q.商品開発に変化はありましたか? はい。今まではBtoBコンセプトで、業務用ユーザーに目を向けた商品を中心に開発を行ってきたのですが、最近のワインの消費動向をみると若い世代よりシニア世代の消費が多く、いかに若い世代のワインへのハードルを下げるかが課題となっていました。そこでワインセラーの若者の顧客を作る、つまりはワインを気軽に楽しめる、ライトユーザーをターゲットにした新しい商品を開発することにしたんです。そこで生まれたのが新しいタイプのワインセラー「muni(ムニ)」です。ワインを守るためだけじゃなく、部屋の空間づくりのインテリアとして楽しめるものとして開発をしました。 「muni(ムニ)」、これは今まで見たことがないワインセラーだ。まず、見た目がとてもかわいいので、ワインに詳しくなくても部屋に置きたくなる。お気に入りのボトルを1本、庫内中央に収納してフレームインして飾るという遊び心もあり、飲まない時間もワインボトルをインテリアとして楽しめる。ポップな色が5色揃っており、色の名前もnamiはライトブルー、kimi はイエロー、mukuはホワイト、koiはピンク、yoiはネイビーと倭国語の音の名前をつけるなど、細部にまでこだわる。黒のシックで落ち着いたワインセラーが多い中、かなり斬新なデザインだ。ワイン初心者が「可愛いから部屋に置いてみたい」と購入し、気づいたらヘビーユーザーになってしまうなんてこともありそうだ。もちろん、muni(ムニ)は「ワインの品質をしっかり守る」という機能はしっかり兼ね備えている。 ネーミングは社内で募集。名前の由来は「これまでにないワインセラー」ということから「唯一無二=『muni(ムニ)』」と名付けられました。 これらの開発も経営主導でやるのではなく、社内でチームを作り、そのチームに任せました。 和田氏自身もネーミングを考えたが、このチームに却下されたそう。トップダウンではない社内の風通しの良さが感じられる話だ。 そして2023年12月に発売されたのが「フェニックス」。 こちらはハンドメイドのワイングラスだ。オーストリアのグラスメーカーSophienwald(ゾフィーエンヴァルト)社(※5)の伝統と現代の製造技術が見事に融合したグラス『PHOENIX(フェニックス)』は、驚くほど薄く軽い。独自のボウル(ワインが注がれる本体部分)設計は、ワインの香りや味を最大限に引き立てるために計算されたもの。こちらはmuniとはまた異なったヘビーユーザーやワインにこだわりを持つ方に新しい楽しみを感じてもらうものだ。 ※5 Sophienwald(ゾフィーエンヴァルト)社とは2014年にオーストリアで設立されたグラスメーカー。ルーツはオーストリア・ハンガリー帝国時代の 1725年に遡り、当時名家が所有する製造所で品質の高いハンドメイドグラスが作られていました。その後、歴史や経済の変化により、グラスはハンドメイドではなく、機械で製造されるようになりました。この、約200年続いたハンドメイドグラスの製造所の伝統ある技術を引き継いだゲルハルト・イレック氏が、高品質なハンドメイドグラスを復活させたいという強い想いで、改良に長い年月をかけ、2013年にグラスを完成させました。『PHOENIX(フェニックス)』はゾフィーエンヴァルト社が持つ古くからの伝統的なハンドメイドグラスの製造法と、現在の製造技術を融合させた、モダンでエレガントな新しいグラスです。 時代のニーズを読み取り、色々な方にワインが楽しんでもらえる空間づくりを絶え間なく提案し続けているグローバル。社長として経営方針や目標を伝えるが、目標の実現のために何をやるかは、各組織や社員一人一人が考え、実行するという風土にしたい。和田氏はいう。 それから数多くの商品を見て触って確かめられるショールームは、大阪、東京、札幌、名古屋、福岡にある、プロが様々なワインの要望に対応してくれるスペースだ。イベントやセミナーなども企画・開催し、常に売り手と買い手の顔が見え、相談できる環境を大切にしているという。 2023年に35周年を迎え、倭国におけるワイン普及の歴史とともに歩んできたグローバルは、これからも私たちにワインのある生活シーンを楽しませてくれるに違いない。 株式会社グローバル 本社:大阪市西区西本町1-5-3 扶桑ビル2階 オフィシャルサイト:https://www.globalwine.co.jp/ 株式会社グローバル / 代表取締役社長 和田 修 氏

株式会社グローバル(以下グローバル)は、約1,500点のワイン関連商品を取り扱い、その納入先はレストランやホテルを初め、百貨店、量販店、ワインインポーター(※1)など全国約27,000軒にも上る。主力商品のワイングラス・ワインセラー・ワインサーバー・ワイングッズ等があり、グローバル社開発のオリジナル商品も多い。1988年の創業以来、一貫して倭国のワイン文化の普及と業界活性化に貢献してきたワイン機器のリーディングカンパニーだ。
2019年に代表取締役社長に就任した和田修氏に話を伺った。

※1 ワインインポーターとは、海外のワイナリーからワインを輸入して、酒屋やレストラン、また一般消費者に売る業者のこと。 「海外の生産者が造るワインを、皆様のもとに届ける橋渡しの仕事」とも言えます。





定年退職後に起業する夢を諦めて入社



株式会社グローバルが創業した1988年当時は、ワインは倭国ではまだ小さな市場だった。大きなビジネスより、人がやっていないことをやりたいと、創業者の三浦清忠氏(前社長)が始めたのが、 この頃はまだあまり手を付けていなかった栓抜き等のワイン周りの小物の販売だった。

倭国に急速にワインが浸透したのは1995年のこと。世界最優秀ソムリエコンクールで田崎真也氏(※2)が優勝し、時代の寵児(※3)となった。さらにタレントのみのもんた氏がテレビ番組で、フレンチパラドックス(※4)に基づく赤ワイン健康法を紹介し、それまでワインに興味すらなかった人たちが一斉に赤ワインに注目し始め、あっという間にスーパーや酒屋さんの店頭から商品が消えた。いわゆる赤ワインブームである。 グローバルもワイン市場が拡大されていくとともにグッズ類のほかにワインセラー等のワイン関連の商品を増やし、ビジネスを拡大、ワインの総合商社へと成長していった。

※2 田崎真也(たさき しんや)は、倭国のソムリエ、ワインタレント、料理評論家。
※3 時代の寵児(ちょうじと)はその時代の風潮に合った才能を発揮して成功し、人々にもてはやされる人のことをいう。
※4 フレンチパラドックスとは1992年、ボルドー大学のセルジュ・レナウド博士が論文で「高脂肪食をフランス人は日々取っているのに、心疾患が少ないのは毎日飲んでいる赤ワインのおかげである」ということを報告し、この逆説現象を「フレンチパラドックス」と名付けた。これらのことが発表されて以来、世界中で赤ワインがブームとなった。



和田氏が入社したのは2019年のこと。それまでは酒関連メーカーの営業責任者をしているサラリーマンだったという。

Q.入社されたきっかけはなんだったのでしょうか?

前職の酒関連メーカーにいた頃、当時のグローバルの社長の三浦さんとある出会いがあり、その後出張で大阪に来るたびに、食事をご馳走になりながらいろいろな話を聞かせて頂きました。何もないところから会社を立ち上げられた創業者の話はサラリーマンの私にとって大変刺激的で興味深い内容ばかりでした。そんな食事会が何度か続いたときに、突然退職したらグローバルの社長にならないかと誘われたんです。でも最初はお断わりをしました。サラリーマンがいきなり異業種の社長をやれるほど事業は簡単ではないですし、定年後は自分で小さな事業をしようと考えていたからです。趣味の登山で知り合ったった仲間から農業従事者の方の苦悩を聞くことになり、自分がそれを解決できる方法はないだろうかと考え、山が近い長野を拠点に山仲間たちからの出資も受けて起業する準備をしていました。第二の人生なので大きな事業をすることではなく、自分たち夫婦が食べていけるくらいの利益が出て、趣味の登山とわずかな社会貢献でもできればという思いでした。グローバルをお断りする口実も含めてその話を三浦さん話すと、すぐさま「それはなかなか難しいのではないかな。グローバルでのビジネスの方が和田さんにとって面白いと思うよ」とあっさり言われまして、、

その後、何度も三浦氏に誘われた和田氏は、自分が立てた計画を見直すうちに、三浦氏が言ったように事業計画の実現は難しそうなことに気づき、結果的には自らのお金で事業をするだけならまだしも、友人に出資をしてもらってから失敗したとなると迷惑をかけてしまうことになると考え計画を断念、こんなに熱心に一緒に仕事をしたこともない自分を誘ってくれるなんて幸せな事じゃないのかという奥様の助言もあって、2019年にグローバルに入社を決断することとなる。

一方創業者の三浦氏は2022年2月にグローバル社長を退任後、以前から考えていた「経済的な問題や家庭環境で子どもの頃からの格差に抗いたい」という長年の夢をかなえるために「しらさぎ子ども図書館 -詩の森-」を三浦氏個人の資金により堺市にオープンした。読書スペース、ほっとくつろげる幼児向けの絵本読み聞かせスペース、ご近所さんが語り合う「テラスカフェ」、ともだち食堂などのみんなの居場所を目指した図書館である。現在、株式会社グローバルもSDGsの理念に基づきこの活動へ継続的に協力をしている。






しらさぎ子ども図書館 -詩の森- インスタグラム
しらさぎ子ども図書館 -詩の森- 「オオサカジン」みんなのPRコーナー


大きな企業ではなく筋肉質の強い企業



前職で営業職が長かった和田氏は、如何に効率的に売上を最大化できるかと考えて活動していた。ところが入社したグローバルの営業活動はその真逆、いわゆる昔ながらの1軒1軒のお客様の元に足を運び小さな売上をコツコツと積み上げていくという、一見すると非効率と思える販売方法だった。

最初は戸惑いましたが、やっているうちにこの会社において、自分がこれまでやってきた事が正しいのではなく、この会社に適切な営業スタイルがあるのだという事が分かってきました。つまり一見非効率に思えるやり方が、実はお客様にとって求められているものだという事です。お客様のもとに出向き、その個店別の悩みやご要望をお聞きし、最適な提案を行っていくというやり方です。これは創業者の三浦氏がずっと続けてきた営業スタイルです。また我々の事業領域はニッチな分野ですので、その中で「大きな」企業を目指すのではなく、「強い」企業を目指すことを考えています。短期間で大きな成長を目指せば必ずしわよせが来る。だから地に足をつけてじっくりと筋肉質の会社にする。そういう企業方針なんです




和田氏が入社した2019年の翌年からコロナという未曽有の出来事が起こった。多くの飲食店がダメージを受けた。飲食店はグローバルの主力の販売先である。その大切な飲食店が苦境に立っている今こそ飲食店を応援しようと、毎日のように取引先の飲食店からテイクアウトの弁当を購入した。また商品の輸入が多い中国の伝手を利用してマスクを購入し、それを飲食店に配って回った。全国の営業マンはモノを売るよりもそういう活動をしつつ飲食店を訪問していた。こういった企業姿勢が後々かえってくることとなる。

Q.コロナ禍の時期、業績はいかがでしたか?

大変ではありましたが、この機に当社が比較的攻略できていなかった家庭用の販売ルートを広げたり、人と人との接触が憚られる中、非接触でワインを提供できるワインサーバーを積極的に販売していくなど、その時期だからこそできる新たなことをやりました。SNSでの発信を強化したことで、それらの活動を大きく後押しできましたが、それらすべてはトップダウンというよりも社員が自ら考えて出てきた方策でした。


コンセプトから丁寧に積み上げた商品 新しいタイプのワインセラー「muni(ムニ)」が誕生



Q.商品開発に変化はありましたか?

はい。今まではBtoBコンセプトで、業務用ユーザーに目を向けた商品を中心に開発を行ってきたのですが、最近のワインの消費動向をみると若い世代よりシニア世代の消費が多く、いかに若い世代のワインへのハードルを下げるかが課題となっていました。そこでワインセラーの若者の顧客を作る、つまりはワインを気軽に楽しめる、ライトユーザーをターゲットにした新しい商品を開発することにしたんです。そこで生まれたのが新しいタイプのワインセラー「muni(ムニ)」です。ワインを守るためだけじゃなく、部屋の空間づくりのインテリアとして楽しめるものとして開発をしました。




「muni(ムニ)」、これは今まで見たことがないワインセラーだ。まず、見た目がとてもかわいいので、ワインに詳しくなくても部屋に置きたくなる。お気に入りのボトルを1本、庫内中央に収納してフレームインして飾るという遊び心もあり、飲まない時間もワインボトルをインテリアとして楽しめる。ポップな色が5色揃っており、色の名前もnamiはライトブルー、kimi はイエロー、mukuはホワイト、koiはピンク、yoiはネイビーと倭国語の音の名前をつけるなど、細部にまでこだわる。黒のシックで落ち着いたワインセラーが多い中、かなり斬新なデザインだ。ワイン初心者が「可愛いから部屋に置いてみたい」と購入し、気づいたらヘビーユーザーになってしまうなんてこともありそうだ。もちろん、muni(ムニ)は「ワインの品質をしっかり守る」という機能はしっかり兼ね備えている。

ネーミングは社内で募集。名前の由来は「これまでにないワインセラー」ということから「唯一無二=『muni(ムニ)』」と名付けられました。
これらの開発も経営主導でやるのではなく、社内でチームを作り、そのチームに任せました。


和田氏自身もネーミングを考えたが、このチームに却下されたそう。トップダウンではない社内の風通しの良さが感じられる話だ。

そして2023年12月に発売されたのが「フェニックス」



こちらはハンドメイドのワイングラスだ。オーストリアのグラスメーカーSophienwald(ゾフィーエンヴァルト)社(※5)の伝統と現代の製造技術が見事に融合したグラス『PHOENIX(フェニックス)』は、驚くほど薄く軽い。独自のボウル(ワインが注がれる本体部分)設計は、ワインの香りや味を最大限に引き立てるために計算されたもの。こちらはmuniとはまた異なったヘビーユーザーやワインにこだわりを持つ方に新しい楽しみを感じてもらうものだ。

※5 Sophienwald(ゾフィーエンヴァルト)社とは2014年にオーストリアで設立されたグラスメーカー。ルーツはオーストリア・ハンガリー帝国時代の
1725年に遡り、当時名家が所有する製造所で品質の高いハンドメイドグラスが作られていました。その後、歴史や経済の変化により、グラスはハンドメイドではなく、機械で製造されるようになりました。この、約200年続いたハンドメイドグラスの製造所の伝統ある技術を引き継いだゲルハルト・イレック氏が、高品質なハンドメイドグラスを復活させたいという強い想いで、改良に長い年月をかけ、2013年にグラスを完成させました。『PHOENIX(フェニックス)』はゾフィーエンヴァルト社が持つ古くからの伝統的なハンドメイドグラスの製造法と、現在の製造技術を融合させた、モダンでエレガントな新しいグラスです。


時代のニーズを読み取り、色々な方にワインが楽しんでもらえる空間づくりを絶え間なく提案し続けているグローバル。社長として経営方針や目標を伝えるが、目標の実現のために何をやるかは、各組織や社員一人一人が考え、実行するという風土にしたい。和田氏はいう。 それから数多くの商品を見て触って確かめられるショールームは、大阪、東京、札幌、名古屋、福岡にある、プロが様々なワインの要望に対応してくれるスペースだ。イベントやセミナーなども企画・開催し、常に売り手と買い手の顔が見え、相談できる環境を大切にしているという。
2023年に35周年を迎え、倭国におけるワイン普及の歴史とともに歩んできたグローバルは、これからも私たちにワインのある生活シーンを楽しませてくれるに違いない。

株式会社グローバル
本社:大阪市西区西本町1-5-3 扶桑ビル2階
オフィシャルサイト:https://www.globalwine.co.jp/


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大阪市西区 メーカー 商社・卸 新着 オオサカジン運営事務局 2024-02-16T09:30:00+09:00
社長インタビュー https://fewy.waihui.online/e758568.html 株式会社ナコム / 代表取締役 西村 直晃氏 父から受け継いだものづくり精神を活かし、手動式自動販売機製造、冷凍食品の卸販売、業務用食品の卸と、時代のニーズに合わせた業容変更を経ながら約50年間、「冷凍食品」でレジャーホテル(※1)の発展を支えてきたのが東大阪に本社を置く株式会社ナコムだ。その細やかでかゆいところに手が届くものづくりは、業容変更をしても一貫している。2015年に代表取締役に就任した西村直晃氏は、2021年に高齢者向けの新しい食のサービスを立ち上げた。さらに新しい自社製品の開発に取り組み、2024年の3月には、独自の介護食を開発、販売を開始する。さらなる挑戦に挑む西村氏に話を伺った。 ※1 レジャーホテルとは、ファッションホテル・ブティックホテル・カップルズホテル等と同じく、いわゆるラブホテルに類似するホテルの別名のこと。 ティッシュの手動式自動販売機から発展したものとは? じっとしていない会社なんです 開口一番、西村氏が言ったのはこんな言葉であった。西村氏の父は板金職人だ。下請け加工ではなく、自らのアイデアでものづくりをしてきた。 Q.お父さんはどんなものを作っていたのですか? 父は、人に言われてやるのが好きじゃなかったので、常に自分で考えてものづくりをしていました。当時は板金技術を生かして駅のトイレ横に設置するためのティッシュの自動販売機※2)を製造していました ※2 ティッシュの自動販売機:小さなレバーを下ろすと、ティッシュが1個落ちてくる。形は一般的なポケットティッシュと同じだが、サイズはやや大きめ。 手動式自動販売機は、ティッシュだけでなく、ライターの自動販売機、ホテルの旅館などに設置するための剃刀用もあった。 板金技術があったので、手動式自動販売機の完成品を製造して、自動販売機を売るだけでなく、中身の商品補充もしていました この手動式自動販売機の開発が株式会社ナコムの現在の原点となっている。この開発があったからこそ、レジャーホテルとの縁ができる。というのはテッシュやライターがあまり売れなくなった頃、レジャーホテルの部屋に避妊具の自動販売機を導入することになったのだ。 レジャーホテルでは、当時カップラーメンくらいしか部屋で食べるものがなかったんですが、食事のサービスをしたいから考えてもらいたいと相談を受けました その要望に応える続けた結果、レジャーホテルの食のプロデュースへと大きく業容変更をしていくことになる。 業務用食品卸に業態転換!食のプロデュースでレジャーホテルの発展を支える 2000年頃から冷凍食品の卸の方が主流になってきたんで、手動式自動販売機の製造を止めて、2004年、業務用食品卸に業態転換をしました 大きな決断だった。 レジャーホテルは食に詳しいわけではなかったので、メニューを作って欲しい、料理の写真も撮って欲しい、メニューの構成を考えてほしいと、様々な要望が出てきました。非対面なので、メニューを見ただけでどんな料理が分からなければならないですし、冷凍食品を盛り付けるので盛り付けたときにおいしそうに見せるための写真が必要でした 株式会社ナコム / 代表取締役 西村 直晃氏
父から受け継いだものづくり精神を活かし、手動式自動販売機製造、冷凍食品の卸販売、業務用食品の卸と、時代のニーズに合わせた業容変更を経ながら約50年間、「冷凍食品」でレジャーホテル(※1)の発展を支えてきたのが東大阪に本社を置く株式会社ナコムだ。その細やかでかゆいところに手が届くものづくりは、業容変更をしても一貫している。2015年に代表取締役に就任した西村直晃氏は、2021年に高齢者向けの新しい食のサービスを立ち上げた。さらに新しい自社製品の開発に取り組み、2024年の3月には、独自の介護食を開発、販売を開始する。さらなる挑戦に挑む西村氏に話を伺った。
※1 レジャーホテルとは、ファッションホテル・ブティックホテル・カップルズホテル等と同じく、いわゆるラブホテルに類似するホテルの別名のこと。




ティッシュの手動式自動販売機から発展したものとは?


じっとしていない会社なんです

開口一番、西村氏が言ったのはこんな言葉であった。西村氏の父は板金職人だ。下請け加工ではなく、自らのアイデアでものづくりをしてきた。

Q.お父さんはどんなものを作っていたのですか?
父は、人に言われてやるのが好きじゃなかったので、常に自分で考えてものづくりをしていました。当時は板金技術を生かして駅のトイレ横に設置するためのティッシュの自動販売機※2)を製造していました

※2 ティッシュの自動販売機:小さなレバーを下ろすと、ティッシュが1個落ちてくる。形は一般的なポケットティッシュと同じだが、サイズはやや大きめ。



手動式自動販売機は、ティッシュだけでなく、ライターの自動販売機、ホテルの旅館などに設置するための剃刀用もあった。
板金技術があったので、手動式自動販売機の完成品を製造して、自動販売機を売るだけでなく、中身の商品補充もしていました

この手動式自動販売機の開発が株式会社ナコムの現在の原点となっている。この開発があったからこそ、レジャーホテルとの縁ができる。というのはテッシュやライターがあまり売れなくなった頃、レジャーホテルの部屋に避妊具の自動販売機を導入することになったのだ。
レジャーホテルでは、当時カップラーメンくらいしか部屋で食べるものがなかったんですが、食事のサービスをしたいから考えてもらいたいと相談を受けました

その要望に応える続けた結果、レジャーホテルの食のプロデュースへと大きく業容変更をしていくことになる。


業務用食品卸に業態転換!食のプロデュースでレジャーホテルの発展を支える



2000年頃から冷凍食品の卸の方が主流になってきたんで、手動式自動販売機の製造を止めて、2004年、業務用食品卸に業態転換をしました

大きな決断だった。

レジャーホテルは食に詳しいわけではなかったので、メニューを作って欲しい、料理の写真も撮って欲しい、メニューの構成を考えてほしいと、様々な要望が出てきました。非対面なので、メニューを見ただけでどんな料理が分からなければならないですし、冷凍食品を盛り付けるので盛り付けたときにおいしそうに見せるための写真が必要でした




こうして、要望に対応していく中で、レジャーホテルの食のプロデュース会社へと進化していくこととなる。3分で完成する調理レシピ、小ロットに対応する食品卸やオリジナル商品の提案、オリジナルのメニューブックの作成、厨房設備の見直しから定期的なメニュー開発まで行うようになっていった。
西村氏が父の元で仕事を始める前は、製造メーカーの海外事業部に所属していたが、海外転勤の指令が出たときに前職の会社を辞めることとなる。
そんな海外勤務の話が出たのが退職のきっかけなんですが、父の会社はアイデアが生かせる会社だから、やりがいがあると会社に戻る決断をしました

2009年、当時世間はリーマン・ショックの真っ只中であった。
そんな大変な時期だから、メニューをタダで作ってくれとか、無茶を言ってくるところもありましたが、最終的にはそんなうちが作ったメニューが強みになり、顧客が戻ってきてくれることになりました。その結果、お客さんのすみ分けをすることもできたんです


「ほっこDELIブランド」で介護事業へ



2015年に代表取締役に就任した西村氏は、レジャーホテルの食のプロデュースに加え、もうひとつの柱となる事業展開に着手した。高齢者向けの食のサービスである。

Q. 介護食分野に参入されたきっかけは何だったのでしょうか?

レジャーホテルの食のプロデュースはもちろん素晴らしい仕事なんですが、以前から社会貢献の仕事をして、社員のやりがいをもっと大きくしたいと考えてました。そんな中、高齢者向けの施設の勉強会に参加したことがきっかけでした。社会課題の仕事がしたいという思いと、マーケットに今の事業が生かせると感じたんです。最初は、機械を導入して冷凍食品のリパック(※3)事業をスタートさせました。冷凍食品をバラピッキング(※4)は今までもやってきていたので、小規模のデイサービスの配食にも対応が出来ました

※3 リパック:小分け・袋入れ替えの作業
※4 バラピッキング:出荷する商品の梱包箱を開封し、1ピース単位で集める方法
2021年に「ほっこDELI」というブランドを立ち上げ、高齢者施設向けに冷凍食品の配食サービスを開始した。




これまでの介護食の概念を覆す 見た目も味もそのままの介護食



介護食の世界は競合他社も多く、比較されやすい。西村氏は、独自商品の開発に取り組み始める。
介護の現場で管理栄養士の岩本恵美先生(※5)と出会って、先生が作る介護食に驚かされたのがきっかけなんです




※5 岩本恵美 管理栄養士。同志社女子大学食物学科管理栄養士専攻卒業、大阪ガスに料理講師として入社。給食委託会社やケアハウスの給食業務に携わり平成18年から特別養護老人ホームフィオーレ南海に入職し、「やわらか食=やわ楽」を開発、現在に至る。また、地域で開催される、介護食・嚥下食(※6)の講習会の講師として、「やわ楽」の普及に努めている。 
※6 嚥下食(えんげしょく)とは、飲み込みや咀嚼(そしゃく※7)といった嚥下機能の低下がみられる場合に、嚥下機能のレベルに合わせて、飲み込みやすいように形態やとろみ、食塊のまとまりやすさなどを調整した食事のことを言います。
※7 咀嚼(そしゃく) とは食べ物を噛み砕いて唾液と混ぜ合わせ、やわらかく飲み込みやすい食塊(しょっかい)にすることと定義されます。
実際の料理を見た時の驚きは、これまでの介護食の概念を覆すものだったという。単に柔らかく、咀嚼力が落ちた人のために食べやすくしただけの介護食、嚥下食ではない。目で見て美味しい、食べて美味しいを追求した食べたくなるものだった。

ミキサーで柔らかくしただけでは見た目も悪いですが、岩本先生は、ペーストした魚の身に焼き魚の皮を貼りつける工夫をされていて、見た目は焼き魚そのものでした

ただ、このやり方はそのまま踏襲しても施設の現場でつくるには手間暇が掛かりすぎた。

Q.商品化にはどうやって取り組まれたのでしょうか?

商品化に向けては、岩本先生に指導いただきながらウチの調理にたけている社員や管理栄養士の社員が苦労を重ねながら主体的に試作品をつくりあげてくれたんです

アイデアを出し合い、何度も試作を重ね、試食を繰り返した。うまくできたと思っても解凍したら形がくずれてしまうこともあった。それならば、くずれない方法はなにかを模索。こうした努力を重ねた結果、ようやく納得のいく嚥下困難者向けの見た目を再現した冷凍食品が完成したのである。
すぐに工場に話を持ちかけましたが、できないと断られました。それなら、自分のところでやるしかないと。事業再構築補助金を受けることができたので、2023年にセントラルキッチンを作りました

こうして、噛まなくても舌でつぶせ、見た目も味も栄養も考量した嚥下困難者向けの冷凍食品が自社で作ることができるようになった。例えば、「やわらかとろっとビーフステーキ」は、見た目はステーキと同じ、焼き目もついている。ソースはムース状層とソース層の2段階構造になっているので、食べる人の状況に合わせて手元で調整が可能だ。



世の中にはこんな介護食を求めている方はたくさんおられる。現在のメニュー内容は、やわらかとろっとビーフステーキ・やわらかとろっと豚の生姜焼き・やわらかとろっと鶏の照り焼き・やわらかとろっと鯖の味噌煮・やわらかとろっと鯖の煮付けの5種類だ。
介護の現場だけでなく、自宅で食べたい層にも拡げていく予定である。発売予定日は、2024年3月15日に決まった。
答えのない仕事をしていかないといけないので、アイデアを出すのが楽しいと思ってもらえる食に関心のある方がわが社に来てくれると嬉しい
と西村氏。
創業以来、常に困りごとを何とかできないか、アイデアを出し続けてきたものづくりの精神は今も変わらず受け継がれ、進化し続けている。

株式会社ナコム
本社:大阪府東大阪市加納5丁目2番8号
オフィシャルサイト:https://www.nacom.jp/


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東大阪市 メーカー 飲食・フードサービス 新着 オオサカジン運営事務局 2024-02-09T09:30:00+09:00
社長インタビュー https://fewy.waihui.online/e758327.html ハートリビングサポート株式会社 / 代表取締役 中川雅文氏 賃貸のオーナーの困りごとと言えば、入退去の点検や設備の取替、故障、修繕、はたまた鍵交換等々、数限りない。こうした賃貸のオーナー(管理会社)専門の設備機器トラブルサポーターとして困りごとに24時間365日対応しているのが、2002年創業のハートリビングサポート株式会社である。代表取締役の中川雅文氏自ら先陣を切って営業所を開拓していき、現在は13ヵ所。北は札幌から南は九州沖縄まで拡大した。常に今までにないきめ細やかなサービスを生み出し、賃貸設備取替市場のオンリーワンをめざしているハートリビング株式会社の代表取締役中川氏に話を伺った。 24時間年中無休!設備機器専門対応の会社を設立 2002年に株式会社ハートガスシステム(後に現在の社名に変更)を設立。設立当初は、管理会社や賃貸オーナー向けにガス給湯器をメインに展開していた。中川氏は創業当時からのメンバーである。 Q:まず、起業されたきっかけをお聞かせください。 40歳までに独立しようと考えていました。独立前は株式会社パロマ(※1)の特販部に所属してまして、そこでゼネコンやハウスメーカー、管理会社を新規で契約するチームにいました。そのときの上司が創業時の代表です。創業時は、上司と部下4人のメンバーでスタートしました。 ※1 株式会社パロマは、愛知県名古屋市に本社を置き、ガスコンロやガス給湯器などを製造販売する大手ガス器具メーカー。 現在は、コールセンターに委託することが当たり前になっているが、設立当時は管理会社が対応するのが普通だった。しかも24時間年中無休で設備機器専門に対応するサービスは画期的だった。 設備トラブルの対応に関して一般の管理会社に代わり、当時なかった自社で集約ができる設備会社を目指したんです。 Q:2014年には現在のハートリビングサポート株式会社に社名変更されていますが、どのような経緯だったのでしょうか? ニーズに答えていく中で品揃えも順次拡大し、ガス設備だけでなくリビング設備機器全般を扱うようになり、社名を変更しました。最初は近畿だけでしたが、2011年に東京本社を開設したのが全国展開への大きなきっかけになりました。 創業当時から全国展開をしていくことを目標にしていた中川氏は、どんどん営業所を増やしていった。 全国展開をめざし、先陣を切って営業所を開拓  2007年に福岡営業所を開設をし、東京、埼玉、仙台、さらには沖縄、札幌と営業所を増やしていき、現在は13か所、ほぼ全国で対応ができるようになった。 札幌・広島の営業所以外は、すべて自分で開拓しました。私がすれば、失敗したらそれは自分の責任。私自身が動くことで社員のリスクも減らせます。全国に広げるまで20年かかりました。正直、範囲が広すぎて途中であきらめかけたこともありました。 中川氏はこの業界で全国展開しているところは他にはないという。地元の管理会社や工事会社との関係性を築くために、単身で約1年間、先に現地に入り、そこで暮らしたそうだ。 人間性や地域性なども勉強し繋がって、自分が納得して広げてきました。 2002年に4人で創業した会社は、現在、社員数135人、年商58億円に成長していった。 私は前職のパロマ在職時、阪神淡路大震災が起こりました。その時、困っている人がいればすぐにかけつける「クイックレスポンス」こそ私の仕事の原点です。あの時は、水を運んだり、ガスストーブを運びました。 この中川氏の原点「困っているところへすぐに行き、即対応する精神」は事業拡大に大きく繋がっていくこととなる。 賃貸住宅の入居前点検や鍵交換を請け負う 2022年2月には、グループ会社「株式会社Realize」を設立した。代表を務めているのは、女性取締役・・池田社長である。Realizeは管理会社に代わり、入居前の部屋の点検、鍵交換、簡易清掃を請け負っている。 Q:きっかけは何だったのでしょうか? 福岡の管理会社が人手不足で困っていたことがきっかけになりました。福岡に限らず、入居時期が集中するため管理会社は忙しすぎて、大切な入居前点検を目視するだけだったりするんです。するとクレームも多くなります。最初は手探りで始めたんですが、福岡でこの仕事に携わってくれた女性が当たり前のことを普通に行い、管理会社から高評価を得たんです。 Realizeが管理会社に代わり、当たり前のことを、普通にきっちりとおこなうことで、管理会社への入居後のクレームは激減したそうだ。またRealizeでは、人材活用にも力を注いでいる。様々な事情でフルタイムは無理だが、働きたいという女性は多い。その空いている時間を有効に使うことができれば、働きたい女性の活躍の場がもっと広がり、やりがいも生まれる。そんな自分のライフスタイルの合わせた働き方を提供できるように進めている。 そんなRealizeで活躍している6割が、女性だそう。 株式会社Realize ホームページ Q:設備関連の困りごとは他にもありそうですね。 「物流業界の2024年問題」(※2)が待ったなしの状況で、宅配ボックスなどもこれからまだまだ必要になってきます。それに関連するオートロックシステムや防犯カメラシステムのニーズも増えています。 ※2 「物流業界の2024年問題」は、働き方改革関連法により、2024年4月からトラックドライバーの時間外労働が年間960時間に制限され、輸送能力が不足する可能性がある問題です。解決策としては、荷主とトラック事業者の連携、労働環境の改善、再配達の削減などが求められています。 売上高比率は修理・交換事業が7割、リース事業が3割だいう。リース事業は、大阪ガスファイナンス(大阪市)のリース契約を代理店として販売し、リース期間中の機器のトラブルに対応している。一つの物件の設備は同時期に製造された製品なので、故障する時期も重なりがちであるため、リースでを費用を抑えながら一括交換する提案している。 営業所は地元で雇用!勤務地、職種を社員の希望に沿うように切り替える どこの地域も同じ倭国であると、全国展開を目指し、諦めることなく邁進した中川氏。しかし、起業して以来、ほぼ単身赴任状態だったそうだ。家に帰るのは月に1、2回だったとのこと。そうした自身の経験を踏まえ、大きく方向転換しているという。 還暦が節目になりました。今までは、営業はいろんなところに行って経験すべきだと考えていましたが、転勤が多くなると辞める社員も出てきたりしました。地元で仕事ができるのが今では普通の考えです。地方に転勤したいと希望される方も、もちろん大歓迎、社員の気持ちに寄り添うことが大切です。 勤務地、職種を社員の希望に沿うように切り替え、地元で採用するように方向転換、働きやすい環境作りをしている。例えば、勤務時間は9時~17時30分でも7時から15時30分でも可能だ。24時間体制だからこそ、勤務時間を自由に選べる。また、今までは社員で回していた土日勤務をアルバイト体制に切り替えた。社員ファーストです。 Q:今、どのような人材が来て欲しいとお考えでしょうか? 誠実でまじめで嘘をつかない人ですね。私も嘘はつきたくないです。楽しみながら成長できるような会社でありたいと思っています。 中川氏はサッカーで言えば営業はフォワードであり、内勤はミッドフィルダー、工事担当者はディフェンダー、経理はゴールキーパー、つまりはそれぞれの役割があり、誰が偉いというのではなく、各部署で協力連携し、業務を尊重し合える会社でありたいと語る。 阪神淡路大震災がきっかけで人に喜んでもらえる仕事しようと、邁進し続けた中川氏。ライフスタイルが変化していく中で、社員の働き方にあったどんな仕事を生み出していくのか、これからも目が離せない。 ハートリビングサポート株式会社 本社:【大阪】大阪府東大阪市長田西2-5-1【東京】東京都大田区南蒲田2-16-2 テクノポート大樹生命ビル1F オフィシャルサイト:https://hls2002.jp/ ハートリビングサポート株式会社 / 代表取締役 中川雅文氏

賃貸のオーナーの困りごとと言えば、入退去の点検や設備の取替、故障、修繕、はたまた鍵交換等々、数限りない。こうした賃貸のオーナー(管理会社)専門の設備機器トラブルサポーターとして困りごとに24時間365日対応しているのが、2002年創業のハートリビングサポート株式会社である。代表取締役の中川雅文氏自ら先陣を切って営業所を開拓していき、現在は13ヵ所。北は札幌から南は九州沖縄まで拡大した。常に今までにないきめ細やかなサービスを生み出し賃貸設備取替市場のオンリーワンをめざしているハートリビング株式会社の代表取締役中川氏に話を伺った。




24時間年中無休!設備機器専門対応の会社を設立



2002年に株式会社ハートガスシステム(後に現在の社名に変更)を設立。設立当初は、管理会社や賃貸オーナー向けにガス給湯器をメインに展開していた。中川氏は創業当時からのメンバーである。

Q:まず、起業されたきっかけをお聞かせください。
40歳までに独立しようと考えていました。独立前は株式会社パロマ(※1)の特販部に所属してまして、そこでゼネコンやハウスメーカー、管理会社を新規で契約するチームにいました。そのときの上司が創業時の代表です。創業時は、上司と部下4人のメンバーでスタートしました。

※1 株式会社パロマは、愛知県名古屋市に本社を置き、ガスコンロやガス給湯器などを製造販売する大手ガス器具メーカー。

現在は、コールセンターに委託することが当たり前になっているが、設立当時は管理会社が対応するのが普通だった。しかも24時間年中無休で設備機器専門に対応するサービスは画期的だった。



設備トラブルの対応に関して一般の管理会社に代わり、当時なかった自社で集約ができる設備会社を目指したんです。

Q:2014年には現在のハートリビングサポート株式会社に社名変更されていますが、どのような経緯だったのでしょうか?
ニーズに答えていく中で品揃えも順次拡大し、ガス設備だけでなくリビング設備機器全般を扱うようになり、社名を変更しました。最初は近畿だけでしたが、2011年に東京本社を開設したのが全国展開への大きなきっかけになりました。

創業当時から全国展開をしていくことを目標にしていた中川氏は、どんどん営業所を増やしていった。


全国展開をめざし、先陣を切って営業所を開拓

 
2007年に福岡営業所を開設をし、東京、埼玉、仙台、さらには沖縄、札幌と営業所を増やしていき、現在は13か所、ほぼ全国で対応ができるようになった。
札幌・広島の営業所以外は、すべて自分で開拓しました。私がすれば、失敗したらそれは自分の責任。私自身が動くことで社員のリスクも減らせます。全国に広げるまで20年かかりました。正直、範囲が広すぎて途中であきらめかけたこともありました。

中川氏はこの業界で全国展開しているところは他にはないという。地元の管理会社や工事会社との関係性を築くために、単身で約1年間、先に現地に入り、そこで暮らしたそうだ。
人間性や地域性なども勉強し繋がって、自分が納得して広げてきました。

2002年に4人で創業した会社は、現在、社員数135人、年商58億円に成長していった。
私は前職のパロマ在職時、阪神淡路大震災が起こりました。その時、困っている人がいればすぐにかけつける「クイックレスポンス」こそ私の仕事の原点です。あの時は、水を運んだり、ガスストーブを運びました。




この中川氏の原点「困っているところへすぐに行き、即対応する精神」は事業拡大に大きく繋がっていくこととなる。

賃貸住宅の入居前点検や鍵交換を請け負う


2022年2月には、グループ会社「株式会社Realize」を設立した。代表を務めているのは、女性取締役・・池田社長である。Realizeは管理会社に代わり、入居前の部屋の点検、鍵交換、簡易清掃を請け負っている。



Q:きっかけは何だったのでしょうか?
福岡の管理会社が人手不足で困っていたことがきっかけになりました。福岡に限らず、入居時期が集中するため管理会社は忙しすぎて、大切な入居前点検を目視するだけだったりするんです。するとクレームも多くなります。最初は手探りで始めたんですが、福岡でこの仕事に携わってくれた女性が当たり前のことを普通に行い、管理会社から高評価を得たんです。

Realizeが管理会社に代わり、当たり前のことを、普通にきっちりとおこなうことで、管理会社への入居後のクレームは激減したそうだ。またRealizeでは、人材活用にも力を注いでいる。様々な事情でフルタイムは無理だが、働きたいという女性は多い。その空いている時間を有効に使うことができれば、働きたい女性の活躍の場がもっと広がり、やりがいも生まれる。そんな自分のライフスタイルの合わせた働き方を提供できるように進めている。
そんなRealizeで活躍している6割が、女性だそう。

株式会社Realize ホームページ

Q:設備関連の困りごとは他にもありそうですね。
「物流業界の2024年問題」(※2)が待ったなしの状況で、宅配ボックスなどもこれからまだまだ必要になってきます。それに関連するオートロックシステムや防犯カメラシステムのニーズも増えています。

※2 「物流業界の2024年問題」は、働き方改革関連法により、2024年4月からトラックドライバーの時間外労働が年間960時間に制限され、輸送能力が不足する可能性がある問題です。解決策としては、荷主とトラック事業者の連携、労働環境の改善、再配達の削減などが求められています。
売上高比率は修理・交換事業が7割、リース事業が3割だいう。リース事業は、大阪ガスファイナンス(大阪市)のリース契約を代理店として販売し、リース期間中の機器のトラブルに対応している。一つの物件の設備は同時期に製造された製品なので、故障する時期も重なりがちであるため、リースでを費用を抑えながら一括交換する提案している。


営業所は地元で雇用!勤務地、職種を社員の希望に沿うように切り替える


どこの地域も同じ倭国であると、全国展開を目指し、諦めることなく邁進した中川氏。しかし、起業して以来、ほぼ単身赴任状態だったそうだ。家に帰るのは月に1、2回だったとのこと。そうした自身の経験を踏まえ、大きく方向転換しているという。
還暦が節目になりました。今までは、営業はいろんなところに行って経験すべきだと考えていましたが、転勤が多くなると辞める社員も出てきたりしました。地元で仕事ができるのが今では普通の考えです。地方に転勤したいと希望される方も、もちろん大歓迎、社員の気持ちに寄り添うことが大切です。

勤務地、職種を社員の希望に沿うように切り替え、地元で採用するように方向転換、働きやすい環境作りをしている。例えば、勤務時間は9時~17時30分でも7時から15時30分でも可能だ。24時間体制だからこそ、勤務時間を自由に選べる。また、今までは社員で回していた土日勤務をアルバイト体制に切り替えた。社員ファーストです。



Q:今、どのような人材が来て欲しいとお考えでしょうか?
誠実でまじめで嘘をつかない人ですね。私も嘘はつきたくないです。楽しみながら成長できるような会社でありたいと思っています。

中川氏はサッカーで言えば営業はフォワードであり、内勤はミッドフィルダー、工事担当者はディフェンダー、経理はゴールキーパー、つまりはそれぞれの役割があり、誰が偉いというのではなく、各部署で協力連携し、業務を尊重し合える会社でありたいと語る。
阪神淡路大震災がきっかけで人に喜んでもらえる仕事しようと、邁進し続けた中川氏。ライフスタイルが変化していく中で、社員の働き方にあったどんな仕事を生み出していくのか、これからも目が離せない。

ハートリビングサポート株式会社
本社:【大阪】大阪府東大阪市長田西2-5-1【東京】東京都大田区南蒲田2-16-2 テクノポート大樹生命ビル1F
オフィシャルサイト:https://hls2002.jp/


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東大阪市 情報・教育・サービス 新着 オオサカジン運営事務局 2024-02-02T09:30:00+09:00
社長インタビュー https://fewy.waihui.online/e757907.html ISOYU株式会社 / 代表取締役 磯遊晋介 氏 2015年に5万円でできるホームページ(HP)制作のPandA DESIGNを皮切りに、出張写真撮影や動画撮影などのサービスを行うパンダフォトスタジオ。 2020年には「店内商品がレジにて全品半額になる」という「半額倉庫」。 さらには半額倉庫の新たなブランドとして新品本が全品半額になる「半額書店」など、夢中になれるアイデアを生み出し次々に事業展開しているのが都島区に本社を置くISOYU株式会社である。 2023年11月にオープンしたばかりの「なまけものカフェ」に於いて代表取締役 磯遊(いそゆう)晋介氏に話を伺った。 チンしてごちそう!なまけもの店長のいるカフェ 都島駅から歩いて3分ほどのちょっと隠れ家的な場所に「なまけものカフェ」がある。 おだやかな人柄がにじみ出るような笑顔で出迎えてくれた。 空き家になっていたぼろぼろ古民家を改装した店内にはかわいいイラスト。社員の女性が描いたそうだ。 食べ物は冷凍ながら冷凍庫には、オムライス、ピザ、パスタにスイーツ、キッズ向けメニューもと盛りだくさんのメニューがあり、充実している。 またスタッフ側が温めて提供してもらえるのも有難い。また冷凍食品はテイクアウトすることも可能だ。 ここは、貸し切りをされる方が多いんです。特にお子様のいらっしゃるママ達がここでイベントで貸し切りされる方が多いんですね。。「なまけものカフェ」はまだ1軒だけですが、すべて冷凍食品なので、自宅の空きスペースがあればそこでも営業できると思います。 小さいお子さんがいるお母さんたちが気兼ねなくおしゃべりしたり、食事をしたりするのにはうってつけの場所だ。 山積みの滞留品との出会い HP事業からまったく畑違いの半額倉庫を始められたきっかけはなんだったのだろうか。 HPを作るときにお客様にヒアリングをするんですが、商談場所が倉庫だったんです。 倉庫に滞留品(※1)が、たくさん置いてあったんです。余っているなら売って欲しいと言ったら、壊れているものもあるかもしれないけれど、どれでも1個100円で売ると。 周りには売れそうな商品もあり、インターネット販売したら売れるのでは?そこに賭けてみようとその場で決め、倉庫全ての品を200万円で買い取りました。(※1)滞留品:倉庫などに在庫されているが、長期間使われていない品物。賞味期限が迫っているものや、パッケージに損傷が見られるものなどが該当する。 パッケージが損傷したもの、中には10円くらいにしかならないだろうというものもあったが、 ニンテンドースイッチ(※2)がチラチラと見える。しかも大量にあった。 当時の磯遊氏にとって200万円は大金ではあったが、購入した商品の出口は見えていたという。大量の商品で自宅のマンションは段ボールの山と化した。 (※2)ニンテンドースイッチ:任天堂が開発を行い、2017年に発売した世界的な家庭用ゲーム機。シリーズの累計販売台数は1億3000万台を超える。 販売の基本はインターネットで出品しました。だいたい3倍から4倍で売れました。インターネット販売は順調でしたが、問題もあったんです。布団などの大きなものは送料がかかり過ぎ赤字になる。そこで小売りもしていきたいという思いが、「半額倉庫」になりました。 2020年9月に事業を開始した「半額倉庫」は、空き倉庫を活用したビジネスである。使用されていない倉庫などを活用している。 店内の商品はどれを手に取っても、レジに持っていけば全て表示価格の半額になる。表示価格は定価表示ではなく、すべてネット相場を基準に設定している。 「半額倉庫」は1号店のオープン前から注目を集め、大行列となった。テレビ取材やYahooニュースにも取り上げられ、たちまち話題となっていった。 無造作に置かれたカゴ台車やパレットの上には、テレビや電子レンジなどの家電、ゲームやおもちゃ、日用品から家具、寝具まであらゆる商品が所せましと積まれている。照明は暗くし、冷房は扇風機、商品は無造作に置かれている。 検品するのはお客様であるが、お客様も宝探しの気分で楽しめる。 現在は北は北海道から南は九州、福岡までと全国に広がり、FC15社20店舗(2024年1月時点)を展開している。 各店舗は仕入れを共有することで人件費を削減している。ロイヤルティ(権利代)として売上10%がISOYU株式会社に入る仕組みだ。 磯遊氏のYouTube番組には約11,000人のファンがおり、ライブでのセリ市なども展開している。 2023年11月には、半額倉庫のサブ・ブランド「半額書店」も誕生した。 本はさほど場所を取らないため、半額倉庫のブースなどに置いて展開中である。「なまけものカフェ」の一角でも絵本や図鑑などを販売している。 100億稼ぐ会社ではなく、みんなで楽しく10億の会社に ISOYU株式会社の事業軸は看板代、仕入れシステム、PR広報の3軸による版権収益である。 「半額倉庫」もISOYU株式会社側で商品を仕入れて販売することはしていない。 人は増やしたくないんです。ただ楽しくやりたいっていうのがあって、稼ぎたいというよりは、楽しい仕事を一生していきたいなと思っています。基本的には一人で考えることの方が多いです。 100億稼ぐ会社ではなくて、10億稼げる会社の方がみんなが楽しくなると思います。 今後のビジョンとは。 激安のドリンクのみを販売する事業を考えています。「半額倉庫」の方は、少し慎重になっています。どんどん増やしていくのではなく、運営者の人柄を見たり考え方を聞きながら進めていこうと思っています。 リコーグループ、ソフトバンクグループ、スマホ企業を経てホームページデザインで起業し、「半額倉庫」、「半額倉庫卸」へと展開していった。 死ぬときに退屈だったなあと思いたくない。「もうええわ!」と言って死にたいと磯遊氏はいう。 自分自身も、関わってくれる人も楽しい仕事になるために、常に夢中になれるアイデアを全力で考え続けている。 ISOYU株式会社 本社:大阪市都島区友渕町3丁目10−5 2F 203 【PandA DESIGN】https://www.panda-design.net/ 【パンダフォトスタジオ】https://www.panda-photo.com/ 【半額倉庫】https://www.hangaku-soko.com/ 【半額倉庫 卸】https://www.hangaku-soko.com/oroshi/ 【なまけものカフェ】https://www.namakemono.cafe/ ISOYU株式会社 / 代表取締役 磯遊晋介 氏

2015年に5万円でできるホームページ(HP)制作のPandA DESIGNを皮切りに、出張写真撮影や動画撮影などのサービスを行うパンダフォトスタジオ
2020年には「店内商品がレジにて全品半額になる」という「半額倉庫」
さらには半額倉庫の新たなブランドとして新品本が全品半額になる「半額書店」など、夢中になれるアイデアを生み出し次々に事業展開しているのが都島区に本社を置くISOYU株式会社である。 2023年11月にオープンしたばかりの「なまけものカフェ」に於いて代表取締役 磯遊(いそゆう)晋介氏に話を伺った。



チンしてごちそう!なまけもの店長のいるカフェ


都島駅から歩いて3分ほどのちょっと隠れ家的な場所に「なまけものカフェ」がある。
おだやかな人柄がにじみ出るような笑顔で出迎えてくれた。
空き家になっていたぼろぼろ古民家を改装した店内にはかわいいイラスト。社員の女性が描いたそうだ。
食べ物は冷凍ながら冷凍庫には、オムライス、ピザ、パスタにスイーツ、キッズ向けメニューもと盛りだくさんのメニューがあり、充実している。
またスタッフ側が温めて提供してもらえるのも有難い。また冷凍食品はテイクアウトすることも可能だ。




ここは、貸し切りをされる方が多いんです。特にお子様のいらっしゃるママ達がここでイベントで貸し切りされる方が多いんですね。。「なまけものカフェ」はまだ1軒だけですが、すべて冷凍食品なので、自宅の空きスペースがあればそこでも営業できると思います。


小さいお子さんがいるお母さんたちが気兼ねなくおしゃべりしたり、食事をしたりするのにはうってつけの場所だ。

山積みの滞留品との出会い


HP事業からまったく畑違いの半額倉庫を始められたきっかけはなんだったのだろうか。
HPを作るときにお客様にヒアリングをするんですが、商談場所が倉庫だったんです。
倉庫に滞留品(※1)が、たくさん置いてあったんです。余っているなら売って欲しいと言ったら、壊れているものもあるかもしれないけれど、どれでも1個100円で売ると。
周りには売れそうな商品もあり、インターネット販売したら売れるのでは?そこに賭けてみようとその場で決め、倉庫全ての品を200万円で買い取りました。
(※1)滞留品:倉庫などに在庫されているが、長期間使われていない品物。賞味期限が迫っているものや、パッケージに損傷が見られるものなどが該当する。

パッケージが損傷したもの、中には10円くらいにしかならないだろうというものもあったが、 ニンテンドースイッチ(※2)がチラチラと見える。しかも大量にあった。
当時の磯遊氏にとって200万円は大金ではあったが、購入した商品の出口は見えていたという。大量の商品で自宅のマンションは段ボールの山と化した。
(※2)ニンテンドースイッチ
:任天堂が開発を行い、2017年に発売した世界的な家庭用ゲーム機。シリーズの累計販売台数は1億3000万台を超える。


販売の基本はインターネットで出品しました。だいたい3倍から4倍で売れました。インターネット販売は順調でしたが、問題もあったんです。布団などの大きなものは送料がかかり過ぎ赤字になる。そこで小売りもしていきたいという思いが、「半額倉庫」になりました。




2020年9月に事業を開始した「半額倉庫」は、空き倉庫を活用したビジネスである。使用されていない倉庫などを活用している。
店内の商品はどれを手に取っても、レジに持っていけば全て表示価格の半額になる。表示価格は定価表示ではなく、すべてネット相場を基準に設定している。
「半額倉庫」は1号店のオープン前から注目を集め、大行列となった。テレビ取材やYahooニュースにも取り上げられ、たちまち話題となっていった。
無造作に置かれたカゴ台車やパレットの上には、テレビや電子レンジなどの家電、ゲームやおもちゃ、日用品から家具、寝具まであらゆる商品が所せましと積まれている。照明は暗くし、冷房は扇風機、商品は無造作に置かれている。
検品するのはお客様であるが、お客様も宝探しの気分で楽しめる。
現在は北は北海道から南は九州、福岡までと全国に広がり、FC15社20店舗(2024年1月時点)を展開している。
各店舗は仕入れを共有することで人件費を削減している。ロイヤルティ(権利代)として売上10%がISOYU株式会社に入る仕組みだ。
磯遊氏のYouTube番組には約11,000人のファンがおり、ライブでのセリ市なども展開している。
2023年11月には、半額倉庫のサブ・ブランド「半額書店」も誕生した。
本はさほど場所を取らないため、半額倉庫のブースなどに置いて展開中である。「なまけものカフェ」の一角でも絵本や図鑑などを販売している。



100億稼ぐ会社ではなく、みんなで楽しく10億の会社に


ISOYU株式会社の事業軸は看板代、仕入れシステム、PR広報の3軸による版権収益である。
「半額倉庫」もISOYU株式会社側で商品を仕入れて販売することはしていない。
人は増やしたくないんです。ただ楽しくやりたいっていうのがあって、稼ぎたいというよりは、楽しい仕事を一生していきたいなと思っています。基本的には一人で考えることの方が多いです。
100億稼ぐ会社ではなくて、10億稼げる会社の方がみんなが楽しくなると思います。




今後のビジョンとは。
激安のドリンクのみを販売する事業を考えています。「半額倉庫」の方は、少し慎重になっています。どんどん増やしていくのではなく、運営者の人柄を見たり考え方を聞きながら進めていこうと思っています。


リコーグループ、ソフトバンクグループ、スマホ企業を経てホームページデザインで起業し、「半額倉庫」、「半額倉庫卸」へと展開していった。
死ぬときに退屈だったなあと思いたくない。「もうええわ!」と言って死にたいと磯遊氏はいう。
自分自身も、関わってくれる人も楽しい仕事になるために、常に夢中になれるアイデアを全力で考え続けている。


ISOYU株式会社
本社:大阪市都島区友渕町3丁目10−5 2F 203
【PandA DESIGN】https://www.panda-design.net/
【パンダフォトスタジオ】https://www.panda-photo.com/
【半額倉庫】https://www.hangaku-soko.com/
【半額倉庫 卸】https://www.hangaku-soko.com/oroshi/
【なまけものカフェ】https://www.namakemono.cafe/



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大阪市都島区 商社・卸 小売・流通 情報・教育・サービス 新着 オオサカジン運営事務局 2024-01-26T09:30:00+09:00
社長インタビュー https://fewy.waihui.online/e757574.html 株式会社Meta Osaka 代表取締役 毛利英昭 氏 1990年代半ばから普及が始まったインターネットは、今や人々の生活はもちろん、社会においてもなくてはならないインフラである。インターネットが普及する以前と以後では、世界が一変した。そのインターネットの世界に今、次の時代が訪れようとしている。 最近になってメタバースという言葉を見聞きする機会が増えたと感じている人も少なくないだろう。メタバースとは、「インターネット上に構築された三次元の仮想空間」のことを指す。 メタバース空間には現実の世界と同じような街があり、ユーザーは自身の分身であるアバター(※1)を使って空間内でさまざまな体験をしたり、他のユーザーとコミュニケーションをとることができる。 (※1)アバター:デジタル空間におけるユーザーの代理となるキャラクターのことである。 大阪で長らく不動産業を営んでいる代表の毛利英昭氏はメタバースに着目し、2023年9月に別会社の株式会社Meta Osakaを立ち上げた。 設立の経緯を毛利氏が語る。 設立の理由は、大きく分けると二つあります。 まず一つ目は、私は不動産業を25年以上やっています。今後はバーチャルの世界も不動産に似たような形で資産になり得る。バーチャル空間のなかでの不動産売買や賃貸など、そういうビジネスが今後もっと本格的になるだろうという点に、すごくチャンスを感じました。 もうひとつは、憂国の思い。 リアルの世界で不動産売買をやっていて、身近なところで海外の企業や富裕層が倭国国内の不動産をどんどん買っているのを見ています。バーチャルの世界でも同じようなことが起こると、充分に考えられます。 実際に今、アニメや漫画の著作権など、倭国のIP(Intellectual Property / インテレクチュアル・プロパティ=知的財産)も海外に買われているんです。バーチャル世界の大阪を海外から守るために、いち早く着手していかないといけない。そういう思いで立ち上げました。 5億人以上がいるオンラインゲームでのメタバース参入 メタバースに参入するにあたって着目したのは、全世界に5億人以上のユーザーがいるオンラインゲーム「フォートナイト」。 無料でプレーできるバトルロイヤルゲームで、アバターのコスチュームやステージ(ゲーム内ではワールドとされる)などがカスタマイズできる柔軟性も人気の秘密。 現在は「フォートナイト」用に、道頓堀界隈などを制作中です。 他社で制作されているところがあるかもしれませんし、海外に先に抑えられる可能性もある。だから我々が先に作って、道頓堀商店街さんや大阪府、大阪市にMeta Osakaのものがオフィシャルだと認めてもらえるバーチャル空間を作りたい。言い方をかえると大阪のIP(知的財産)や歴史や文化を守りたいと思って進めています。 「フォートナイト」の世界に、道頓堀商店街の空間を展開する。その狙いは世界中の人々にメタバースの世界で大阪に触れて興味を持ってもらい、実際に来日して大阪観光を促すこと。 Meta Osakaが掲げるミッションは『デジタルツイン(※2)×エンタメで、大阪を世界一おもろいに都市(まち)に』なんです。 宿泊仲介会社のエアビーアンドビーの調査によると、コロナ禍前の海外の人たちの行きたい国ランキングの1位に、大阪市中央区がなったことがあるんですよ。大阪城公園があったり、道頓堀も大阪市中央区です。とにかく世界中から大阪に、どんどん人が集まってくる。今は大阪に来られるインバウンド観光客が年間1200万人ぐらいで、2030年には倍増すると言われていますが、それでも2400万人。 ですがメタバースであればリーチできるのは5億人と、ケタがひとつ違います。大阪にいながらにして、大阪を世界中にアピールできるツール。メタバースを通じて大阪に興味を持った人たちを呼び込んで、<大阪を世界一おもろい都市(まち)>にしたいんです。 (※2)デジタルツイン:リアル(物理)空間にある情報をIoTなどで集め、送信されたデータを元にサイバー(仮想)空間でリアル空間を再現する技術。 大阪の街に人が集まれば当然、雇用も増える。それも毛利社長が目指すもののひとつ。 大阪人が大阪で活躍できるには、大阪で働ける場所が必要です。これからおそらく、「フォートナイト」クリエイターが夢の職業みたいになってくると思います。そのときに就職するならMeta Osakaといわれるようになると、これはかなり面白いかなと。 現在はIT企業の9割は東京なので、地方のコ(人)はみんな東京、もしくは海外に行ってしまいます。ですが今私達と一緒に動いているクリエイターはみんな大阪出身で、大阪に住んでいるコ(人)なんです。大阪の人達が地元の企業で力を発揮できるような、そういう環境を作っていく。 それは大阪にとっての宝であり、財産を守れることになる。今までは働く場所がなかったので、それを作って次世代のヒーローをつくりたいという思いがあります。 メタバースの扉を開け、教育とその先へ 「フォートナイト」はMeta Osaka社にとってメタバースの扉を開ける、ひとつのツール。 扉を開けた先に進もうとしている先には、複数の道がある。 そのひとつは、教育分野への進出。 わかりやすい一つの例として、「フォートナイト」は小学生の9割以上がプレイしています。そこではみんな、英語でやり取りしているんです。なので子どもたちは英語がしゃべれないとゲームが楽しめないから、親に英語を習いたいと訴えています。以前であれば親が子に勧めていたものを、今は子どものほうから望んでいるんです。ですのでゲームを一つの教育ツールとして利用していくことも考えられます。 「それ以外にも」と言って、話を紡ぐ。 最近は積極的不登校の問題もあります。 これはイジめられているから引きこもるというネガティブな不登校ではなく、知識レベルの高いコ(人)は、学校のレベルが低いから行っても仕方がないので自分で勉強する。それが積極的不登校で、その言葉を最近はメディアでも見かけるようになりました。実際にそういうコ(人)って、知識レベルがすごく高いんですよ。なのでメタバースの空間でスクールとかを作れば、学校の代わりにいろんな教育を施すこともでき得る。学校関係や予備校、塾なども、メタバースに参入してきています。なのでそこにもビジネスチャンスは、すごくあると思っています。 教育分野がBtoCであるなら、もう一方のBtoBのビジネスチャンスにも目を向けている。 メタバース空間にイベント会場を作って、ライブや講演会などのイベントを開けば、そこに集客できる。 例えばバーチャルの大阪城ホールを作って、そこでライブがしたいアーティストに貸し出すとすれば、本物を借りるよりもはるかに安い金額で実現できます。それに「フォートナイト」上の道頓堀商店街のワールドでeスポーツ大会を開いて、会場使用料をいただくのもそう。 そこに広告看板を入れてスポンサーを集めたりする、2次利用の方法もある。ただ現在はまだまだ法整備も追いついてないですし、業界自体も知見や事例が少ないんです。だから私たちが先にいろんなことにチャレンジして、やっていきたい。 BtoC、BtoBで終わりではない。毛利社長はBtoGにも動きを進めている。 GとはGovermment。すなわち、対象は「行政」だ。 行政は、人口減少などの問題を抱えています。なので国や行政の予算を使って、町おこしだったり、観光客を増やすためのビジネスをいっしょにできないかとの相談も受けています。国や行政からの補助金を活用して、バーチャルの空間でイベントを展開していく。 BtoGによる、デジタルツインですね。実際の動きとして政治家の方に呼ばれて勉強会を開いたりしていますし、議員と情報交換をしたり、彼らから相談の連絡が来ることもあるんです。行政、役所とも連携を取りながら進めています。 “おもろい大阪”切り拓こうとする開拓者 インターネットがなかった1980年代。倭国は世界の勝ち組だった。しかしインターネットが普及し始めた1990年代以降は、世界経済から取り残されてしまっている。これは倭国が、新しいテクノロジーにはまらなかったことがすべての要因。そんなインターネットの世界には、メタバースという次の革新が起こりつつある。 インターネットがない時代に倭国は、世界でトップクラスでした。アメリカに追い付き、追い越して、世界の時価総額ベスト50のなかに倭国の企業が32社も入っていました。 しかしインターネットを使う時代になってから倭国は世界では負け始めて、今では残念ながら時価総額ベスト50には1社も入っていません。 これからは、インターネットの中に入る時代、もしくはインターネットの中で生活する時代が始まります。 ここで倭国は奮起しないと、もう完全に取り残されてしまいます。今はいわば、次のスタートの時期。ここで立ち後れてしまっては、もう取り返しがつきません。 祖国がデジタル社会に出遅れてしまっている現状を打破せんとする憂国の士であり、自らの商いの地場である街を、メタバースで“おもろい大阪”に切り拓こうとする開拓者毛利英昭氏。 彼がどんなOsakaの未来を我々に見せてくれるのか、楽しみだ。 株式会社Meta Osaka 本社:大阪市中央区平野町1丁目7番3号 BRAVI北浜7階 オフィシャルサイト:https://www.meta-osaka.co.jp/ 株式会社Meta Osaka 代表取締役 毛利英昭 氏

1990年代半ばから普及が始まったインターネットは、今や人々の生活はもちろん、社会においてもなくてはならないインフラである。インターネットが普及する以前と以後では、世界が一変した。そのインターネットの世界に今、次の時代が訪れようとしている。

最近になってメタバースという言葉を見聞きする機会が増えたと感じている人も少なくないだろう。メタバースとは、「インターネット上に構築された三次元の仮想空間」のことを指す。
メタバース空間には現実の世界と同じような街があり、ユーザーは自身の分身であるアバター(※1)を使って空間内でさまざまな体験をしたり、他のユーザーとコミュニケーションをとることができる。
(※1)アバター:デジタル空間におけるユーザーの代理となるキャラクターのことである。

大阪で長らく不動産業を営んでいる代表の毛利英昭氏はメタバースに着目し、2023年9月に別会社の株式会社Meta Osakaを立ち上げた。
設立の経緯を毛利氏が語る。



設立の理由は、大きく分けると二つあります。
まず一つ目は、私は不動産業を25年以上やっています。今後はバーチャルの世界も不動産に似たような形で資産になり得る。バーチャル空間のなかでの不動産売買や賃貸など、そういうビジネスが今後もっと本格的になるだろうという点に、すごくチャンスを感じました。


もうひとつは、憂国の思い。

リアルの世界で不動産売買をやっていて、身近なところで海外の企業や富裕層が倭国国内の不動産をどんどん買っているのを見ています。バーチャルの世界でも同じようなことが起こると、充分に考えられます。
実際に今、アニメや漫画の著作権など、倭国のIP(Intellectual Property / インテレクチュアル・プロパティ=知的財産)も海外に買われているんです。バーチャル世界の大阪を海外から守るために、いち早く着手していかないといけない。そういう思いで立ち上げました。



5億人以上がいるオンラインゲームでのメタバース参入


メタバースに参入するにあたって着目したのは、全世界に5億人以上のユーザーがいるオンラインゲーム「フォートナイト」
無料でプレーできるバトルロイヤルゲームで、アバターのコスチュームやステージ(ゲーム内ではワールドとされる)などがカスタマイズできる柔軟性も人気の秘密。

現在は「フォートナイト」用に、道頓堀界隈などを制作中です。
他社で制作されているところがあるかもしれませんし、海外に先に抑えられる可能性もある。だから我々が先に作って、道頓堀商店街さんや大阪府、大阪市にMeta Osakaのものがオフィシャルだと認めてもらえるバーチャル空間を作りたい。言い方をかえると大阪のIP(知的財産)や歴史や文化を守りたいと思って進めています。




「フォートナイト」の世界に、道頓堀商店街の空間を展開する。その狙いは世界中の人々にメタバースの世界で大阪に触れて興味を持ってもらい、実際に来日して大阪観光を促すこと。

Meta Osakaが掲げるミッションは『デジタルツイン(※2)×エンタメで、大阪を世界一おもろいに都市(まち)に』なんです。
宿泊仲介会社のエアビーアンドビーの調査によると、コロナ禍前の海外の人たちの行きたい国ランキングの1位に、大阪市中央区がなったことがあるんですよ。大阪城公園があったり、道頓堀も大阪市中央区です。とにかく世界中から大阪に、どんどん人が集まってくる。今は大阪に来られるインバウンド観光客が年間1200万人ぐらいで、2030年には倍増すると言われていますが、それでも2400万人。
ですがメタバースであればリーチできるのは5億人と、ケタがひとつ違います。大阪にいながらにして、大阪を世界中にアピールできるツール。メタバースを通じて大阪に興味を持った人たちを呼び込んで、<大阪を世界一おもろい都市(まち)>にしたいんです。

(※2)デジタルツイン:リアル(物理)空間にある情報をIoTなどで集め、送信されたデータを元にサイバー(仮想)空間でリアル空間を再現する技術。

大阪の街に人が集まれば当然、雇用も増える。それも毛利社長が目指すもののひとつ。

大阪人が大阪で活躍できるには、大阪で働ける場所が必要です。これからおそらく、「フォートナイト」クリエイターが夢の職業みたいになってくると思います。そのときに就職するならMeta Osakaといわれるようになると、これはかなり面白いかなと。
現在はIT企業の9割は東京なので、地方のコ(人)はみんな東京、もしくは海外に行ってしまいます。ですが今私達と一緒に動いているクリエイターはみんな大阪出身で、大阪に住んでいるコ(人)なんです。大阪の人達が地元の企業で力を発揮できるような、そういう環境を作っていく。
それは大阪にとっての宝であり、財産を守れることになる。今までは働く場所がなかったので、それを作って次世代のヒーローをつくりたいという思いがあります。




メタバースの扉を開け、教育とその先へ


「フォートナイト」はMeta Osaka社にとってメタバースの扉を開ける、ひとつのツール。
扉を開けた先に進もうとしている先には、複数の道がある。
そのひとつは、教育分野への進出

わかりやすい一つの例として、「フォートナイト」は小学生の9割以上がプレイしています。そこではみんな、英語でやり取りしているんです。なので子どもたちは英語がしゃべれないとゲームが楽しめないから、親に英語を習いたいと訴えています。以前であれば親が子に勧めていたものを、今は子どものほうから望んでいるんです。ですのでゲームを一つの教育ツールとして利用していくことも考えられます。


「それ以外にも」と言って、話を紡ぐ。

最近は積極的不登校の問題もあります。
これはイジめられているから引きこもるというネガティブな不登校ではなく、知識レベルの高いコ(人)は、学校のレベルが低いから行っても仕方がないので自分で勉強する。それが積極的不登校で、その言葉を最近はメディアでも見かけるようになりました。実際にそういうコ(人)って、知識レベルがすごく高いんですよ。なのでメタバースの空間でスクールとかを作れば、学校の代わりにいろんな教育を施すこともでき得る。学校関係や予備校、塾なども、メタバースに参入してきています。なのでそこにもビジネスチャンスは、すごくあると思っています。


教育分野がBtoCであるなら、もう一方のBtoBのビジネスチャンスにも目を向けている。

メタバース空間にイベント会場を作って、ライブや講演会などのイベントを開けば、そこに集客できる。
例えばバーチャルの大阪城ホールを作って、そこでライブがしたいアーティストに貸し出すとすれば、本物を借りるよりもはるかに安い金額で実現できます。それに「フォートナイト」上の道頓堀商店街のワールドでeスポーツ大会を開いて、会場使用料をいただくのもそう。
そこに広告看板を入れてスポンサーを集めたりする、2次利用の方法もある。ただ現在はまだまだ法整備も追いついてないですし、業界自体も知見や事例が少ないんです。だから私たちが先にいろんなことにチャレンジして、やっていきたい。


BtoC、BtoBで終わりではない。毛利社長はBtoGにも動きを進めている。
GとはGovermment。すなわち、対象は「行政」だ。

行政は、人口減少などの問題を抱えています。なので国や行政の予算を使って、町おこしだったり、観光客を増やすためのビジネスをいっしょにできないかとの相談も受けています。国や行政からの補助金を活用して、バーチャルの空間でイベントを展開していく。
BtoGによる、デジタルツインですね。実際の動きとして政治家の方に呼ばれて勉強会を開いたりしていますし、議員と情報交換をしたり、彼らから相談の連絡が来ることもあるんです。行政、役所とも連携を取りながら進めています。





“おもろい大阪”切り拓こうとする開拓者


インターネットがなかった1980年代。倭国は世界の勝ち組だった。しかしインターネットが普及し始めた1990年代以降は、世界経済から取り残されてしまっている。これは倭国が、新しいテクノロジーにはまらなかったことがすべての要因。そんなインターネットの世界には、メタバースという次の革新が起こりつつある。

インターネットがない時代に倭国は、世界でトップクラスでした。アメリカに追い付き、追い越して、世界の時価総額ベスト50のなかに倭国の企業が32社も入っていました。
しかしインターネットを使う時代になってから倭国は世界では負け始めて、今では残念ながら時価総額ベスト50には1社も入っていません。
これからは、インターネットの中に入る時代、もしくはインターネットの中で生活する時代が始まります。
ここで倭国は奮起しないと、もう完全に取り残されてしまいます。今はいわば、次のスタートの時期。ここで立ち後れてしまっては、もう取り返しがつきません。


祖国がデジタル社会に出遅れてしまっている現状を打破せんとする憂国の士であり、自らの商いの地場である街を、メタバースで“おもろい大阪”に切り拓こうとする開拓者毛利英昭氏。
彼がどんなOsakaの未来を我々に見せてくれるのか、楽しみだ。




株式会社Meta Osaka
本社:大阪市中央区平野町1丁目7番3号 BRAVI北浜7階
オフィシャルサイト:https://www.meta-osaka.co.jp/




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大阪市中央区 情報・教育・サービス 新着 オオサカジン運営事務局 2024-01-19T09:30:00+09:00
社長インタビュー https://fewy.waihui.online/e757161.html ヴァリオ株式会社 / 代表取締役 利川邦浩氏 駅の近くにソースのいい香りが漂っている。たこ焼き、お好み焼き、焼きそばのテイクアウト専門店「てこや」は、必ず駅前周辺の人通りの多い場所にある。その「てこや」をはじめ関西を中心に53店舗(2023年11月末時点)を構え、常に新規出店を計画しているのが天王寺に本社を構えているヴァリオ株式会社である。2013年の創業以来、チェーンシステムによる飲食店経営で躍進を続けているヴァリオ株式会社の代表取締役 利川邦浩氏に話を伺った。 ヴァリオという会社名はどんな意味なんでしょうか? 私は飲食の仕事をずっとしてきました。実は社名の「ヴァリオ」というのはイタリア語、英語で言うとバリエーション。ただひとつの業態だけで運営するのではなく、様々な業態の展開をしていくのが我々の根幹理念です。いろんなお皿を提供し、外食に特化したコングロマリット(※1)をやっていきたいという思いで「ヴァリオ」という会社名にしました。※1 コングロマリット 異なる業種を統合した企業グループのこと。 イタリア料理店に続いての業種を粉もんのテイクアウト専門店にされた理由はなんでしょうか? 元々粉もんは私の得意分野でした。以前、肉のBSE(※2)問題があったときに焼肉屋が軒並みダメになりました。ひとつの業態に頼り切るのはリスクが大きいです。大黒柱をたくさん作り、もしもの危機に備え、十分なリスクヘッジ(※3)をする会社でありたいと考えています。 ※2 BSE 牛の病気の一つ。2001年9月、国内において初めてBSEが発生。BSEそのものに加え、企業による牛肉偽装事件の発生も相次ぎ、食肉関連産業・外食産業・流通業、そして一般消費者を巻き込んで、食の安全が問われた一大問題となった。 ※3 リスクヘッジ 元々は金融業界の言葉。ビジネスにおいてのリスクヘッジとは、想定される危険を予測してそれを回避する、または危機的状況になったときに取るための対策を講じること。 粉もん専門店「てこや」は駅の半径500m以内 「てこや」の場所は、ほとんどが駅の近くにありますが、出店場所を見つけるのに苦労されているのではないでしょうか? 正直駅近くはなかなか空いてないですね。ただ、私は近畿圏の駅という駅がすべて頭に入っています。毎日のように駅という駅を自分の足を使って回ってきました。ひとつの駅に5回、多いところでは20回以上は降り立っています。駅に足を運べば人の流れも空気も分かってきます。 「てこや」は、基本、駅から500m以内の駅近の超A級立地に出店しています。つまり駅の近くで店を探さなくても分かる場所。賃料は高いですがすぐ目に付く場所が広告宣伝費だと割り切っているんです。看板を目にする機会が増えるのでうちのブランドを知らない人はいなくなる。そして一度食べてもらえれば味には自信があります。 飲食店経験がなくても人が好きなら店長になれる!その理由は膨大なマニュアルにあった ヴァリオ株式会社は店を出店し続けている会社である。新店舗を出すには人材確保と教育が必要不可欠である。店長候補は、飲食店経験は問わない。わずか3か月の研修期間で店長になれるという。その理由とは・・・・ 飲食店経験がなくても人が好きでやる気がある方なら店長になれます。60ページから70ページの店舗運営マニュアルと店長マニュアルを作っているんです。研修もしっかりと準備をしてますので、特別な経験は何も必要ありません。早いと2か月から3か月で店長になってもらえます。飲食経験者なら1か月半くらいです。新店の場合は、オープンチームが加わって店長を育てます。 店長の頑張りは可視化されており、自己申告型になっている。店長はだいたい30代が中心、既婚者が多いという。物価上昇、等に伴い、この2年で給料を10%ほどUPしたそうだ。 小学生の子どもがいる社員も多くいるので、物価が上昇しているのに給料がそのままでは社員は対応しきれません。トップダウンだけでは独りよがりになります。ES(従業員満足度)の向上をするためにもベースアップは必要でした。それから店長からのキャリアアップも応援しています。 利川氏にとって、店長は子どものような存在である。また店長にとっての子どもはアルバイト。初めてのアルバイトで「てこや」にくる子が多いそうだ。初の社会経験を「てこや」で学んでいる。また、アルバイトから正社員になる方もいる。これは会社の魅力を体験し、納得して社員になる理想のカタチといえる。 アルバイトの方に支えられてここまで来ました。マニュアルがあるのでアルバイトの方も1か月も続ければたこ焼きもお好み焼きも焼けるようになってくれます。 アルバイトから正社員への道もあるが、店長で経験を積めば、さらに上級店長へ、そしてエリアマネージャーへと昇進も可能だ。また既存店と業務委託契約し、経営者になる独立の道もあるそうだ。 そして「てこや」は物価が高騰しても材料に妥協はしない。たこ焼きに不可欠なタコの値段はかなり高騰し、真ダコを水だこに変えているところも多いそう。真ダコは水ダコよりも漁獲量は少なく、値段も高価である。しかし「てこや」は、真ダコを使い続けている。その理由はやっぱり真ダコがおいしいから、店頭にも真ダコ使用と告知している。さらに焼きそばの麺は最上級の一等粉を使用、お好み焼きのキャベツは年間を通して、その時期に一番おいしい産地のものを使っている。つまりてこやの材料のこだわりは何をおいても最優先なのである。 イタリアンバル、粉もんの次はテイクアウトの焼き鳥店、そしてさらなる一手は? 「リストランテ バル ヴァリオ」、「鶴橋粉舗てこや」に加え、2023年8月より、新業態の「やきとり本舗とりすた」をオープンし、次なる新業態店舗の開店も決定しているそうだ。 テイクアウトの焼き鳥店は、現在、鶴橋店と阪急の池田店の2店舗です。実は東京では必ず駅に焼き鳥屋があるんです。だから前々から大阪でやりたいと考えていました。 そして2024年には、新しい業態のお店を考えています。まだ具体的にはお話できませんが、今度はテイクアウトではなく、店内で飲食ができる店舗の予定です。 次にどんな業種のお店がオープンするのか今からとても楽しみである。 利川氏は、飲食の流行りものはやらない。飲食のブームは2年で終わるからである。東大阪出身で、母方の実家は鶴橋だという利川氏は子どもの頃から鶴橋でお好み焼きを食べて育った。利川氏の粉もんの原点は鶴橋。食べることが好きで人が好きだという利川氏が、これからどんな新たなステージを見せてくれるのか、益々目が離せない。 ヴァリオ株式会社 本社:大阪市天王寺区大道1-12-13 オフィシャルサイト:http://vario.co.jp/ ヴァリオ株式会社 / 代表取締役 利川邦浩氏

駅の近くにソースのいい香りが漂っている。たこ焼き、お好み焼き、焼きそばのテイクアウト専門店「てこや」は、必ず駅前周辺の人通りの多い場所にある。その「てこや」をはじめ関西を中心に53店舗(2023年11月末時点)を構え、常に新規出店を計画しているのが天王寺に本社を構えているヴァリオ株式会社である。2013年の創業以来、チェーンシステムによる飲食店経営で躍進を続けているヴァリオ株式会社の代表取締役 利川邦浩氏に話を伺った。



ヴァリオという会社名はどんな意味なんでしょうか?

私は飲食の仕事をずっとしてきました。実は社名の「ヴァリオ」というのはイタリア語、英語で言うとバリエーション。ただひとつの業態だけで運営するのではなく、様々な業態の展開をしていくのが我々の根幹理念です。いろんなお皿を提供し、外食に特化したコングロマリット(※1)をやっていきたいという思いで「ヴァリオ」という会社名にしました。
※1 コングロマリット 異なる業種を統合した企業グループのこと。


イタリア料理店に続いての業種を粉もんのテイクアウト専門店にされた理由はなんでしょうか?

元々粉もんは私の得意分野でした。以前、肉のBSE(※2)問題があったときに焼肉屋が軒並みダメになりました。ひとつの業態に頼り切るのはリスクが大きいです。大黒柱をたくさん作り、もしもの危機に備え、十分なリスクヘッジ(※3)をする会社でありたいと考えています。

※2 BSE 牛の病気の一つ。2001年9月、国内において初めてBSEが発生。BSEそのものに加え、企業による牛肉偽装事件の発生も相次ぎ、食肉関連産業・外食産業・流通業、そして一般消費者を巻き込んで、食の安全が問われた一大問題となった。

※3 リスクヘッジ 元々は金融業界の言葉。ビジネスにおいてのリスクヘッジとは、想定される危険を予測してそれを回避する、または危機的状況になったときに取るための対策を講じること。


粉もん専門店「てこや」は駅の半径500m以内



「てこや」の場所は、ほとんどが駅の近くにありますが、出店場所を見つけるのに苦労されているのではないでしょうか?

正直駅近くはなかなか空いてないですね。ただ、私は近畿圏の駅という駅がすべて頭に入っています。毎日のように駅という駅を自分の足を使って回ってきました。ひとつの駅に5回、多いところでは20回以上は降り立っています。駅に足を運べば人の流れも空気も分かってきます。
「てこや」は、基本、駅から500m以内の駅近の超A級立地に出店しています。つまり駅の近くで店を探さなくても分かる場所。賃料は高いですがすぐ目に付く場所が広告宣伝費だと割り切っているんです。看板を目にする機会が増えるのでうちのブランドを知らない人はいなくなる。そして一度食べてもらえれば味には自信があります。





飲食店経験がなくても人が好きなら店長になれる!その理由は膨大なマニュアルにあった


ヴァリオ株式会社は店を出店し続けている会社である。新店舗を出すには人材確保と教育が必要不可欠である。店長候補は、飲食店経験は問わない。わずか3か月の研修期間で店長になれるという。その理由とは・・・・
飲食店経験がなくても人が好きでやる気がある方なら店長になれます。60ページから70ページの店舗運営マニュアルと店長マニュアルを作っているんです。研修もしっかりと準備をしてますので、特別な経験は何も必要ありません。早いと2か月から3か月で店長になってもらえます。飲食経験者なら1か月半くらいです。新店の場合は、オープンチームが加わって店長を育てます。




店長の頑張りは可視化されており、自己申告型になっている。店長はだいたい30代が中心、既婚者が多いという。物価上昇、等に伴い、この2年で給料を10%ほどUPしたそうだ。
小学生の子どもがいる社員も多くいるので、物価が上昇しているのに給料がそのままでは社員は対応しきれません。トップダウンだけでは独りよがりになります。ES(従業員満足度)の向上をするためにもベースアップは必要でした。それから店長からのキャリアアップも応援しています。

利川氏にとって、店長は子どものような存在である。また店長にとっての子どもはアルバイト。初めてのアルバイトで「てこや」にくる子が多いそうだ。初の社会経験を「てこや」で学んでいる。また、アルバイトから正社員になる方もいる。これは会社の魅力を体験し、納得して社員になる理想のカタチといえる。
アルバイトの方に支えられてここまで来ました。マニュアルがあるのでアルバイトの方も1か月も続ければたこ焼きもお好み焼きも焼けるようになってくれます。




アルバイトから正社員への道もあるが、店長で経験を積めば、さらに上級店長へ、そしてエリアマネージャーへと昇進も可能だ。また既存店と業務委託契約し、経営者になる独立の道もあるそうだ。
そして「てこや」は物価が高騰しても材料に妥協はしない。たこ焼きに不可欠なタコの値段はかなり高騰し、真ダコを水だこに変えているところも多いそう。真ダコは水ダコよりも漁獲量は少なく、値段も高価である。しかし「てこや」は、真ダコを使い続けている。その理由はやっぱり真ダコがおいしいから、店頭にも真ダコ使用と告知している。さらに焼きそばの麺は最上級の一等粉を使用、お好み焼きのキャベツは年間を通して、その時期に一番おいしい産地のものを使っている。つまりてこやの材料のこだわりは何をおいても最優先なのである。




イタリアンバル、粉もんの次はテイクアウトの焼き鳥店、そしてさらなる一手は?



「リストランテ バル ヴァリオ」、「鶴橋粉舗てこや」に加え、2023年8月より、新業態の「やきとり本舗とりすた」をオープンし、次なる新業態店舗の開店も決定しているそうだ。



テイクアウトの焼き鳥店は、現在、鶴橋店と阪急の池田店の2店舗です。実は東京では必ず駅に焼き鳥屋があるんです。だから前々から大阪でやりたいと考えていました。
そして2024年には、新しい業態のお店を考えています。まだ具体的にはお話できませんが、今度はテイクアウトではなく、店内で飲食ができる店舗の予定です。

次にどんな業種のお店がオープンするのか今からとても楽しみである。

利川氏は、飲食の流行りものはやらない。飲食のブームは2年で終わるからである。東大阪出身で、母方の実家は鶴橋だという利川氏は子どもの頃から鶴橋でお好み焼きを食べて育った。利川氏の粉もんの原点は鶴橋。食べることが好きで人が好きだという利川氏が、これからどんな新たなステージを見せてくれるのか、益々目が離せない。


ヴァリオ株式会社
本社:大阪市天王寺区大道1-12-13
オフィシャルサイト:http://vario.co.jp/

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編集部 ピックアップ 大阪市天王寺区 飲食・フードサービス オオサカジン運営事務局 2024-01-12T09:30:00+09:00
社長インタビュー https://fewy.waihui.online/e758482.html Company ~“語る力”を持つビジュアル作り~ インカー・ドローイング株式会社はCGによるパースおよび動画制作、VR開発、ドローン撮影など多岐にわたる事業を展開する「小さな巨人」企業と自負しています。 現在の同社の主事業であるパースは画力の高さと精密さ、リアリティ性に定評があり、⼤⼿ゼネコン・設計事務所・ハウスメーカーなどから厚い信頼を得ています。 「図⾯だけではイマイチよくわからへんから、絵にして欲しい」と依頼され、そこで表現の乏しい絵を⾒せられると、「せっかくお⾦かけるのに、竣⼯してみたらこれか・・・」となります。 “語る⼒”を持ったビジュアルはいろんな⼈に前向きな感情を伝播し、その建築が持つ誇りを共有し、新たなコミュニケーションを⽣み出します。 多くの⽅々に「こんなすごいものが、できるんや!」と感じていただきたい思いもあって、ドラマチックなビジュアル作りを⼼がけています。 3DCGのススメ 3DCGを簡単にいうと「コンピュータの中の模型が作れる」ということです。 特に製造業の場合、スキャンや図面から製品を精密な3Dデータとして起こし、素材感・質感を再現した製品のデジタル見本を制作することができます。 3DCGには多くのメリットがあります。 デジタル資源のため残滓が発生せず、製品開発から販売までの速度・効率・理解度が上がり、要所での迅速な合意形成を促します。 CG活用はDX化導入としても大変親和性が高く、多数の企業で採用され始めています。 3DCG工程 【Merit】 ・製品を精密な3Dデータとして起こす事により、そこに現物がなくとも手に取るように製品のアピール商材として使用できる。 ・360度可視化により、デジタルカタログやweb上での活用が可能。製品特性を余すところなく伝達できる。 ・デジタル版モック(バーチャル試作品)を作成できるので、製品の検証として使用できる。 ・CGデータを利用して3Dプリンターで現物のモックを作成することもできる。 ・バーチャル試作品を使った展示会モックも開催可能。 【リクルート戦略】 ・3DCGの活用そのものが企業の先進的取組みとして企業認知される。 ・DXや環境負荷を削減するSDGsの方針とも合致しており、最新の企業環境をアピールできる。 ・実写動画素材と3D素材をミックスしたプロモーションムービー制作で企業のストーリーと製品のリアリティを高解像度で伝えることができる。 3DCG完成事例 3DCG完成事例 インカー・ドローイング株式会社  代表取締役 梶野 潤 事業:建築物・建造物・景観等のビジュアライゼーションコンテンツ制作業務(3DCG・画像レタッチ・VR開発・ドローン撮影) 大阪市中央区内平野町2-1-2 アイエスビル2F https://inkarinc.com/ 『オオサカジン』記事  https://fewy.waihui.online/e750879.html Company ~“語る力”を持つビジュアル作り~
インカー・ドローイング株式会社CGによるパースおよび動画制作、VR開発、ドローン撮影など多岐にわたる事業を展開する「小さな巨人」企業と自負しています。
現在の同社の主事業であるパースは画力の高さと精密さ、リアリティ性に定評があり、⼤⼿ゼネコン・設計事務所・ハウスメーカーなどから厚い信頼を得ています。

「図⾯だけではイマイチよくわからへんから、絵にして欲しい」と依頼され、そこで表現の乏しい絵を⾒せられると、「せっかくお⾦かけるのに、竣⼯してみたらこれか・・・」となります。
“語る⼒”を持ったビジュアルはいろんな⼈に前向きな感情を伝播し、その建築が持つ誇りを共有し、新たなコミュニケーションを⽣み出します。
多くの⽅々に「こんなすごいものが、できるんや!」と感じていただきたい思いもあって、ドラマチックなビジュアル作りを⼼がけています。



3DCGのススメ


3DCGを簡単にいうと「コンピュータの中の模型が作れる」ということです。
特に製造業の場合、スキャンや図面から製品を精密な3Dデータとして起こし、素材感・質感を再現した製品のデジタル見本を制作することができます。
3DCGには多くのメリットがあります。
デジタル資源のため残滓が発生せず、製品開発から販売までの速度・効率・理解度が上がり、要所での迅速な合意形成を促します。
CG活用はDX化導入としても大変親和性が高く、多数の企業で採用され始めています。

3DCG工程



【Merit】
・製品を精密な3Dデータとして起こす事により、そこに現物がなくとも手に取るように製品のアピール商材として使用できる。
・360度可視化により、デジタルカタログやweb上での活用が可能。製品特性を余すところなく伝達できる。
・デジタル版モック(バーチャル試作品)を作成できるので、製品の検証として使用できる。
・CGデータを利用して3Dプリンターで現物のモックを作成することもできる。
・バーチャル試作品を使った展示会モックも開催可能。

【リクルート戦略】
・3DCGの活用そのものが企業の先進的取組みとして企業認知される。
・DXや環境負荷を削減するSDGsの方針とも合致しており、最新の企業環境をアピールできる。
・実写動画素材と3D素材をミックスしたプロモーションムービー制作で企業のストーリーと製品のリアリティを高解像度で伝えることができる。

3DCG完成事例

3DCG完成事例



インカー・ドローイング株式会社 


代表取締役 梶野 潤
事業:建築物・建造物・景観等のビジュアライゼーションコンテンツ制作業務(3DCG・画像レタッチ・VR開発・ドローン撮影)
大阪市中央区内平野町2-1-2 アイエスビル2F
https://inkarinc.com/

『オオサカジン』記事 
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編集部 ピックアップ オオサカジン運営事務局 2024-01-05T10:00:00+09:00